プロローグ


 かつん、という音がして、少女は振り向いた。賢そうに輝く双眸は、見知らぬ侵入者を映す。
「何かご用事?」
 怖じるわけでもなく、彼女は問う。
「いえ、あなたの噂を聞きつけましてね」
 侵入者は柔らかな笑顔を浮かべて答えた。
「噂?」
「あなたのことですよ、桐御原のお嬢さん」
 少女は彼から目を離し、またコンピュータに集中した。しながらも返答をする。
「……その名前、やめてくれないかしら」
「おや? 意外だな。お嫌いで?」
「お嬢さん、って呼ばれるの、嫌いなの」
 彼は笑いながら訂正した。
「それでは桐御原さん。頼みがあるんですが」
「……そういうのは、お父様に言ってくれない? 私、取引のほうには顔を出してないから。今はいないけど、あと一ヶ月もすれば帰ってくるわ。来月の二十三日にでもまた来てくれる?」
 そこいらの小学生とは違う、本当に利口な子供だ。侵入者は口元を歪めて笑う。
「……あなたは、龍の研究をなさっているそうですね?」
 少女が振り向いた。驚きが隠せないようだ。
「有名ですよ。龍を作ろうとなさっているって」
「……正確には、龍をコンピュータグラフィックで再現しようとしてるのよ。伝説や神話で語られているドラゴンや、日本の伝承でも言われる龍神が、一体どのような姿をしているのかって。今まで集めた文献やデータを元にして、復元してみようっていう。出来るだけ細かく、私の推測も交えて復元してみようと思ってるの。それから、龍やドラゴンの持つ伝承と神話と……」
 侵入者は笑みを深くし、少女に近づいた。
「コンピュータグラフィックだけでいいのですか?」
「……え?」
「本物を、見たくありませんか?」
 少女はまじまじと侵入者の顔を見た。興味と不審がない交ぜになって、愛らしい顔にありありと浮かんでいる。
「本物です。正真正銘の本物を。作ってみたくありませんか? 本物の龍を。いえ……本物の龍を超える龍の力を」
「……あなた、本気?」
 不審を通り越して、呆れの音が見えた。
「そんなことできるわけないでしょ。あくまで龍は空想上の生き物、それを再現するのはコンピュータの中だけ。本物なんているわけないじゃないの」
「……いるとしたら?」
 自信ありげに言う侵入者に、少女はもう一度不審の色を投げる。
「この世界に、しかも日本にいるとしたらどうでしょう。彼らの力を借りれば、あなたの研究をもっとしっかりとしたものにできるのですよ。そこからもっと、神に近い存在の龍を作り出すことだってできる。あなたが神の創生者になるんですよ」
「……空想も、そこまで来ると病気ね」
 子供らしからぬ言い方で言うと、彼女は肩をすくめる。
「確かに、それはすごいことかもしれない。でも実際に見ることができないし、コミュニケーションを取れるかどうかも分からないじゃないの。それをどうやって研究して、作ることができるの?」
 彼は笑みを浮かべたまま、少女を見ていた。少女は再び呆れたように首を振り、手を挙げて帰るように示す。
「……私、あなたの空想に付き合ってあげられるほど暇じゃないの」
 侵入者は立ち去らない。笑顔のままで言葉を繋ぐ。
「やってみなくては始まらないではないですか? 論より証拠。いかがです、これは?」
 放り投げられたそれを、少女は思わず受け取った。大き目の薬瓶に入れられたそれは、どろりとした紅をしている。蓋から漏れる臭いに、少女は眉をしかめた。
「……血じゃないの」
「それを元に、入れ物を作ってごらんなさい。きっといい試作品ができるはずです。いかがですか?」
「……」
 少女は薬瓶に目を落とした。
「……確かに、ちょっとばかりクローンとかの知識はかじってるけど……うまくいくかなんて、保障がないわ」
「あなたは素晴らしい頭脳を持っていらっしゃる。それを腐らせるのにはもったいないと思いましてね。僕もいますから、安心してください」
 その言い方を聞き、少女が思い出したかのように問いかけた。
「そういえば、あなた誰?」
「ああ、失礼。僕はこういうものです」
 侵入者は丁寧に礼をし、懐から名刺を取り出すと、彼女の小さな手のひらに乗せた。しばらくそれを眺めていた彼女は、「ふうん」とだけ呟き、再三薬瓶を見た。
「機材は?」
「あなたの研究室をのぞかないと分かりませんね」
「分かったわ」
「おや、渋っていた割には」
 からかうような侵入者の言葉に、少女は別に気にした風もなく言葉を返す。
「別に。私の研究に役立つようなものだったら、乗ってもいいかなって思っただけよ」
 薬瓶を揺らし、彼女は少しの間を置く。
「……龍を作る、か」
「ええ。あなたは龍の研究をする人、ちょうどいいでしょう? その代わり、僕のことにも協力してください」
 少女は躊躇いもせずにうなずいた。侵入者は拍子抜けしたのか、沈黙する。
「あなたのすることになんか興味ないわよ。でも、手伝ってくれるっていうんだから、お返しをするのは当然じゃない」
「そうですか。それは好都合です。話すことになるのかと思っていまして、少しはらはらしてました」
「だから、私はあなたのことなんか興味ないわ。協力者はいたほうが助かるから」
「それはよかった。それではよろしくお願いしますね」
「ええ」
 少女は立ち上がり、侵入者――否、協力者と握手を交わして、ゆっくりと部屋を出て行った。


龍の血脈


(2006.4.3)



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