深キ森ニ生キル者

十章


 激しい轟音と揺れは止み、王は森の中にいた。一面に広がる深緑の最中に、部下である兵士の姿はどこにも見当たらない。
「どいつもこいつも役立たずめ……世界を掌握する私に相応しいモノは、結局これしか残らなんだか」
 吐き捨てて、腰に提げた剣を抜く。剣は気高い輝きをまとい、木漏れ日の光を鋭く反射した。王は一人、誰にともなく自慢する。
 光の女神クシイの力を宿した細身の剣で、『千年戦争』の英雄サーヴェルが最初に国王から与えられたという聖ノ国の宝。コレクションでも最高級品、聖ノ国の王女を妻にしてやった際に譲り受けたものだ。聖ノ国は世界最大の王国である。自分はその国の娘が妻にいる。つまりそれは、機ノ国もまた大国になれるということ。
 心の中で呟いても飽き足らず、王は口に出して嗤った。
「そうだ! 私はこの世界の王になる。そのためにも『生命ノ泉』を手に入れねば。どこぞの役立たずの屑のせいで手間がかかってしょうがない――」
 剣を一振りしようと身をひねった瞬間、言葉も体も凍りつく。
 少女の無表情な眼差しが、ひたと王を射抜いていた。
「ひ……ッ、い、生きていた、のか」
「お前のしてきたこと、そしてしようとしたことは」
 質問に答えず、少女は淡々と声を紡ぐ。
「森と慈愛の神ファイを嘲り、ファイの慈しむ生命を冒涜する行為だ」
 王の顔が紅くなり、次いで青ざめ、最後にはひきつれた笑みが貼りついた。
「そ、それが、何だというのだ? 私が何か間違ったことでもしたのか? 世界は技術が遅れている、ゆえに技術革新のために私が世界を治める! そのためには無能な奴らが生きるこんな世の中ではなく、もっと優れた人間だけを選抜して発展させるのだ! 私が――私が『生命ノ泉』で永らえれば、この世界はよりよいものになる!! 私は、正しいのだ!!」
 剣を構え、王はさらに嘲った。切っ先を少女の白い喉元へ突きつけて表情を歪める。なぜか震える刀身を押さえようと、彼は老いた腕に力を込めた。
「貴様らはそんな私の野望を邪魔した! 王たる私にたてついた!! この国の未来を奪った!! 罪は重いぞ、私に逆らえばどうなるか分かっているんだろうな!!」
「愚かな」
 少女は怯みもせずに言い放ち、王の面を眺めている。
「たったそれだけのために、己の子どもですら犠牲にし、抵抗できない生命たちを踏みにじるというのか」
「利用されるだけの価値のないものを使ってやっているんだ、私に感謝して使われて捨てられることもありがたいと思ってもらわねば困るな! 私が決めることは絶対、私に口出しをする者は世界を駄目にする無能ども!! 生きている意味すら私が与えてやらねばならん、ただの屑よ!!」
「愚かな」
 再度繰り返し、彼女はゆるく頭を振る。
「……命に価値のあるなしなどあるものか。世界はすべて、必要なもので構成されている。不必要なものなどありはしない。神々がそうお作りになられたのだから、世界の理は」
「ほざけ! いないものをあがめるなど旧世界の無能どもがすること!!」
 王は少女の言葉を遮り、高らかに嘲笑う。
「ここは無価値だ、私には無価値なもの、ゆえに消す!! 世界の王になる私の言うことは絶対!! この森は邪魔だ、邪魔だ、邪魔でしかない!! 森の神がどうなろうと、貴様ら無価値なゴミどもがどうなろうと、私の知ったことではない!!」
 王のこの発言が、少女の気配をついに豹変させた。
 少女の華奢な指先が剣の切っ先をつかむ。王が慌てて引こうとするが、蔦が刀身に絡められて身動きがとれない。それどころか、足も頑丈な草が巻きついてびくともしなかった。
「お前の口にしてきた言葉、お前のしてきた行為……それによって一体どれほどの命が消され、傷つけられ、歪められてきたと思う」
 違う。王はとっさに悟った。足下が固まっているのは、草が絡んでいるからではない。
 ついさっきまで人間の足であった場所が、樹木の根と同化している。そればかりではない。徐々に衣服が樹木の表皮で覆われつつある。
「お前の軽はずみな言動で、一体どれほどの者が苦しめられてきたと思う」
 剣が成す術もなく引き抜かれる。刀身は少女の鮮やかな髪を映し、深い森林の色を宿した。
「お前は生命を軽んじすぎたのだ……お前は罪を犯しすぎた」
 逃げようとしても無駄だった。王は必死で身をよじるが、表皮は止まるどころかますます厚く、硬く変化していく。助けてくれ、と哀願する王を一瞥し、少女はとつとつと言葉を折り重ねていく。
「お前はここで、汚れた大地の毒を浄化する手助けをしてもらおう。己のしたことを顧み、己の罪の重さに気づくまで――罪を償ってもらう」
 乾いた音が耳を覆っていく。口は開いたまま硬直し、救いを求めて伸ばされた手も動かなくなる。髪の毛一本に至るまで、樹木の内側に完全に閉じ込められていった。
 変化を見届けた後、少女は横たわる人影へと歩み寄る。瞳を閉ざしたまま体を丸め、微動だにしない。血の抜けた頬は白い。短く切り込んだ茶色の髪は、わずかな風に揺れて波打っていた。
「ケリィ」
 小さく、囁く。その声に反応したのだろうか、娘はほんのわずかに身じろぎした。



