……新竜歴6537年、超大国HEAVEN(ヒーヴェン)……上層管理職の腐敗により、HEAVENの治安は乱れ始めていた。この国の長である『四大頭』は、とある『改革』を進めるための『計画』を始めた…… 「……ふぅ」 コトン、と硝子のコップが机の上に置かれた。水滴が付いている内側から推測すると、水が入っていたらしい。傍には白いラベルの貼ってある瓶。ラベルにはこう書いてある。 『胃痛、胃もたれにはコレ!イモタレンΩ』 我ながらアホな名前の薬を飲んでいる、と彼は思った。だがよく効くのも事実なので、文句は言えない。再びため息を付くと、後ろから女の声がした。 「あらリキュル……また胃痛なの?大変ね」 振り向くと、鮮やかな緑の髪の女性が立っていた。歳は大体二十三、四歳の“エルフ”。本来なら二百歳は越えているだろうが、彼女はそれを口にされることを嫌っていた。 「……エッセン。勝手に入るなと言っただろう」 「本当にお気の毒様。弱冠二十歳で胃薬常備なんて、ね」 彼女の細い指が瓶を持ち上げ、半ばからかうような声音で言う。リキュルはむすっとしながら彼女に言った。 「話を聞け」 「やっぱりエグスと仲が悪いからよ。今やこの世で魔狼VS一角獣なんてやってるのはあなた達だけ。それに参ってリーダーであるあなたが胃痛起こしてちゃしょうがないでしょ」 「表向きはそう見えるだけだ」 リキュルは意味ありげにそう言い、頭を振った。 「それで、何のようだ」 話を強引に戻すと、それまでいつものように微笑を浮かべていた彼女の表情が真剣になった。 「新生物開発研究所に、今すぐ。……『改革』に関することだから、『四大頭』全員集まれって」 「…… …… ……」 「行きたくないのは分かるわ。でも……しょうがないもの……さあ、行きましょう」 マントを優雅に翻し、エッセンは歩き出した。リキュルもそれに続き、部屋を後にした。 ―――『新生物開発研究所および新生物開発研究部門』――― そう書かれたプレートを、リキュルはちらりと見た。奥のスぺースを譲り受け、そこで密かにある生物を造っている。歩きながら金の髪に左手の指を差し入れた。そんな不機嫌な様子に、エッセンは笑いながら振り向いて忠告してやる。 「翼、出てるわよ?」 ハッとした顔で彼は背中に手を回し、慌てて消すとエッセンを睨んだ。 蝙蝠のような翼は、狼系の種族の中でも最も強い“魔狼”のものだ。彼はその中でも特殊な者で、少しでも強く感情を覚えると翼が出てしまうのであった。言うなれば自分の力が簡単に制御できないのである。彼はそんな自分が嫌いらしいが、エッセンはそこが可愛いと思うのである。 しかし、そうもふざけてはいられなかった。部屋の最奥に二つのガラス管があった。片方には猫のような生物が、もう片方には真っ白“魔狼”の……翼が小さい子供が培養液の中に浮かんでいる。その前に馴染みの人物達がいた。 「ヴィネガ、エグス」 リキュルが鋭い声で二人を呼んだ。片方の女性の長い藍色の髪は、暗がりの中では黒く見える。ヴィネガはその髪を掻き上げ、眼鏡を押し上げて告げた。 「『CRLDE』とサンプル17の調子は良好です。……ねえリキュル、」 「……私は反対だと言っているだろう。どうして『彼』なのだ?どうしてこんな事をしてまで我々は手を汚してはならない?我々が手を下せばいいんだ」 ヴィネガの言葉を遮って、リキュルはきつい語調で問う。彼女は辛そうにうつむいて首を振った。 「いいえ……そう言うわけにも行かないの。リキュル……もし仮に私たちが直接手を下し、腐ったお役人を追放して、違う者をそこに付けたとしても……必ず欲に目がくらんでしまう者が出るわ。それじゃぁ……それじゃあ意味がないの。繰り返しじゃない。それはダメなの……過ちを繰り返すわけには行かない。腐ったものは廃棄されることを知らしめなければいけないの。そのための『彼』なのよ……矛盾したことを行言っているのは分かってる。でもこれしか……これしかないの……」 ガラス管を……白い狼が入っている方に手を当て、泣きそうな声でそう言った。その様子を見、もう一人いた青年が鼻を鳴らす。 「くだらねぇ私情はさみやがって」 今は統合されてしまった一角獣王家の濃い血筋の証である黄金の瞳を険しくし、彼はリキュルに向かって叫んだ。 「私情を挟んで政治をすんなって誰が言った!?他ならぬあんたじゃねぇか!!決まっちまったもんはしょうがねぇだろ!?『改革』でこいつを使って、成功したら終わりだ!!好きに出来る!俺達も他の仕事が出来るし、この国も平和になる!!