Importante Esprit
第一章


 灼熱の炎が、魔物を包み込む。
「フッ……この大天才クラーリー=スクラレア様を襲うなんて、百万年早い」
 決め台詞を投げた後、彼は連れの悲鳴を聞いた。
「きゃぁぁあぁぁ!! 怖いです、いやぁぁぁ!! こっち来ないでくださぁぁぁいい!!」
 続いて頭上を魔物の影が横切る。翼を持つ種類ではないので、連れに投げ飛ばされたのだろう。遠くに落下する魔物を見止めた後、クラーリーは視線を連れに戻す。
 給仕姿のままの連れが、最後の一体の腕を折って投げ飛ばすところであった。
「……アーティ……お前なぁ……」
 思わず呆れた声が漏れるも、連れは大して気にしていないらしかった。
「あっ、ご主人様! 大丈夫ですか? お怪我はありません?」
 給仕用の擬人型機械人形(ヴィンカ レム・キトル)、元戦闘用擬人型機械人形アーティチョーク。その力は岩をも砕き、その頭脳はヒヨコに劣る。人間で言うなら脳みそ筋肉系、とでもいうのだろうか。クラーリーはちらりと考えた。
(……何にせよ、性質が悪いな)
「ご主人様?」
 心配そうな給仕係に、何でもないと手を振る。
「それよりお前、大丈夫か? 修繕が面倒だから、できれば傷とか作ってほしくないんだけど」
 アーティチョークは少しだけ考えるそぶりを見せ、おもむろに腕を回し始めた。首を回し、足の具合を確かめ、軽く自分のこめかみをたたくと、笑う。
「現在のところ異常はありません、ご主人様」
「いや、そういうことじゃないんだけどさ……まぁいいや。どっちみち中身修理より外身修理のほうが楽だし……暗くなってくる前に、さっさと次の町に着かなくちゃ。野宿なんてごめんだよ」
 と、おもむろにアーティチョークが後ろを振り返った。つられてクラーリーも同じ方角を向く。パースリーの呪いのスポット『石の塔』が、遠くにぽつりと見えた。夕闇に溶けていく細長い影とは別に、その根元に灯る明かりがくっきりとしてくる。
「……何やってんだよ」
「え? あ、いいえ。ただ、何となく寂しいな、なんて……パースリーの誰にも、ご挨拶してこなかったですから」
 名残惜しげに塔を眺め、アーティチョークが呟く。クラーリーは彼女を一瞥すると、小さく鼻を鳴らした。
「挨拶だって? 馬鹿言え。僕みたいな大天才が、あんな下等生物共に頭を下げるなんてこと、できるわけないだろ」
「あ……い、いいえ……でも……そんな、そんなこと」
 吐き捨てた言葉に、抗議しようとする。疲れも相まって、クラーリーの語調は鋭くなった。
「ほら、行くぞ。何やってるんだよ。あー疲れた、早く宿屋で休みたいよ」
 コムフリーを拾い、返事を返すアーティチョークは、なおも視線をパースリーへと投げていた。

 かくして、パースリーを出発してから半日後、彼らは最寄の町ナスターへとたどり着いた。魔物払いの護符がついた門を開け、陽が沈んでもなお活気付いている通りを歩く。
「小腹が空いたな。休む前に何かつまんでいくか」
「ご主人様がそうおっしゃるなら、そうしましょうか」
 小さな飯屋に入った。酒場も兼用らしく、かすかに酒の香りが流れてくる。客はまばらだった。そのまま適当な場所に座って息をつく。周囲を見回すと、すぐ隣の席で一人の男がグラスを傾けていた。
 中途半端に伸びた髪は、灯かりの関係でか濃い緑色にも見える。酒に強いらしく、空になった瓶が二本置いてあった。
(……旅人か? いや……傭兵(カラム)、か)
 男の隣に立てかけられているもので納得する。
 槍だ。かなり長い。先端が布でくるんであるが、おそらくはそこが刃なのだろう。服装も、よく観察すれば体に密着する形の簡素なものだった。戦闘を中心とする傭兵ならば、それもうなずける。鎧を着用しないのも、傭兵の特徴だ。布の余り部分や手袋の口部分は、包帯で固定して動きを妨げないようにしている。
 年は二十四から五といったところか。細身の長身だが、戦いを生業とする者らしい体つきをしている。どこかから流れてきたのだろう。少なくともこの辺りの出身ではないことは、一目瞭然だった。
(南に行くのか、それともこの辺で活動するつもりか……)
 もう少しよく観察しようと、クラーリーは身を乗り出した。同時に男の視線とぶつかる。左目は髪に隠れているが、右目はアカカズラの果実酒のような、濃い紅紫色だった。
 思わず乗り出した体を引く。
(うわっ……なかなかに強烈な色だな、気味悪い……しかもまるで野生のケダモノみたいだ、嫌な目をしてるよ……まぁ、傭兵は金さえ出せばなんでもやるような野蛮な下等生物どもだからな、それも当然か)
