白獣〜はくじゅう〜

 


 ……新竜歴6540年 超大国HEAVEN(ヒーヴェン)
 そこはまさに、『魅惑の国』の名にふさわしい、美しい大国だった。人々は退屈な生活に飽き、毎日の情報伝達に楽しみを寄せていた。例えそれが小さな出来事だったとしても、彼らはそれで満足していたのである。何の変哲のない平和な国だ……表向きは……
 このころ、HEAVEN上層管理職に就く者による悪徳な政治が行われ、少しずつ治安が乱れ始めていた―――

 ……ザザ……―――ガガッ……ピー……ガッ……

『えー、次の情報です。昨夜行方不明となっておりました、HEAVEN上層管理職政治部門長ゲリラス=マロビー氏、五十八歳が、今日の前日傾期九時頃に遺体で発見されました。マロビー氏は首の骨を折られて殺害されており、指紋の隠滅のためか首の皮が剥ぎ取られていました。最近ではこのような上級管理職に対する殺人事件が相次いでおり……』
 ブツン。大きなスクリーンに映されていた情報放映伝達人が消え、代わりに灰色になったスクリーンが残った。
 暗くなった部屋の中で、二十代の男が椅子に座っている。色彩が他人とかけ離れていた。真っ白い髪に同色の肌。そして赤い瞳。妖精竜の落ち着いた赤とは違う、動脈血の鮮やかな赤。黒いシャツを着、適当に胸元をくつろげている。胸には大きな水晶で作られた楕円形のリングを、黒曜石製の鎖に通してかけている。黒いズボンに靴。やや長めの髪をポニィ・ティルにしている。色彩以外はどこにでもいそうな青年だ。
 今は指輪が三つ……人差し指に一つ、中指に二つ……はまった右手を、不機嫌そうに前髪に差し入れていた。彼のくわえたタバコが静かに淡い乳白色の煙を立ち上らせている。
 彼はじっと灰色のスクリーンを見つめている。感情の読みとれぬ赤い瞳を、やがて彼は扉へと移した。男の低い声が聞こえたからである。
「コーダ。“仕事”だ」
 青年……コーダはゆっくりと腰を上げ、音も立てずに男に近づき、男の持っている紙をちらと見た。切れ長の瞳がかすかな不機嫌の色をにじませている。彼はそのまま男から紙を渡され目を通す。廊下から漏れる光がコーダの両耳についた計四つのリングピアスを鈍く光らせる。やがて彼は紙をズボンのポケットに押し込み、部屋の外に出た。そして男とのすれ違いざまに低く、
「……了解」
 と呟いた。

