Importante Esprit
第一章
先の飯屋に戻り、遅い食事を取りながらの商談となった。冷めた料理は店主が作り直しており、幸いにも温かいものを胃に入れることができた。傭兵はあらかじめ己の金を使うと断った上で、酒を注文した。 「じゃあまず名前から言ってもらおうか。それから今までの経歴とかを簡潔に」 鳥肉の香草焼きを口に放り込みながら、クラーリーは言う。一息の間を置き、傭兵は低く答えた。 「ディル……だ。ガルデニアで傭兵をしていた」 「ガルデニア? ガルデニア領国か……随分大きなところで仕事してたんだね」 ここロゼヒップ領国のさらに北、オシマム山脈を最北に所有する巨大な領国がガルデニアである。領国騎士と近衛騎士(エリジェロン)は最大規模、大陸最強の腕を誇ることでも知られている。ちなみにオシマム山脈を越えた向こう側は極寒の大地、雪と氷に閉ざされた永久凍土だと、クラーリーは聞いていた。 「給金は後払いでいいね? 前払いにして逃げられたら困るから。あ、それから目的はカレンドラまでの護衛ってことで一つよろしく。それからこれは個人的希望なんだけど」 逐一うなずいていた傭兵は、クラーリーの言葉に首をかすかに傾けた。眉を寄せ、怪訝そうにクラーリーを眺めている。 「手、義手なんでしょ。たぶん足もそうだろうね。見せてもらえるかな?」 傭兵は一瞬、躊躇った。周囲に目を走らせ、聞こえるか否かほどの声で呟く。 「……他人に見られたくない」 「別にあんたの事情なんか知ったことじゃないんだけど、まぁいいか。確かにあれは衝撃映像だったしね。野次馬が集まって、面倒なことにもなりかねないか。じゃあ夕食をとり終わったら、宿屋に移動しよう」 そこでふと、気づく。 「……ディル、とか言ったね。それ本名? 偽名?」 酒を流し込んでいた傭兵は、やはり低く「本名だ」とだけ答えた。 「本名なら、名字まで名乗るのが礼儀ってもんじゃないの? 雇い主に失礼じゃないか?」 男はしばし沈黙していたが、やがて一つため息を漏らすと、 「ならば偽名でいい」 「随分投げやりな態度だね。言っておくけど、子供だからってなめた態度取ってると、痛い目見るからね。なんていったってこの僕は、天才魔術師で天才技師で天才学者その他天才の称号を持つ大天才、クラーリー=スクラレア様なんだからな」 手に持っていたチックを男の鼻先につきつけ、念を押すようににらみつける。チックの先に刺さった鳥肉が気になるのか、男は一度だけ紅紫色の視線をそちらへと投げ、またクラーリーに戻した。アーティチョークはさっぱり理解していないらしく、にこにこと笑顔を浮かべて拍手をしている。 「ともかく、今日からあんたは僕の所有物だから。そのつもりでしっかり働いてもらうからね。本来なら、傭兵なんて下賎な何でも屋、下等生物の身分最下位の職なんか、僕に無視されてしかるべきなんだよ? そんなあんたを、大天才として祭られるべきこの僕が有効活用してやるんだから。崇め奉るといいよ」 傭兵はそれ以上何も言わず、酒をあおっているだけであった。 食事を終え、宿屋へと向かう。部屋を取り、戸を閉め、早速傭兵を促した。 数刻後。惜しげもなくさらされたその姿を、クラーリーはうっとりしながら眺めた。一方のディルは、居心地が悪そうにあちこちへ視線を彷徨わせている。 「美しい……何て綺麗なんだろう……」 手を取って甲を撫でる。滑らかな金属の感触と、蒼鈍の深い色合がまた見事である。発掘された鉱物に、失われた古代の強化の術を施した、いわゆる魔金属の義手であった。 