 海鳴り。いや、これは木々が風に身を晒しているときの音。鳥のさえずり、あれは確か『樹海の歌姫』レイディ・サルファの声。優しい風が頬を通り過ぎていく。それにあわせるかのように、目蓋の裏に光が踊る。ひとつ、ふたつ、みっつ。隙間から零れて、溢れてくる――
 ケリィはゆっくりと瞳を開けた。射るような陽光が目の奥を突き刺し、一度その眩しさに手をかざす。やがて光に慣れ、恐る恐る腕をどける。
 眼前に広がるものは、以前よりも色の深さを増した森林地帯であった。諸所に光の柱を落とし、風に吹かれて金粉を溶かし込んでいる。
「こ、れは……私……死んだん、じゃ……」
 弾丸を受けた箇所を指でなぞる。酷い出血があったはずのそこに、想像していた感触は一切無かった。
 傷がすべて塞がっている。反動をつけて飛び起き、ケリィは視界に映る自分の体を隅々まで撫でてみた。結果は依然として同じであった。
「どうして……なぜ、生きているんだ……?」
「ケリィ。目が覚めたのだな」
 唐突に届いた少女の言葉が、ケリィにはひどく懐かしい気がした。
 振り返る。背後の緑から、少女の影が現れる。愛らしくも無表情な顔と、鏡のごとき眼差し。ケリィがよく知る、物静かな少女の姿であった。
「ユプシィ! 無事だったんだな、よかった……」
 思わず駆け寄り抱きしめる。腕に抱いた温もりは、優しくケリィの心を満たしていく。鼻腔をくすぐるのは、雨上がりの森が発する新緑の柔らかな香りだ。
 一度高揚した気分が収まると、ケリィは身を離してユプシィを見つめた。まだ、頭がはっきりしていない。薄ぼんやりと霞がかかっている気がする。
 それを振り払うべく、そして現状を把握するべく、いくつかの問いを口に乗せた。
「ここは森の入り口だった場所だよな? 父上はどこに行ったのだろう……あれだけいた近衛兵たちも、武器も見えない……一体何があったんだ? それに……兄様と姉様のお体は……」
「汚れた大地を浄化するために、大地の本来持っていた力を引き出して時を早めた。ゆえに、ここはもう森の只中にある。お前の父には罪を償ってもらうため、少々変化をしてもらった。軍隊の行方は知らない。メルトとシェーラは、……」
 淡々と述べていたユプシィの瞳が、かすかに揺らいだ。蒼く澄んだその表に、太陽の金が燐光を散らす。
「……助けようとしたが、駄目だった。ここにいる」
 苔がむし、緑の生い茂る二つの小さな山がある。その頂点に、二本の小さな木があった。小さいながらに見事な葉を茂らせ、葉の上に露を乗せて美しくきらめいていた。
「これ……」
「メルトはリュムトの木、シェーラはフォトカの木。どちらも丈の低いものだが、葉も、花も、実も、すべてが貴重な薬になる」
 人の役に立ちたいのだ――兄も姉も、時折そんなことを言って笑っていた。最期まで自分の意思で、誰かのために生きていた二人の家族。彼らはこの王国の良心であり、誇りだった。