* * * * * * * *

ひいいいぃぃ!!た、たすけ……」
 赤ら顔の太った男が、腰を抜かして壁にへばりつく。汗が止めどなく流れ、高級な仕事着にシミを作る。醜いと、コーダは思った。一方男は何とか命乞いをする。
「わ、わ、私には妻も、子供だっているんだ!夫と父を失えば家族は悲しむだろ!?わかるだろ……な?」
「黙れ」
 鋭い語調でコーダは一喝した。無感動な赤い目は、ただひたと男を見つめている。その視線に怯えてか、男は一度口を止めたが、少し経つとまた早口でまくし立てた。
「私は……私はHEAVENの上級職だぞ!?こんな事をしていいと思っているのか!!?頂上が……『四大頭』が黙っちゃいないぞ……私は偉いんだ……金だってある!そ……そうだ、いくらやろうか?十五万か?三十万か?欲しいだけくれてやるぞ……だから命だけは……!」
「断る」
 感情のこもらない声が男の言葉を遮る。男の顔が紫色になる。口を魚のごとく開閉し、呻き声を上げる。コーダが近づく。一歩、また一歩男の傍についた。見下ろし、呟く。
「苦しませはしない。一瞬で終わる」
 夜の闇にそぐわぬ、だが太陽光の下では焼けただれてしまう真っ白な手が男に伸びる。月明かりに照らされ、伸ばした右手の指輪が冷たく光った。
 しかし、それを合図に男が声を上げる。
「かかれっ!!」
 壁……よく見ると壁ではなく塀で、その上から大柄な男が五人ほどコーダに飛びかかってきた。その向こうで男の赤ら顔が勝ち誇ったように歪む。
「お前のことはとっくの昔に調べ上げておったわ!!『白獣』コーダ!!」
 たたんっ、とステップを踏み、コーダは男達の攻撃を避ける。男達はなおもコーダに突っ込む。彼の左側に。コーダが軽く舌打ちする。
「ハハハハ!!お前の弱点だって調べてある!!左腕だ!!!
 危うく槍で突かれそうになり、体をひねってよけた。
「昔お前が殺した男のガーディアンによって左腕がちぎれかけ、魔法回復しても神経がつながらず、それ以来お前は左腕が動かなくなった。違うか?」
 嬉々としてしゃべりまくる男を軽くにらんだ。タバコをくわえたまま攻撃を避ける。乳白色の煙は激しい運動によってたなびいた。一人の男の持つ剣を大きく避け、赤ら顔の男のもとへ滑り込む。
 しかし男は余裕の笑みを見せた。次いで、男達の中でも一番大柄な男がコーダの首をつかんだ。いつの間にか、主人の前に立っていたのだ。気づくのが遅すぎた。
 コーダのくわえていたタバコが地に落ちる。さして苦しそうでもない顔だが、かすかに眉根を寄せているあたりで、息が詰まっているのは明らかだ。絞め殺せ、という主人の声を聞き、男はなおもコーダの首を絞め続ける。そして『白獣』の顔を見る……
 信じられないことが起こった。コーダの瞳孔が縦に裂けたのだ。まるで猫科の動物のように、細く縦に。彼は自分の首を絞めている男の手首に己の手を添え、事も無げに握った。骨の砕ける音と男の悲鳴が響いた。痛みに叫ぶ男の肩に飛び乗り、男の喉を掴んで握りつぶす。ゴキッという嫌な音がして男は絶命した。そしてコーダは次々と男達の喉を掴んでは握り、骨を砕いていった。コーダの手は男達の太い首を絞めることは出来ないが、彼らの首の骨を握りつぶすことなら出来た。ターゲットの周りの屈強な戦士達は、たった右腕一本で全て殺されてしまった。赤ら顔の男が青ざめる。コーダは近づきながら、胸にかけたあのペンダントを手早く取り、握った。
「あ…………あわわわわ……」
 先ほどの威勢はどこへやら、情けない声で横に移動する。が、鋭く光る何かが見え、次に動けなくなる。
「“影縛り”」
 音もなく歩み寄り、コーダは冷たく光る赤い目をすうっと細める。細まった瞳孔が“獣”を思わせる。左腕がむき出しの反面、右腕の袖は長いままである。生きものは死ぬとき、やけに冷静になるものだと男は思った。刹那、コーダの手が男の喉に掛かり、壁に自らの手のひらを押しつけるように男の喉を圧迫した。あっけなくボキボキと音を立てて骨が折れる。そしてしんと静まりかえった。
 コーダはポケットからタバコを取り出して火をつけた。男達の死体を一瞥し、そうしてくるりと後ろを向いた。
「……任務、終了」
 コーダの低い声が、月明かりの夜の闇に飲み込まれた。

* * * * * * * *

 ……ザ……ザザザ……ピッ……ピガー……
『……続きまして次の情報です。前日の後日傾期二十六時頃、HEAVEN上層管理職食品製造販売部門長モーケ=カネル氏五十四歳が遺体で発見されました。カネル氏のガーディアンの方々計五名も、同じく遺体で発見されました。前回 の事件同様、カネル氏らの首の皮が剥ぎ取られており、警察では犯人は同一人物だと見て捜査を進めています……えー、目撃情報が入って参りました!犯人は白い髪に赤い瞳の人物だそうです。警察では一刻も早くこの犯人を逮捕するとのことです。では次の――』
 ブツン。昨日と同様情報放映伝達人が消え、灰色のスクリーンが、まるで嵐が来る前の曇り空の下にある海のように沈黙した。コーダの赤い目が不機嫌そうに細められる。
(気に入らない。世間の奴らも、『こいつら』も……)
 自分の傍にいる男をにらんで、コーダは思った。自分を使い、腐りきった者共を葬り去っていく。『四大頭』は別によい。政治に関する情熱は本物だし、自分も別に不快にはならないから。ただ。
(その下の奴らが気にいらんのだ)
 その視線に気づいた男が、不審そうに言う。
「コーダ。無駄なことは考えるな。お前は『上』の命を聞き、『改革』の 手助けをする“仕事”をすればいいのだ」
「……」
「しかし、『上』の方々も大したものだ……魔力の強い『アルヴィノ』の力増幅……貴重な力をここに使うなんてな……」
 コーダは黙って聞き流した。『アルヴィノ』は他のものとは違って魔力が弱冠強い。それ以外は全く教えてくれない。出生のことも何も教えてくれない。彼は苛立って足を組み換えた。何も教えないくせに偉そうに接する『こいつら』は、コーダの神経を逆なでするだけのうるさい存在でしかなかった。そして、最近では“仕事”中の記憶が無くなる。どうせその理由も教えてもらえないのだろう。
「……にしても、恐ろしい獣を生み出したな、『上』も……」
「フン……」
 すっかり短くなったタバコを椅子の背に押しつけて火を消し、また新たなタバコを取り出そうとした……が、目的のそれがもう無いことに気がついた。箱を握りつぶし、それをぽんと男の方に放り投げる。男は立ち上がったコーダを見、問うた。
「どこに行く」
「……それを買いに行く」
 そして足音一つ立てずに、コーダは部屋から滑り出すようにして出ていった。