「あぁ……こんなに美しい姿を、僕は今まで見たことがない……!」 ディルがやや青ざめて腕を引く。 「ちょっと、何だよその露骨に嫌そうな顔は。別に君自身のことなんか興味ないんだよ。僕が見たかったのはこれだよ、これ」 言いながら、クラーリーは再び金属の表面に触れる。手袋をしていれば、これが義手だとは到底気づかないだろう。自然な曲線で構成された、珍しい型のものだった。 「魔金属で作られた義手っていうのは、基本的に存在しないんだ。つまりこれは、機械人形の腕と足ってことになる。内部の人工筋肉の具合から見て、『装甲人形期』のもの……しかも最高傑作『神の番人』が作られたと思われる、末期ごろのものだな。装甲型機械人形(ミノア レム・キトル)が大成していた時代……今からおよそ3600年前後ほど昔のものでね、この時期のものは大破してたり外殻がひしゃげてたりして、綺麗な形のものはほとんど見つかっていないんだよ! つまりここまで綺麗な形で残っている部分はそうそうに無いんだ! ああ幸せだ、これでいろいろと調べることができるぞ!」 興奮したクラーリーが一気にまくし立てる。が、ディルはわずかに眉を寄せて首を傾げるだけであった。 「……調べる、とは」 傭兵の問いに、クラーリーは言葉を止める。それから半眼で傭兵をにらみ、ため息をつく。 「そんなの、あんたのつけている義手義足に決まってるでしょ。愚問だよ、何聞いてたのさ。あ、そうそう。さっき言い忘れたんだけどさ、僕はあんたの所有者だから、僕の要求は全部呑んでよね。まさか嫌とは言わないよね? 僕はあんたみたいな下賎な下等生物を雇ってあげたんだから、むしろ感謝すべきだよ」 と、アーティチョークが帰ってきた。食料の買出しに行っていたらしく、紙袋からは保存食料が大量にはみ出している。 「ご主人様、お買い物終わりましたぁ。あとでご主人様の食料専用コムフリーさんに入れておきますね」 「よし。じゃあ明日出発するから、そのつもりで」 ようやく解放され、ディルが安堵の息を漏らした。 * 翌日、三人旅となった一行は、『天空に最も近き都』カレンドラを目指して出発した。本来ならば馬で旅をしたほうが楽ではあるが、生憎と貸し馬屋はカルダのために休業中とのことであった。もっとも、馬に乗った旅は何かと金がかかるため、一般人はもっぱら徒歩での旅がほとんどである。 「ったく……あの『騒ぎ屋』も面倒なことしてくれるね」 ぶつくさと文句を垂れながら、クラーリーは歩を進める。丁寧に整えられた道が、草原に横たわっている。馬のひづめのあとこそ見られるが、最近は強盗事件も相まってか、旅人はクラーリーたち以外にいないらしかった。 「ご主人様、そういえばカレンドラへの道のりって、どういった所を経由していかれるんですか?」 「そういえば考えてなかったな……」 「空間転移(トリフォリューム)はどうですか? ご主人様、研究していらっしゃったからできるんじゃないでしょうか」 「空間転移、ね……いくら大天才の僕でも、失敗して異次元に迷い込むのはごめんだよ」 太古の魔法を操ることは並大抵のことではない。空間転移は神の魔術、そうそう簡単に使えるものではない。暴発する確率が極めて高く、暴発すれば異次元に飛ばされ、二度と帰れないという危険性があるのだ。研究者は多数存在するが、今まで成功したという魔術師の記録は残っていない。 「ぬぬー……それじゃあ、やっぱり歩いていくしかないということですね」 「そういうことになるな……くそ、本当にあの男は面倒だな」 忌々しげに吐き捨てた、そのとき。 