 男は不信そうに眉を寄せていたが、漂う空気を感じ取ったのだろう。黙ったまま、席に金を置いて立ち上がった。それからわき目も振らず、扉へと向かっていく。その足音に金属音が混じっていることに、クラーリーは気づいた。
「なるほど……義足、ね。南のほうには腕のいい技師がいるらしいから、おおむねそこにでも行くんだろ」
「ご主人様、義足さんが欲しいですか? 義足さんはとっても大変らしいですよ」
「お前何の話してるんだよ。回路が切れたか、後で調整……」
 突如、表でわめき声があがった。次いで慌しい足音とどよめきが起こる。
「何だ?」
「何だか楽しそうですねぇ、行ってみましょうよ、ご主人様」
 クラーリーが止めるよりも早く、アーティチョークは外に飛び出してしまった。飯を運んできた主人に仕方がなく断りを入れ、給仕役の後を追う。
 野次馬の群れを潜り抜けると、最前列に彼女が陣取っていた。
「ご主人様、大変ですよぉ。さっきの傭兵さんが困ってます」
 会話の内容を聞いている限り、どうやら肩がぶつかっただとか、そういった低次元の争いらしい。
 絡んでいるのはいかにもな風体の男たちだ。髪の毛を剃り、代わりに毒々しい模様の刺青を彫り込んでいる。その他にも数人同じような男たちがいるが、クラーリーは数える気にもならなかった。
「兄ちゃん兄ちゃん、ここは一つ謝るのが筋ってもんだろー? 俺の仲間が痛がってるしぃ」
 やけに粘ついた口調で、男が言う。男の隣でわざとらしく腕を押さえているのが、件の仲間とやららしい。一方先ほどの傭兵は、黙ったまま目の前の男をにらみあげている。
「おいてめぇ、だんまりはいただけねぇなあ? こちとら大事な仲間が怪我させられたんだぜ?」
 傭兵は答えない。その態度が気に喰わなかったのか、男たちが逆上し始めた。
 リーダーらしき男が、腰から肉厚の短剣を抜いて突きつける。額には青筋が立ち、目も殺気にぎらついている。
「こいつ、なめてんのか!? 俺を誰だと思ってやがる!」
「そうだそうだ! カルダさんを怒らせたら、どうなるかわからねえのかよ!」
 周囲から悲嘆のため息が漏れた。
『あぁ、あの傭兵もかわいそうに……ただじゃすまされないだろうな……』
『運が悪かったのね……』
『ここいら一帯荒らして回ってる野郎に捕まっちまうなんてな……いくら傭兵さんでも、さすがに……』
 頭上から降ってくる野次馬の話し声を拾いながら、クラーリーは分析を図る。
「カルダ、ね……この辺りを縄張りとする、通称『騒ぎ屋』のカルダか……ふぅん」
 旅人を相手に強盗、近隣の村や町に恐喝、拉致など悪さを尽くし、領国騎士団(ヴェリス)に追い回されている男だった。力にものを言わせるやり方により、けが人も出ている。
「ご主人様、どうしましょう、あの人危ないの持ってますよ」
 アーティチョークはおろおろしている。クラーリーの羽織を引っ張ってみたり、自分の前掛けを引っ張ってみたり、何かと気ぜわしい。
「別に。正直に言えば、あんな馬鹿面下げた下等生物のいざこざや御託や口上とか身分とか、どうでもいいんだよね。僕にしてみれば、まぁ僕以外の生き物はみんな須らく平等に下等生物なわけだし」
 この言葉がどうやら親玉の耳に入ったらしい。カルダの矛先がクラーリーへと向けられる。
「おいそこのクソガキ!! てめぇ、誰に向かってその口利いてやがんだ!」
「少なくとも君みたいな下等生物に向ける言葉なんか持ち合わせてないかな。それはともかく、この大天才クラーリー=スクラレア様に向けてクソガキと言った罪は重いかもしれないけどね。とりあえずそれは訂正してもらおうかな」
 鼻を鳴らし、顎をあげて相手を見やる。カルダの額に浮いていた青筋の数が増えた。
「このクソガキが! ここで誰が一番力を持ってるか、教えてやらぁ!! かかれぇっ!!」
 手下が短剣に武具を持ち出した。携帯に便利な武器ばかり持ち込んだということだろう。とすると、普段他の村や町を襲う際に使用していることになる。
「困るなぁ。僕、こういう野蛮な戦いは好きじゃないんだけど。第一思考がかき乱されて、考えがまとまらないんだよね」
 考察を展開しながら、クラーリーはぼやいた。
「それにしても、ホント力任せだよね。筋肉隆々で、いかにもお馬鹿です、なんて言ってるようなものだったけどさ。まさか本当にこんなのとはねぇ」