* * * * * * * *

 指紋を照合させ、出された藍色の箱(MIST LEAFという彼の好きな銘柄だ)を取りポケットに押し込む。彼の白い髪が魔力灯に照らされて淡い銀色に光る。さて帰るかときびすを返し、ふとある部屋の前につけられた黒い板に目を留める。赤い瞳が文字を認識する。

――新生物開発研究所および新生物開発研究部門――

「……」
 先ほどの男の言葉が頭の中に響く。息を潜め、中の気配を伺う……何も聞こえないところをみると、中に人はいないらしい。扉の鍵が開いている。コーダはそのまま、中に滑り込んだ。
 中はほの暗く、何かの培養液がかすかに光っている。それが入ったガラスの大きな管が大量にあった。その間をすり抜け、奥に進んだ。最初はちらほらとしかなかった奇妙な生命体が、次第に数を増していく。
 やがてコーダの足が止まった。無感情な赤い目が、彼の前方にある机の一点を映す。
 黒い表紙の本。本を開き、筆跡をたどる……とげとげした字。ややいびつな文字でなにやら書き殴ってある。義手がどうのと書いてあり、コーダはとある人物が思いついた。
(『四大頭』リーダーのリキュルか……)
 わずか十七歳にして『四大頭』リーダーに選ばれ、二十三歳の今でもその権力は変わらない。王族の血を引くものの集まりである彼らの中では、純血はほとんどいないと言われる“魔狼”一族の青年だ。彼の日記らしい。実験サンプルの様子、会議のこと。そして『改革』のこと。
 リキュル本人としては、『改革』には賛成らしい。しかしコーダを使っての腐った管理職達の暗殺には反対したようだ。我々が直接手を下せば、と書いてあった。
『……私と同じ純血の子が、何故このようなことにならなければならないのか……理性を失ってまで力を使うのなら、私が代わってやった方がましだ……コーダはただの人形じゃない……いつか必ず、力の反動が彼に降りかかるだろう……』
 文字に目を走らせ、コーダは愕然とした。日記の最後に、こう書いてあったのだ。

『ヴィネガの判断より、力の暴走の危険有り。改革終了後速やかに処分することが合議で決定』

「力の……暴走だと……?」

 思わずつぶやきが漏れる。返事はないかのように思えた。しかし。

「その通りだ、白獣コーダ」

 コーダが振り返ると、そこには『四大頭』が立っていた。
「あなたがそんな顔をするなんて、ね」
 穏やかに微笑しながら、“エルフ”のエッセンが言う。
「実験サンプルナンバー2453……『CRLDE』……あなたの力は我々の力、でもそれは諸刃の剣なの」
 冷静な声で“風霊”ヴィネガが告げる。“一角獣”エグスがコーダの手から日記を取り、“魔狼”リキュルに手渡す。
「……どうしてあんたらがここにいる」
 すうっと目を細め、コーダは『四大頭』をにらんだ。エグスが近寄り、真正面からじっとみる。
「お前の後を付けた。エッセンに魔力で気配を消してもらってな」
 鮮やかな緑色の髪を揺らして彼女は笑った。そんな彼女をちらりと見てから、エグスは視線を戻した。彼の金色の目がコーダの赤い目をとらえる。
「真実を知ったんだな?お前の力は、理性と引き替えのものだって」
「お前の力は、我々にも驚異だった」
 リキュルの静かな声が部屋に響く。
「私の日記に書いてあるとおり、『改革』終了後にお前を処分する事に決まっていた。だが、それまで持たないことに気がついたのだ」
 意味が分からない。コーダは黙ったままリキュルをにらむ。リキュルの瞳が閉じられた。何かをためらっているように。代わりにヴィネガが、眼鏡を押し上げながら口を開く。
「猫科サンプル17の遺伝子と能力を手術であなたの中に埋め込んだの」
「知っている」
「……失敗だったの。強すぎる力の酷使が、理性を削ってしまうと分かったときには、既にあなたは人の姿をとっていた……でも、仕方がなかったの……完全に腐敗してしまう前に、この国を元に戻したかった……『改革』も必要だったの……」
「ヴィネガ……もういい」
 リキュルが制止し、コーダの方に向き直る。
「理性を完全に失えば、お前は獣になってしまう。無差別に人を殺す、ただの血に飢えた生き物になってしまうのだ。私はその最悪の事態を考え、ここを開けておいた。……一か八かの賭だったがな。……正気を失った獣の恐ろしさは、私がよく知っているから」
 そこでコーダはめまいを覚えた。頭が割れるように痛み、膝をつく。
「あぁ……始まったのね……コーダ、最後に言うわ。あなたの力、決して無駄ではなかった。……結果的には、リキュルを傷つけてしまったけれど……でも、あなたは『人』という体から自由になれた。もうこんなことしなくていいのよ……辛かったでしょう、可愛い子……」
 リキュルが俯き、エメラルドのような瞳が伏せられる。体が燃えるように熱かった。エッセンも膝をついてコーダを抱きかかえる。彼女の冷たい手がコーダの額に当てられ、柔らかい声が耳を打つ。  
「可哀想なことをしてしまった……コーダ、可愛い子……よく頑張ってくれたわね……」
 意識が遠のく。ひどく眠かった。エッセンの手がゆっくりと目に覆い被さり、子守歌のような声が心地よく響く。
「ありがとう……いい子ちゃん……」
 その言葉を最後に、コーダは深い眠りに落ちた。