それでいいじゃねえか!たったそれだけだろ!?リーダーのくせに、何で迷うんだよ!!」 「『改革』自体には賛成している!私は『CRLDE』を使うことに反対しているんだ!そんなことぐらい分かっている!!民のことを思えば当然だろう!!何故、」 彼にしては珍しく言葉を荒げて青年……『一角獣』エグスに反論していたが、急にブツリと言葉を切ってしまった。翼が小刻みに震えていることが暗闇に目が慣れたこの場の者には分かった。エグスが戸惑いながら声を掛ける。 「おい……?……リキュル?」 「何故……何故『彼』だったんだ……?『アルヴィノ』の魔力のせいか?魔力の……高い者は、それだけ……利用できる……『純血』……この世で……たった、一人の仲間……私はまた……一人に……どうして……」 血を吐くようなこの言葉に、エグスは少なからず後悔をした。リキュルはこの世界の“魔狼”最後の『純血』であり、仲間を切実に欲している。そしてやっと見つかった仲間が、今こうして違う生きものになろうとしている。傷つくのも無理はない。そしてその傷をえぐってしまったのは自分なのだ。 「リキュル……」 「……エグス、リキュル……もういいでしょう」 それまで静かに成り行きを見守っていたエッセンが声を発した。彼女はエグスに向かい、諭すように言う。 「エグス、そうきつく言うものじゃないでしょう?私情だと言うことは当たっているけれど……でも、彼はいつも孤独に耐えて生きてきた。お母様が亡くなってから、ずっと。だからそれだけ仲間が大切なのよ、分かる?」 エグスは黙ってうなずいた。彼女はリキュルに向き直り、同じような口調で言う。 「……リキュルも。彼はこの国のことを考えていってくれているの。辛い のは私にもよく分かる。大丈夫。魂が消えてしまうわけではないから。この子がいなくなってしまうわけではないから……」 「…… …… ……」 リキュルは翼を軽く羽ばたかせ、消した。くるりと背を向け、ヴィネガに命ずる。 「サンプルナンバー2453と17を合成しろ。17に改良は」 「え……えぇ、身体能力と特殊能力、その他に改良済みです」 「始めろ」 「はい」 ヴィネガはその時確かに、彼が袖で目元を拭ったのを見た。 「―――合成終了。リキュル、成功よ。『CRLDE』を母体に、ナンバー17を組み込んだわ」 「……そうか」 エメラルドグリーンの瞳に、その合成新生物(キメイラ)が映った。一見すると狼だが、猫の耳と尻尾を持つ不思議な生きものだった。エッセンの魔法で管の中から取り出し、用意してあった布の上に乗せる。すさまじい魔力、と彼女が呟くのが聞こえた。 (ヒトの形を取るのには十分すぎる力、というわけか……変身するな、すぐ) リキュルはそう確信したが、しかしその予想は瞬く間に否定された。生き物が目を覚ましたのだ。それは低くうなり声をあげながら立ち上がり、一角獣の青年に飛びかかっていく。 「うっ……!くそ、速いッ……!」 彼は飛び退いて回避しようとしたが、刹那何者かによって突き飛ばされた。 「!!何しやが……!」 叫んでから、エグスはハッとした。短い金の髪が激しい動きによって起こった風にかすかに揺れる。彼の左腕に生き物の牙が食い込んでいた。 「いけない……!!サンプル17の牙には毒の成分が……!!」 ヴィネガの声に、エッセンが絶望をしたように目を見開く。 「リキュルー!!」 エグスが叫び、駆け寄ろうとするのをリキュルが制止する。黒い袖から覗いた手は、既に紫色に変色していた。 「傷……つけるな……」 言って、彼はそこにあった剣を手にした。サンプルの失敗作を斬り捨てるためにあったらしく、刃は彼の腕ほどあった。それを勢いよく肘の少し上に向かって振り下ろす。ぶしゅ、と血がほとばしり、生き物はリキュルの腕をくわえたまま着地した。 「リキュル!!!」 がくんと膝を折ったリキュルの肩をエグスが掴む。おびただしい血が、エグスの青い服を濡らした。 「こうするしかなかった」 彼はリキュルの腕をふりほどき、彼独特の凛と響く声で、しかし静かに言った。 「こうなることぐらい、予想は付くだろう?」 左肘から下が無くなっている。彼の利き腕だというのに、駄目にしてしまった。エグスは愕然としてそれを見つめた。 「……馬鹿野郎……!なんで……俺をかばったんだよ……」 エメラルドの光よりも深いリキュルの瞳が、そう呟いたエグスに向けられる。 「体が勝手に動いた。……それだけだ……」 そしてその目を『CRLDE』に向け、 「怯えていた、だけだよな……」 と、それだけ言った。