 クラーリーの本心は、相手の神経を逆なでしたようだった。逆上した部下その一が、雄叫びをあげて突っかかってくる。感情に駆られた太刀筋は読みやすい。興味本意で読んだ『戦いの心得』の一節を思い描きつつ、軽く左へ体を傾ける。
 あの傭兵は、と視線をめぐらせれば、蹴りで相手を昏倒させていた。先ほどまで酒をあおっていたとは思えぬ身のこなしである。義足での蹴りは一撃だけだが、その一撃が重い。
「うわぁ……蹴られたくないなぁ」
 思わず呟いた瞬間、アーティチョークの悲鳴が聞こえた。目をやれば、別の男に絡まれている。短剣を彼女の喉元へ当てて、下卑た笑いを浮かべていた。
「へっへへ、お姉ちゃんかわいいねぇー。俺とちょっといいことしようぜぇ」
 クラーリーは軽く肩をすくめた。この後の悲劇は、もはや神のごとく明確である。
「嫌ああぁぁぁっ!! 来ないでくださぁぁあぁぁい!!」
 鮮やかな身のこなしで、アーティチョークが男を殴り飛ばす。落下の際に妙な音が聞こえた気もするが、あえて知らないふりをした。あれだけ頑丈そうなのだから、簡単には死なないに違いない。そう思うことにする。
「アーティ。やりすぎるなよ」
 気の抜けた声で言葉をかける、その頬を鋭く何かが横切った。
「おチビちゃん、余所見してたら細切れだぜ!」
 クラーリーのこめかみが引きつる。急速に頭の中が冷えていく。組み立てられていく公式を意識しながら、低く声を紡ぎ出した。
「おチビちゃん、ね。確かに僕は小さいが、存在価値皆無な下等生物に言われることだけは我慢できないんだよね」
 男が怯む。が、許す気などさらさら無い。クラーリーの手が、空を滑る。蒼白い燐光を放つ線が、彼の指にあわせて生み出されていく。線は円を描き、円は線を繋ぎ、やがて魔法の陣となる。
「『我が名の下に 来たれ凍れる神の息吹』」
 陣はこの世の元素を選出し、構造を組み替えて新たな力を作り出す。解き放つ鍵を、口にした。
「『――シ・グラース』」
 呪文は陣に止められた力を解放した。男の足下が、甲高い音を立てて凍りつく。氷は男の足を巻き込んで成長し、大地へと縫いとめた。
 慌てふためく男を眺めて、クラーリーは言い捨てる。
「下等生物の分際で、この僕を馬鹿にすることは許されないよ。次は無いと思いな」
 手下どもは全て行動不能となっていた。残るは親玉、カルダただ一人である。
 短剣を手に、カルダは傭兵に襲い掛かる。が、傭兵は余裕を持って避けた。反撃にかかろうと身をひねった、その刹那。
「かかったな!」
 歓喜の吠え声をあげ、カルダが足を払った。傭兵がバランスを崩す、その腕を乱暴につかんで高く掲げあげる。
「ほらみろ! 俺の方が実力者だってことが分かっただろうが!! ま、詫びの印として指四本で勘弁してやらぁ! てめぇら、逃げんじゃねぇぞ!! 公開処刑だ、次はてめぇらがこうなるかもしれねぇんだぜ!!」
 野次馬の中から、女性の短い叫びが聞こえる。カルダは満足げにうなずき、傭兵の指に短剣を当て勢いよく引いた。
 しかし、短剣は鋭い音を残して弾き返された。野次馬も、カルダ自身も呆けた顔をしている。ただ一人、当の傭兵だけが冷静だった。こともなげに短剣の刃をつかみ、へし折る。金属特有の甲高い悲鳴と共に、短剣はあっさりと二つに分断された。
「……もう終わりか」
 腰を抜かして座り込んだカルダを眺め、傭兵は呟く。手は完全に無傷である。血の流れた様子も見えない。
「ひ、お、お、おお、覚えてやがれぇぇっ!!」
 怖気づいたらしい。途中で何度も転びつつ、ちゃっかりと捨て台詞まで残して去っていく。野次馬も好奇心が満たされたゆえに、帰路につく。
 クラーリーはアーティチョークを点検した。服は多少埃がついているものの、傷は負っていないらしい。クラーリー自身の頬の傷は、既に魔術で治してある。
(それよりも……なるほど、道理であんな芸当ができたわけか)
 傭兵を眺める。皮の手袋からのぞく色は、明らかに人間の皮膚とは異なった。人工皮膚でもない。夜の闇にも似た蒼黒い金属でできた、義手であった。蒼という色を帯びる鉱物は、この世界でもただ一つしかない。
(これはちょっと、興味が沸いてきたぞ)
「ちょっと、あんたさ」
 槍を拾う男に、声をかけた。
「傭兵なんでしょ。少しあんたの商売の話するから、中に来てよ」
 アーティチョークと傭兵の男は、全く同時に目を瞬いた。


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