* * * * * * * *  

「獣に……なるんだな……もう……」
 エグスがぽつりと呟く。
「避けられないことだから仕方がないの……」
 ヴィネガはそう言いながらかがみ込み、コーダの髪を撫でた。
「昏睡状態に入ったわ……まもなく戻ります」
「そう……」
 エッセンはそっとリキュルの顔を見た。リキュルの瞳が揺らいだが、彼は泣かなかった。
「……新たな、生きものとして生まれ変わるのか……」
 彼は哀しげに笑った。エグスがそっと彼の肩に手を置く。
「……ふふっ……羨ましい限りだ……私もいっそのこと、こうなれてしまえれば良かったのに」
「リキュル……」
 彼は義手である左手を顔に当て、泣きそうな顔を隠した。やがてまばゆい光が部屋にあふれる。そして光が収まったとき、『四大頭』の目に一頭の動物が映った。真っ白な体毛の、猫と狼の合いの子のような……しかしどちらでもない不思議な生物が静かに横たわって眠っている。リキュルが静かに言った。

「お前はもう、自由だ」

* * * * * * * * 

 ……ザー……ザー……ピッ……ピガー……
『今日、前日傾期十三時に『四大頭』の命で、上級管理職の長併せて二十名が、職から降ろされました。そしてその後、後日傾期十六時頃少々過ぎに、この二十名が何者かによって殺害されました。被害者らの首は獣のようなかみ傷がついており、いずれも骨がかみ砕かれていました。警察では―――』
「入るぞ」
 金色の髪、緑色の瞳を持った青年……リキュルが入ってきた。生きものは顔を上げ、赤い瞳で見つめ返す。
「『改革』は終わった。お前は自由だと言ったはずだが?」
 白くしなやかな体躯を起こし、生きものはなおもリキュルを見つめる。彼は左手の……黒曜石製の義手を右手で撫で、問う。
「『人』であったときの記憶はまだ残っているか?どうだ?」
 リキュルの頭の中に、声のようなものが響く。しばらくそれを聞き、彼は口を開いた。
「そうか。『人』としての記憶と『獣』としての記憶が両方、残っているのか……」
 再び頭の中に声らしきものが響く。
「ここにいたいのか?……そうか。そう、だな。お前は私とは違って、生まれが分からないからな……それに、ここで第二の生き方を見つけるのも悪くはないだろう……お前は自由だと言ったからな、好きにしていい」
 うるさく情報を流すスクリーンの電源を切り、改めて生きものを見る。白い体毛に赤い瞳の美しい『アルヴィノ』の合成新生物。サンプルナンバー2453。猫のような狼のような、でもどちらでもない、強大な力の生物……。
「外に出るか?皆が待っている」
 戸を開け、リキュルは生きものの名を呼んだ。首に掛かったリング型の水晶と、それに通されている黒い鎖が白い毛並みによく映えている。
「お前は自由だ、『CRLDE』……」
 リキュルの手が、そっと『アルヴィノ』の合成新生物……サンプルネーム『CRLDE』を撫でた。
                   

〜「白獣」了〜



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