深キ森ニ生キル者

一章


 目を覚ます。体を起こし、伸びをした。
「夢か……ずいぶんと昔の夢だな」
 彼女は呟き、ベッドから降りた。
 あの雨の日から七年。父に命じられたとおり、ハンターに身をやつして森の観察を行っている。
 この仕事がうまくいけば、父から愛してもらえる。それだけが彼女の支えであった。
「ケリィ、仕事だ」
 相棒のニップの声がする。彼女は――ケリィと新たに名づけられた彼女は返事をした。
「分かった。今行く」
 白い鉢巻を締め、手首に石のはまった腕輪をつける。『武器ノ石』は、この機ノ国の特産物だ。紅鮮石という魔力を持つ石に、特殊な方法で鍛えた武具を封じる。元々は一部の人間にしか伝わっていない製法だったが、それをこの国の王が広めたのだ。今では最も一般的なハンターの武器として使われている。
 ケリィは青緑の瞳をわずかに細め、しばし石に目を落とす。
(父上の武器として動く私は、果たしてこの石のように役に立っているのだろうか)
 小さく頭を振る。男のように短く切り込んだ髪が、合わせて揺れた。
(いや。疑問に思っていては始まらない。そうならなければならないのだ。この命が尽きても、父上の命を遂行しなければ)
「私の命は、父上のためにある……」
 拳を軽く胸に当てて呟き、それから扉を開けた。仕事だ。

