Importante Esprit
第二章


 雨。雨が、降っていた。視界は灰色に染まり、重く垂れ込めた空からは、しきりに水の粒が落ちてくる。時と同じく、裂かれた人工皮膚の上を滑っていく。
 廃棄場にある廃棄物は、南東にある港町から船で運ばれ、東の大陸にある渓谷へ行く。つまりは処分されるために集められた、壊れた機械の溜まり場だった。
 情報でしか知らなかった場所に、まさか自分がいることになろうとは。皮肉なことである。
 隣には、無残にも千切れた自分の下半身が横たわっている。傍に自分の部品がある確率は、ほぼ無きに等しかった。これを奇跡というのならば、およそ3000年以上も起動している己の『意識』もまた、奇跡なのだろう。
 ならば何度も何度となく、過ぎ去った記録映像を呼び戻し、繰り返しあの人の面影を眺めている己の存在は果たして、奇跡と呼べるのだろうか。
『へぇ。まだ動いてるんだね。こんなに苔が生えてるのに』
 と――幼い少年の言葉が、届いた。次いで灰色の中に、金が混じる。
『形状は擬人型機械人形、3000年以上も昔のものか。戦闘用の機械人形ということは、カレンドラの廃棄物だな。鉄くずの中に埋もれてたみたいだから、誰も気づかなかったみたいだね』
 金色の髪をした、少年だった。夕日を写し取ったかのような、鮮やかな瞳を細めている。
 残りわずかな動力源を用いて、問い掛けた。
『……――お前は、誰だ』
『これは驚きだ。話ができるのか。丁度いい。給仕用の機械人形が欲しかったんだよね』
 圧迫されていた胸部が、衝撃と共に軽くなった。魔術の波動に、探知機が反応する。
『それに、擬人形式の機械人形、それも戦闘用は初めて見る。いい機会だから、研究も進めてみようかな』
 鉄くずの中から引っ張り出される。こうして見ると、少年は大分小柄だった。
『技師か』
『そうとも言えるけど、どちらかと言えば魔術師さ。天才的なね』
 少年は答えながら、わずかに口元を歪めてみせた。あの人とは大分異なるが、それは確かに『笑み』だった。
『私を、直すのか』
『直さなくちゃ使えないだろ』
 それは、新たな体になるということだろうか。それならば、頼まねばなるまい。
『……頼みが、ある』
『機械人形のくせに頼みごと? 面白いな。聞いてあげるよ』
 もうこれ以上、記録の再生をしないように。もうこれ以上、過去のことに囚われぬように。もうこれ以上、あの人の面影を追わぬように。あの人はもう、いないのだから。
 願い事を、口にした。