「おうおうおう! 俺様のことを呼んでるのはお前らかあぁ?」 例によって粘ついた口調が、前から飛んできた。 道の中央に陣取り、人の身長ほどもある戦斧を肩に担いでにやにやしている。似たような空気の手下どもは、今回はいないらしい。 「ええと……なんていうんだっけこういうの。呼ばれる馬鹿に踊る馬鹿か」 「うるせぇ黙れ!!」 クラーリーのぼやきに、カルダは律儀に反応を返す。意外と気にする性質のようだ。 「ともかく、昨日の落とし前はきっちりつけさせてもらうぜ!!」 と、カルダが何かを空へ掲げた。互いの距離からでは判別がつかないが、黒い石のようなものである。一瞬紅の光を放ったと思いきや、何かの群れがカルダの後ろから這い出てきた。 蒼い皮膚に二本の角、目はやたらと大きな金色で、大きく裂けた口からは鋭い牙がのぞいている。 「下級悪魔? ということは、あいつが召喚術を使ったってことか!? いやそれはありえないか、とするとやっぱりあの石のせいかな……」 召喚された悪魔の数はおよそ十五。対するこちらは三人。 ディルが穂先の布を払った。一度大きく回転させると、片手でその柄を握り締める。腰を深く落として臨戦態勢を取り、口元には笑みすら乗っている。 「戦う気満々だね……」 「ご、ご主人様! 来ますよ!」 「分かってるよ。向こうよろしく」 慌てふためく給仕係を向こうに押しやってから、クラーリーも軽く身構える。息を吸い、吐いて、素早く方陣を描き始めた。頭の中で術の構成さえしておけば、それを短時間の間に描くことなどたやすい。 カルダの太い雄叫びが響く。それを合図として、一斉に悪魔どもが襲ってきた。ばらばらと不規則な動きをしながら、悪魔の一部が飛び掛ってくる。 「『我が名の下に来たれ 燃ゆる業火の剣――エン・フラマー』」 あとから構成した魔術を解放し、まずは三体ほどを消し炭に変える。怯む悪魔に向けて、先に構成していた魔術を解き放った。 「『我が名の下に来たれ 凍れる神の息吹――シ・グラース』」 凍てつく冷気が悪魔を絡めとり、瞬時に氷の内部へ閉じ込める。悪魔をくわえ込んだ氷の柱は、息をつく間もなくひびを生み、砕け散った。これで四体。 後ろから悲鳴が聞こえた。 「きゃあぁぁぁあぁぁ!! 嫌です怖いです来ないでくださぁぁぁい!!」 容赦ない蹴りが入る。小柄な下級悪魔の体に直撃し、吹っ飛んだ悪魔は後ろの悪魔に追突し、さらに追突し、折り重なって倒れこみ、消える。他の悪魔はすっかり怖気づき、反対側に逃げようとしていた。 「は……ははは……あんなのに巻き込まれりゃ……いくら悪魔だってそりゃ無事じゃないよな……」 引きつる笑いを浮かべ、クラーリーは一人呟いた。 唐突に、鋭い風が体をたたいた。風上に思わず目を向ければ、ディルが槍を振りぬいたところであった。悪魔の体が宙を舞い、黒い血しぶきをあげて消えていく。アーティチョークの蹴りを見て逃れようとした一団が、どうやらディルの方へ向かったらしい。 残るはまたもや、カルダただ一人。ディルが槍を大きく振るうと、血で濡れた穂先は再び元の輝きを取り戻した。その反動を殺さぬまま、傭兵が『騒ぎ屋』へと刃を突きつける。顎を引き、口角を引き上げて笑っていた。楽しくて仕方が無いと、カルダを見やる瞳が雄弁に語っている。 「で、どうすんの」 第三者視点でそれを観察しながら、クラーリーがやる気なく言葉を投げる。 と、歯を噛み締めて青筋を浮かべていたカルダが、突然高笑いを始めた。 「馬鹿め、今までのは時間稼ぎにすぎないぜ!! 