彼はそれから瞳を閉じ、ゆっくりとエグスの方に倒れた。どさりと言う音とと同時に体温を感じる。彼の荒い息づかいで、我に返った。 「……ホント……大馬鹿野郎だよな……」 ヴィネガに指示されて、エグスはリキュルを抱き上げながら小さくそう言った。 * * * * * * * * 夢を、見た。苦しい、昔の夢。 『お願いします!私はどうなってもいいですから……ですからこの子だけには、この子だけは……!!』 『うるさい!娼婦のくせに何を言うか!王族だか純血だか知らんが、お前たちの主はわしだ!わしの所有物のくせに何を偉そうに!』 鈍い音と共に金髪の女が倒れた。高価なエメラルドの様な瞳の……自分の母だ。胸元に黒く小さな一角獣の首の印。自分にもある、忌まわしい印。 『あの男もあの男なら妻も妻だ!ろくなのがおらんな!』 『亭主のことを侮辱しないで!!そしてこの子にだけは手を出さないで!!血を絶やさないで……おねが……』 一角獣の中年男が、母の体を刃物で突き刺した。 『モノがヒトに逆らうなど……もういらん、死ね』 『あぁ……リキュル……私……の……可愛、い……坊や……』 真っ赤な血が彼女の体から流れ出るのが分かった。涙を流したまま絶命する母。冷たい体、男の手、鮮やかな赤。 「母さん――――!!」 自分の声で目が覚めた。汗でびっしょりの体のままで、リキュルは周りを見渡した。真っ白な天井の部屋。医務室のようだった。左手を動かしてみる。硬い感触。エッセンが遊びで作っていた、黒曜石製の義手だった。そこで彼は初めて自分が利き腕を失ったことを思い出した。 同族だったからか、『CRLDE』の気持ちが痛いほど分かった。悲しみと、怒りと、恐怖で満たされていた。だからか、噛まれても殺意は抱かなかった。 (同じ、だからな) 彼は力無く笑った。意識しない涙が義手の上に落ちた。 「また……私は……一人になってしまったのだな……」 ついと手が動いて、うなじにかかった。普段は服に隠れて見えないあの刻印が今は見えていた。その手の上に、更に手が乗せられて、驚いて振り向いた。『四大頭』の残り三人が、いた。 「皆……?」 「夢、覗かせてもらったぜ」 エグスが小さく言って、うつむく。彼には珍しいことだった。 「辛い思いしてたんだな。ゴメンな、あんなひどいこと言って」 「私の……夢を?どうやって?」 エッセンはちょっと唇に指を乗せた。リキュルはそれで分かり、小さく頭を振った。 「いや……エグス、私も感情的になってしまって……すまない」 「俺のこと嫌がってた理由、コレだったんだな」 モノの証である刻印を忌々しそうににらみつけ、エグスは続けた。心なしか泣きそうな顔をして。 「こんなの……付けられて、辛かったろ……」 ヴィネガも優しく言った。 「一人で何でも背負い込まないで。私たちがいるじゃない、ね?」 「……すまない……皆……私は……!」 翼が出ていたが、彼は気にもとめず初めて皆の前で涙した。 次の日、彼はヴィネガから驚くべき事実を聞かされた。『CRLDE』が人型になったというのだ。いくら速くても4,5日はするものを、あの生き物はたった一日で変化してしまった。 「今日からでもすぐに『改革』を行えるわ!……あ……ごめんなさい……」 リキュルは眉をつり上げただけで何も言わなかった。ただ一言、開始してもかまわないとだけしか言わなかった。 (リキュルも辛いのよね) 医務室から出て、ヴィネガはため息を付いた。気を必死で張り詰めている様子が彼女には辛かった。胸を押さえる。悲しくて可哀想で、涙が出そうだった。エグスとすれ違い、呼び止められる。 「ヴィネガ!」 「何?」 「あいつ……コーダの方だけど……俺が指示しておいた」 「あらそう……ありがとう……どこ行くの?」 エグスは照れたように頭を掻くと、医務室だと答えた。 「お見舞い?珍しいわね、あんなに嫌ってたのに」 「あんな顔されちゃあ……あんな過去があったら……ほっとけねーよ」 エッセンが鼻歌を歌いながらやって来た。機嫌がいいらしい。 「どうしたの?ご機嫌じゃない」 「うふふ……あの子、私のこと好きみたい」 「コーダ?」 「そうよ。私といると機嫌がいいの」 エグスは少し考えて、言った。 「リキュルといた方が案外もっと機嫌良くなったりして」 あら、ありえるわね、と彼女はあっさり納得した。 「怪我させたりしないようにしなくちゃね」 「そうね」 一方、リキュルは医務室に入ってきた白い青年と話をしていた。ポニィティルにした真っ白な髪と、動脈血の紅い瞳の青年と。 「辛いか?」 