* * *

 アーティチョークは目を開き、体を起こした。周囲を見回し、野宿していたことを思い出す。
 炎がちらちらと踊り、眠る主人の顔に陰影をつけている。少し離れた樹木の根元には、槍を抱えて座るディルの姿があった。眠っているのかどうかは、この場所からでは分からない。
「……随分昔の記録が出てきましたね……」
 機械人形は睡眠を必要としない。代わりに、過去の記録を整理し消去することが、言うなれば人間の睡眠にあたる行為だった。その際に、過去の映像が起動される場合がある。人間で言うところの夢に当たるわけだが、機械人形のそれはあくまでも記録に過ぎない。記録に過ぎない分だけ、正確でもあった。
「……ご主人様と初めて会ったときの……今から五年前、ですか」
 クラーリーに視線を移す。かぶっていた毛布がずれて、肩がむき出しになっていた。目を閉じた表情は幼く、彼が十と三年しか生きていないことを物語っている。あどけなく、子どもらしい。
 自然と笑みがこぼれた。
「風邪を引きますよ、ご主人様」
 この辺りは夜になると冷えてくる。機械人形に温度感覚は無いが、体内の計測器が気温の低さを訴えていた。
 主が常に万全であるよう気を配るのも、給仕係の役目。毛布を直し、さらに自分の毛布もかけてやる。
「これでよし」
 クラーリーの毛布をもう一度直してから、アーティチョークは再び腰を落ち着けた。
「……お前は」
 ふと、声をかけられる。
「あ、ディルさん。起きてらっしゃったですか? それとも、起こしちゃったですか?」
 彼は首を振り、起きていたのだ、と呟いた。話がしやすいようにと、アーティチョークはディルの近くへ寄る。
「機械人形、なのか?」
「はい、そうですよ。給仕係として、ご主人様のお世話をさせていただいています。とは言っても、元々は戦闘用でしたから……給仕係としての機能は、後からご主人様がつけてくださったんです」
 火の中で、薪の弾ける音がした。
「戦闘用?」
「はい。私、3000年以上前の戦闘用擬人型機械人形なんです。壊れて捨てられて、東の大陸にある谷……ええっと、『機械渓谷(レム・ダウカス)』に連れて行かれる前に、ご主人様が拾ってくれました」
 言いながら、彼女は苦笑する。
「ですから、給仕よりも戦闘の方が得意ですよ。給仕係としての機能性を見れば、本当に駄目駄目の中古品です。ご主人様にも、そのことでよく怒られるです」
 数刻の間が、流れた。
「……逃げたいと、思ったことはないのか」
 投げられた問いに少しだけ、思考をめぐらせる。人工知能に収められた記録を検索し、今までのものと照らし合わせ、結果を自分の感情に当てはめる。
 アーティチョークは笑って、答えた。
「はい。ご主人様のお言葉は事実ですし、それでも私を使ってくださる。嬉しいです」
 彼は驚いたように目を瞬いた。それから眉根を寄せ、質問を重ねる。
「……嬉しい?」
「はい。給仕としては全然駄目ですけど、戦いのときにご主人様を守ってさしあげられる。それが嬉しいですよ。私の能力を、ご主人様を守るために使えるのが嬉しいです」
 素直に、思ったことを、ありのままに彼女は伝える。
「たまにちょっと悲しくなったりしますけど、逃げたいと思ったことはないです。不思議ですけど、何よりもまず、ご主人様を守りたいんですよ。昔何かあったのかもしれないですねえ」
 擬似人格を与えられる前、一番古い記録の前に何があったのか、アーティチョークは一切覚えていない。自分が以前どのような名前だったのかも、どうして壊されて捨てられたのかも、そもそも無いはずの感情をどうして持っているのかも、そして「あの人」とは一体誰なのかも、全く分からなかった。
「記録がないのか?」
「はい。私が擬似人格をもらってからの五年間しか、ないです。もっとあるのかもしれないですけど、全然思い出せなくて……」
 傭兵は静かに首を振り、空を仰ぐ。何事かを考え込んでいるかのようにも思えた。邪魔をしないよう、主に再び目を向ける。クラーリーはこちらに背を向けていた。寝返りを打ったのだろう、金の髪が広がり、炎に照らされてきらめいている。
 アーティチョークは、クラーリーが無事でさえいればそれで満足だった。もしかしたらこの義務感は、失われた記録に関係しているのかもしれない。
 守らなければ、と思う。以前のような無力感は、もう二度と味わいたくないと思う。だが、その「以前」がいつを示すのか、なぜこうまでして守りたいのか、理由を知る術を持っていなかった。
「つまらぬことを聞いたな」
 唐突に低く、返される。
「え? いいえ、そんな! 大丈夫ですよ、ディルさん。気にしないでください。私は平気ですから」
 我に返り、慌てて首を振る。相手の様子をちらと見やれば、彼はアカカズラの瞳をすがめて自分の足先を眺めていた。
 今までの態度から割り出すと、どうも人と対峙することは得意でないらしい。よく足下や遠くに焦点が合っているのは、目を合わせることが苦手ゆえなのか。
「ディルさんはあんまりおしゃべりしないですね。聞くほうが好きですか?」
 何となく発した問い掛けに対し、ディルが困ったように呻いた。木々がざわめき、炎が揺らめき、近くのヨナキバトが一つ鳴く。その後にようやく、かすれた返事が投げられた。
「……話すことは、好きではない」
「あっ! ご、ごめんなさい……私、そんなことも気づかないで……」
 だから簡潔な文章でしか話さなかったのか。アーティチョークは自分のうかつさに肩を落とす。
 人間の数少ない言葉から、どれだけの情報を引き出し、どれだけ効率よく人間の要望に応えるか。それによって、機械人形としての質が決まる。ましてや人間の世話をする給仕係となれば、ことさら迅速な対応が求められるのに。
「駄目駄目、ですね。やっぱり」
 呟きと共に、薪がはぜる。吹き上がった火の粉は、蒼い闇の中に消えていった。夜の風はなお冷えて、炎をいたずらに揺らしていく。ディルは何も言わない。
 しばしの時が流れ、ふと計測器の変動を感知した。先ほどよりも随分と下がっている。ディルは何も羽織っていない。むき出しの首筋が寒々しい。
「あ、ディルさん。寒くないですか」
 否定の意を示して、片手が振られた。軋む金属の声が、風にさらわれていく。
「でも、この地域の夜は……人間には寒いですよ」
 再び金属が音を立てる。炎の光が、傭兵の横顔を鮮やかに彩った。
「俺は寝る」
「あ……そ、そうですか。せめて毛布をどうぞ」
「こんな気温、寒いとは言わん」
 言った後、ディルは長く息をつき、そして沈黙した。
 首をめぐらせる。幼い主人がくしゃみをするのが聞こえた。見れば、毛布を全て蹴飛ばしている。
「もう、ご主人様ったら」
 アーティチョークは笑みを浮かべ、主の華奢な肩に毛布をかけなおしてやるのだった。


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