見ろ、こいつをぉ!!」 次いで地響き。腹の底を揺らすそれの後に、背後から現れる姿はカルダの二倍、いや三倍はある。骨の仮面をまとい、毒々しい色合の皮膚をした鬼であった。 「魔鬼、ね。ふうん。地下の鬼族の下位に所属、力は強いが頭は弱い、っと。誰かさんみたいだね」 「黙れえぇ!!」 やっぱり気にしているようだ。クラーリーは鼻を鳴らし、隣で自分の肩をたたく男を見上げる。彼はもどかしげに魔鬼を見やり、また槍で示していた。許可を待つ愛玩動物のような顔をしている。 「……うるさいなぁ……何そんな動物みたいな目してんのさ。いいよ、行ってくれば? 僕は止めないからね」 肩をすくめ、許可を出す。瞬間、ディルがにやりと笑った。 突進してくる魔鬼に対し、再び体勢を整える。両手で槍を構え、振り上げられた太い腕を迎え撃つ。咆哮は鼓膜を破るかと思うほどであったが、傭兵は姿勢を崩さない。 振り下ろされる。強靭な腕が大地を砕いた。傭兵は――いない。否、懐に飛び込んでなぎ払っていた。穂先が空を、そして魔鬼の体を分断する。恐ろしい力だ。通常の人間の腕ならば、ここまではできない。機械人形の腕により強化され、引き出された身体能力によって初めて発揮される、力。 「やっぱりあれは戦闘用の機械人形の腕なんだな……一体どれだけの機能だったんだろう……ますます興味が沸いてきたな」 呟くと同時に、頭上で妙な音が炸裂した。次いで潰れた声と、何かが落ちる音。 「ご主人様! だだだ大丈夫でしたか!? さっきの人が、斧でご主人様のこと……き、き、き、きり、きりっ」 「お前が大丈夫か」 どうやらカルダが攻撃を仕掛けようとしていたらしい。確かに魔鬼戦は、ほぼディルの独壇場だった。こちらは完全に傍観に回っていた。気を取られている隙に、後ろから仕留める気だったに違いない。 が。 「……アーティお前、手加減したか?」 「はいっ! 大丈夫ですっ! ばっちり!」 首の根元をつかまれぶらさげられるカルダは、さしずめ幼い少女にもてあそばれる玩具といったところか。身動きはしていないが、とりあえず生きているだろう。 「……まあいいや。その辺に領国騎士の駐屯所があったよな。そこにでも放置していこうか」 アーティチョークは目を見張り、それから輝かせた。カルダをその辺に投げ捨て、胸の前で手を握り締める。 「ご主人様……! この辺りに住む人たちが困らないように、悪い人をしかるべき場所に連れて行くだなんて……! 何てお優しいのでしょう! アーティは感激いたしましたっ!!」 嫌な予感がする。戻ってくるディルが視界に入った。 (あれ、ちょっと待てよ? 何でアーティの向こうにいるのに見えるんだ?) 考えた途端、圧迫感がクラーリーを襲った。最初こそ心地よい柔らかな感触があったが、瞬時にそれは激痛に変わる。みしみしと骨が音を立てて軋んだ。 「いたたたたたっ!! ちょ、こらまて、アーティッ!! ぐはぁっ!!」 「ご主人様っ! このアーティチョーク、どこまでもご主人様についていきますっ!」 ディルの視線を感じた。何とか動く手を伸ばして助けを求める。 「く、ッ、こら、見てないで、助けろぉっ!」 が、ディルは堪えるように口を塞ぎ、肩を震わせてうずくまってしまった。槍にもたれるようにして後ろを向いている。あからさまに笑っていた。 「このぉッ……!! お、お前、下等生物の、っくせにぃっ!! 笑うな!! ば、馬鹿!! 力を入れるなアーティ!! ぎゃあぁぁぁっ!!」 クラーリーの悲鳴だけが、のどかな草原に虚しく木霊した。 |