彼はそれだけ言うと、ベッドの縁に腰を下ろした。リキュルには、それがあの『アルヴィノ』の子供だと言うことが直感で分かった。黙ってうなずく。 「そうか」 「仕事は……どうした?」 「これから行く」 コーダはじっとリキュルを見つめた。感情の起伏のない瞳だが、今は好奇心に彩られている。 「お前は、俺と一緒だった」 彼はそう言って、両手でリキュルのとがった耳を引っ張った。 「いて」 「今は違うが、確かに俺は“魔狼”だ。お前だけ俺の心の声を聞いてくれた。俺を拾ってくれた」 その後、彼はリキュルの義手に触れた。硬い感触が、昨日噛みついて駄目にしてしまったリキュルの腕を思い出させる。 「……仕事の時間だ……」 「無理をするなよ、コーダ。初仕事だからな」 少し辛そうに言った彼に、コーダは軽く手を振った。彼の表情の意味も知らずに。 その四日後。リキュルの体もだいぶ良くなり、仕事に復帰できたときに事件は起こった。 暗やみに紛れて、一人の白い青年が姿を現した。上層管理職の一人の家に忍び込んだところだ。暗い廊下を音も立てずに走り抜け、家の主の寝室にするりと入り込む。息を殺してベッドに近づいた、その刹那。男の高笑いが聞こえた。 「やはり現れたな、暗殺者め!!とっくの昔に知っておったわ!!」 続いて槍や剣の嵐。それを軽い身のこなしでかわすと、ターゲット目指して走る。左手を伸ばして、男の喉元を掴んだ。捕まれてもなおにやりと笑う男に疑問を感じた時、腕の付け根に痛みが走った。ざっくりと斬られている。そのせいで手の力がゆるみ、男に逃げられた。 「私の可愛いガーディアンよ!!八つ裂きにしてしまえ!!」 呼びかけに答え、ガーディアンがコーダの負傷した腕を掴んだ。傷口を裂くように引っ張る。ブチブチという嫌な音が聞こえ、さすがのコーダも声を上げた。 「くっ……!がぁっ……」 「腕を引きちぎってしまえ!!」 力が更に加えられ、コーダは身をよじった。そのついでに右腕を思いきり振り回し、ガーディアンの顔の皮を引きむしってやる。悲鳴と共に放され着地した。ガーディアンにとどめを刺してゆらりと立ち上がり、男を冷たい目で見た。 (……うかつだった) 雨に打たれながら、白い青年は思った。左肩から指の先にかけてまるきり感覚がない。ちらりと肩を見ると骨が見えた。あの女性……エッセンに頼んで治してもらっても、おそらく動かないだろう。コーダは舌打ちをした。きっと自分が通ってきた道は流した血で赤いだろう。倒れ込み、意識が途切れた。 「―――大体お前は考えなさすぎだ!いいか、ただ闇雲に突っかかっていくわけじゃないんだ!!そんな戦い方をすれば返り討ちにあうことぐらい分かるだろう!!」 リキュルの説教は長い。怒り狂っているためか、翼が出ている。自分にも小さかったが翼が付いていたことを思い出しつつ、コーダは聞き流していた。 瞳が怒りと心配とで、緑色の炎が揺らめいているように見える。耳や牙が先祖帰りを起こして(魔狼の特徴で、翼がでるとこうなってしまう)いた。 綺麗な瞳だと思った。今の今まで死に顔と無様な命乞いを見、聞いてきた。醜いものだった。しかし、リキュルといると気持ちが落ち着く。純粋に綺麗だと思った。(彼はやましい心なんて知らないし、そんな感情があること自体知らないのである) コーダが凝視しているので、リキュルも言葉を止めた。 「……?何だ、私の顔に何か付いているか?」 人の形をした合成新生物は、ちらりとリキュルの手を見……片方は義手で、もう片方は胃薬を握っている……言った。 「綺麗だ」 そしてちょっと考え、誤解をしているであろうリキュルのため、付け加えた。 「お前の、目が」 呆けているリキュルに、コーダは更に付け加えた。 「緑色の炎が、上等の宝石の中にあるようだ」 そこでリキュルは分かったのか、あぁ、と言い、 「お前の目も、真っ赤な上等のルビーみたいだ」 と笑った。コーダもそれを見て、少し笑った。彼はよほど強い感情でないと表に出ないため、相当嬉しかったのだろう。リキュルはそっとコーダの頭を撫でた。 この手の感触を忘れないようにしよう。コーダはそう思った。リキュルからもらった水晶のリングが黒曜石の鎖に当たって、ちゃらりと音を立てた。 ……それから三年後、彼は『白獣』として世から怖れられるようになる……そして『四大頭』の力が世の腐敗をくい止め、民に熱く歓迎されるようになる…… 〜「合成新生物」 了〜 |
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