 静かな境地に銃声が木霊する。
「待て!」
 石から生えた『銃』を二丁構え、先を逃げる男の足へと撃ち込む。無益な殺生は禁じられている。殺さずに連行することが重要だ。
 男は重罪指名手配グループのリーダーだった。放火、殺人、ありとあらゆることをやった。仲間は全て捕らえられている。
「止まれッ!」
 眠レル森はもう目の前だ。霧がまるで生き物のように動いている。
 入れないことを悟ってか、男は立ち止まった。間合いを取り、ケリィも足を止める。眉間に照準を合わせて、低く告げる。
「重罪指名手配人、リゼンダ。お前を連行する。抵抗すれば撃つぞ」
 大柄な男は怯えたように目をぎょろつかせ、おずおずと手を挙げた。
「よし」
 銃身を下ろし、石の中に戻してから近づいた。
 近づいてから気づいた。男はにやりと笑みを浮かべて腕を振りかぶる。どこに隠し持っていたか、解体に使用する小型刀だ。このまま行けば、頭を割られる。防御も間に合わない。
(しまった――)
 思わず目を閉じた。
 が、次の瞬間に聞こえたのは、男の叫び声、呻き声それから倒れる音だった。目を開ける。乾いた土の上に伸びている手配人と、肩から上が獣の体毛に包まれた男が一人。
「ニップ……」
 振り向く顔は狼のそれだ。紫がかった灰の毛並みを風に撫でさせながら、かすかに頭を傾ける。
「相変わらず甘ちゃんだな、ケリィ。お前と組むと大変だ」
 言葉の割に、彼の様子はそうでもない。太い尾をぱたりと揺らして、愉快そうに目を細めた。余裕の表情である。
「……あんたは十五年もハンターをしているからだ」
 それが悔しくて、ケリィは苦し紛れの言い返しを試みた。が、このベテランの半獣ハンターには通用しなかったようだ。
「さあ、戻ろうぜ」
 半獣、特に肉食獣系は力が強い。自分の倍以上も重そうな男の体を、片腕で軽々持ち上げている。力だけでなく、狼の嗅覚を併せ持つこの男は、違法薬物の取り締まりにも一役買うほどの腕を持つ。
 ギルドに入ったばかりのころは、ひたすらに敵視していたんだっけ。ケリィは人間の背中と動物の頭を眺めながら思い返す。ニップに突っかかる度「ひよっこが俺に食いつくのはまだ早いぜ」と笑われたものである。まさか肩を並べて仕事をする日が来るとは、今では目標ですらあるなどとは、当時の自分には思いも寄らぬことだったろう。
「どうした」
 一度足を止めて、ニップが尋ねてくる。
「いいや。昔を思い出していただけだよ。いくらひよこでも甘ちゃんでも、昔と比べれば成長しているんだってね」
「まだ殻くっつけたひよこちゃんが何を言うか。俺にしてみりゃちっとも成長してないぜ」
 狼は言い、豪快に笑った。空いた手で髪をかき回され、わざと怒った振りをして払う。いつの間にか、他愛も無いじゃれあいが心地よくなっていた。
 街に戻ると、石畳をたたく硬いひづめの音が近づいてくる。小柄な体が街並みの間から現れる。
「ケリィ!」
「アイビィ、ただいま」
 愛らしい顔は真っ青だ。くるくると動く大きな目も、今に泣き出しそうに潤んでいた。少し向こうの曲がり角に、花車が放置されているのが見える。
「どこも怪我してない!? 相手、重罪犯罪者だったんでしょ!? 怪我は、怪我!」
「ちょ、アイビィ、落ち着いて」
 往来の場で服すらはぎ取りそうな剣幕に、ケリィは苦笑するしかない。細い肩を両手で包み込み、そっと引き離す。
「私は大丈夫だ。それより、ニップが少し怪我をしているんだ」
 言いながら、後ろに控える狼男へと目をやった。
 怪我に気づいたのは、街の門をくぐったときだった。気絶している男を彼が抱えなおした際に、ケリィはたくましい腕に走る紅の傷口を見つけたのである。おそらく男を殴り倒したときに付けられたのだろう。
 曰く「舐めときゃ治る」らしいが。
「え? ……ああ、これね。どうしたの、あんたらしくないね」
「ちょいとな」
「任せて。これくらいの傷なら、森からの生気を流し込むだけで済むから」
 言うと、彼女は両手を傷口にかざした。動かないで、と呟くように告げてから、詠唱に入る。
「森林の奥にて静寂を育みたる、大地の守護者よ。汝の持ちたもうその命の息吹を、傷つきし彼の者へ注ぎたまえ」
 アイビスが言葉を紡ぐたびに、傷口へ碧色の輝きが吸収されていく。
 この世界は力アル言ノ葉にて神々と結ばれている。彼女の詠唱を聞くたびに、ケリィは昔城で読んだ書物の一説を、そして母の言葉を思い出すのだった。言ノ葉は遠く、近く、ゆらゆらと揺らめくような響きを帯びていて、まるで海の波を彷彿とさせる。
 ケリィは治療が終わるまで、じっと言葉の波に身を浸していた。
「治療、終わったよ。痛みは?」
「無い。さすがギルド専属の治癒師(リカバリング)だな、アイビィ」
 聞けば、彼女の遠い故郷には、そうした不思議な力を持つ人々が数多くいるのだという。ケリィの知人で「奇跡」の力を使うものは数えるほどしかいなかったが、嫌だと思ったことはない。
 昔は母にせがんで、「奇跡」を使ってもらったから。
(――父上は)
 ふと、ケリィの脳裏に暗い影が落ちる。
(父上は、このようなマネゴトがお嫌いだったな……)
 不思議な力の話をする度に、父は表情を嫌悪に歪めて怒鳴るのだった。神や精霊など、この世には存在しない。ゆえにそのような力など、あるはずもないのだと。
「ケリィ? どうしたの」
 アイビスと目が合った。ニップも怪訝そうに、ケリィを見つめている。
「あ……な、何でもないんだ。大丈夫。それよりも、今回の仕事の結果報告をしなくちゃいけない。行こう、ニップ」
 きちんと笑えたか不安だが、先に立つことでうまく顔を隠すことができた。ケリィはそのまま真っ直ぐに、ギルドの黒い看板を目指して歩いていった。

(訂正:2007.7.1)

→二章

 

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