 こみ上げてくる涙を抑えようと奥歯を噛み締める。ケリィの傍らに佇む少女が、そんなケリィを眺めて小さく呟いた。
「間に合ったのは、お前だけだった」
「間に合った……?」
「お前の身体と消えていく魂を救うために、我らと同じ方法を取った」
 我らとは、すなわち森ノ民のこと。それでは同じとは、一体どういう意味なのか。
「肉体と魂を木々と同化させ、命を繋ぐ。ゆえにお前はもう、人間ではない」
 滑らかな動きで、ユプシィが先を示す。視線を前に投げ、ケリィは小さく息を飲んだ。
 みずみずしい若木の幹に、穴が空いている。ケリィの記憶と少しも違わない、この身体に撃ち込まれた銃弾の場所だった。
「死ぬときは、この木が枯れたとき……お前のその身が受けた傷、それが木の命を奪ったときだけだ」
 この体が受けた傷は、すべて分身である樹木が背負う。ということは、自分の肉体とも魂とも繋がっている木が枯れたとき、繋がっている木に還るのだろうか。『生命ノ泉』の中央で、今も静かに祈り続けているだろうあの巫女のように。
 つまり、木が寿命を迎えぬ限り、自分は半永久的に生き続けることになる。人間ではなくなったのだという衝撃こそあったものの、ケリィは自分でも驚くほど冷静に事実を受け止めることができた。
「勝手なことをしたかもしれない。だが私は……もう、大切な誰かに死んでほしくなかったのだ」
 少女の整った顔が伏せられ、目蓋が閉じられる。長いまつ毛が震え、幾筋も幾筋も水の玉が零れ落ちていった。
「ユプシィ、泣かないで」
 立ち上がり、ケリィは少女の頬を拭う。手袋をつけていない指先に、涙の温かさが染みていく。
「ありがとう。ユプシィのおかげで、私……いろんな人との約束を守ることができた。私自身の意思も、また繋いでいくことができる」
 風が止む。深い深い緑の海が、静寂に少しずつ浸されていく。
「私はここを守る。私は自分の意思でそう決めたんだ。だから、これからずっと長い時間……私が朽ち果てるまで、ここにいる。こんな悲しいことを繰り返さないように……ずっとずっと、ここにいる。人間と森を繋ぐために、私はずっと生きていく」
 自分の足で、自分の力で、自分の意思で、ここで生きていく――命を賭して守ってくれた兄姉のために、今まで関わってきた人々のために、そして今まで慈しみ、育んでくれたこの大地のために――喜んで、これからの時間を使おうではないか。
「ユプシィ。手伝ってくれるか?」
 涙を払い、少女は微笑んだ。華奢な手のひらをケリィのそれに重ね、深く、うなずいたのだった。

 少女たちの去った後、優しく笑う一人の男性がいたことを知るものはいない。当然、男性が彼女らの背に伸べたミズノキの枝葉が透きとおっていたことも、彼の足が樹木のごとく大地に深く根付いていたことも、知られることはなかった。

(初回アップ:2007.11.28)

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