Importante Esprit
第二章


 朝もやの立ち込める中を進んでいく。クラーリーは髪先を伝う水分に文句を言いつつ、アーティチョークの前を歩いていた。
「ったく、寒くて目が覚めちゃったじゃないか。どうしてくれるんだよ」
「それはご主人様、ご主人様が毛布さんを蹴っ飛ばすからでありまして、お天気さんのせいではないですよ」
「あのな」半眼になりながら、彼は給仕係をにらみあげる。「この辺り一体は乾燥した草原地帯、夜になったら冷え込むのが当たり前だろうが!? 大体なんでロンガを買っておかなかったんだ!」
「ロンガさんは組み立てるのも面倒だし、邪魔になるからいらないって、ご主人様が」
「ええいうるさいっ! 僕のせいだって言いたいのか!?」
 アーティチョークの台詞を途中で遮り、クラーリーは声を荒げた。夕日を思わせる瞳は、強い苛立ちのために鋭い光を放っている。
「い、いえ、そんな」
 見かねたのか、ディルが割って入った。クラーリーの肩をつかむと、黙ったまま目配せをする。彼はいぶかしげにディルの視線を追った。
 はるか先に続く道の彼方、アーティチョークにも感知できる波がある――音の波動だった。吟遊詩人(イクテリナ)の横笛、高音領域用のフルティコに違いない。
 しかし、様子がおかしかった。音楽を奏でていない。まるで何かを呼ぶように、単一の音を長く鳴らしている。甲高い音が草原に響き、次いで違う音が重なっていく。残響を残して消えていく度、人の嘆きが空気を震わせた。
「ご主人様、聞こえますか? フルティコさんの音がします」
「聞こえないね」
 クラーリーが拗ねた口調で答える。
 やがて、音は声になっていく。道からやや外れた箇所に、人々が固まっているのが見えた。フルティコはしきりに吹き鳴らされ、後を追って誰かの名前が叫ばれている。悲愴な雰囲気が、彼らの周囲を覆っていた。
「ご主人様、あの方たち、すごく……」
 アーティチョークが次の句を続ける前に、クラーリーは結論を導いていた。
「無視するぞ」
「え、で、でも、すごく困って……」
「僕には関係ないことだろ、僕たちは急いでるんだ。あんなのに関わってたら時間の無駄」
 さも当然と言いたげに、彼は小さく笑ってみせる。それは年齢にそぐわない、歪んだ笑みだった。
「ホント、無駄だよね。ああいう下等生物の群れはさ。あれだけ集まっても何ひとつできない無能なんだから」
 瞬間、アーティチョークの内側で火花が散った。火花は回路に移り、意識にまで飛び火する。したと思った直後には、クラーリーの腕を強くつかんでいた。
「私には下等生物じゃないです! あの方たちを助けましょう、ご主人様!」
「な、アーティ!? お前、主の命令だぞ!」
 にらむクラーリーの瞳を、アーティチョークは負けじとにらみ返す。
「申し訳ありませんが、お聞き入れすることはできません。私にとって下等生物でない人たちのことを、見捨てることなんてできませんから」
 華奢な主の体では、アーティチョークの腕を振りほどけるはずもない。分かっているからこそできる、暴挙だった。一度相手を捉えてしまえばたやすいもの。何も戦闘だけのことではない。応用は意外と利くのである。
 やがてクラーリーは舌打ちし、悔しげに給仕係を押しのける。
「くそっ……! 勝手にしろ!!」
「ありがとうございます、ご主人様」
 火花は収まり、アーティチョークは主に笑顔を向けた。
 聞けば果たして、彼らは吟遊詩人の流浪集団(ポート)であった。最近この大陸に渡ってきたばかりだという。
「踊子(アルピナ)さんがいなくなったんですか……」
「そうなんです」流浪集団の代表者が、紅く腫れた眼を擦りながら答える。若い女性ではあったが、心労のためか幾分年老いて見えた。「……プリムラというのですが……少し目を離したときにはもう……既に三度夜を越しましたが、一向に見つからなくて」
 アーティチョークは音声を記録しながら、こっそりと主の様子を窺った。少し離れた場所に腰を降ろし、不機嫌そうに顔を背けている。流浪集団の大人たちが何かと言葉をかけるものの、彼は徹底的に無視を決め込んでいた。
 プリムラという少女は、どうやら魔術の素質を持っているらしい。魔術波動の確認と記録をし、鬼の形相をしているクラーリーを呼びに行く。
「ったく、下等生物どもに下衆な言葉かけられっぱなしだったじゃないか」
「私にとっては下等生物なんかじゃないですから」
 再び小さな火花が飛んで、アーティチョークはやや強い語調で返事を返した。クラーリーが何かを呟いたが、それは風にさらわれてアーティチョークには届かなかった。

 波動は、道から外れて草原より流れてくる。が、たどり着いた場所には巨大な穴が穿たれていた。緑の生い茂る周囲とは打って変わり、土の露出した色が横たわっている。
「これは……アナグモの巣だな。ここに引きずり込まれたんだろう」
 周囲を調べていたクラーリーが言う。嬉しそうだ。
「これじゃあ助からないよ。この時期のアナグモは産卵期が近いから獰猛だ、逃げることなんてできやしないさ。もう喰われて死んじゃってるかもね」
「でもご主人様」アーティチョークは再度、波動の確認をしてから問う。「魔術波は、身体機能が正常なときしか発されないものですよね?」
 クラーリーが沈黙する。
「……」
「魔術の波動は、対象が身体機能を停止していると探知できませんですよ。私は魔術師さんじゃないですから、詳しいことはよく分かりませんですけど……でも確かそうだって、ちょっと前にご主人様が教えてくださいましたから、間違いはないと思いますです」
「……」
「そうすると、やっぱりプリムラちゃんは生きているということになりますね……あ、複数の生命反応ありました! アナグモの中に、明らかにアナグモと異なる生命体がいますよ! よかったですね!」
「知るか!!」
 不機嫌極まりないクラーリーはともかく、プリムラが生きているという事実を確認できたアーティチョークは、それだけでも嬉しさを隠せないのであった。
 アナグモの巣は複雑に入り組んでおり、当然ながら灯かりすらない。巨大な体躯の生き物らしく空洞も大きかったが、それでも外と比べれば狭い。ここで戦闘になれば、圧倒的に不利であることは明確だった。
 出来うる限り音を立てず、探知機を頼りに進んでいく。暗いこともあり、クラーリーはよく自分の外套の裾を踏み、転んではアーティチョークを罵るのだった。一方ディルは慣れているのだろう。気配を殺し、影のようにアーティチョークの前を歩いている。
 クラーリーが通算十六回目の悪態をアーティチョークについたとき、ふと視界が開けた。ヒカリゴケの薄い光がある。あちらこちらに転がっているのがアナグモである。眠っているのか、全く動かない。
 と、緩やかな音色が響いてきた。アリウムの弦が奏でる優しい歌は、眠りを誘う甘い音を含んでいる。子守唄の類であることは間違いない。
 魔術の波動が強くなる。アナグモの群れの中央部に、異なる生命反応があった。
「プリムラちゃん、ですか?」
 声を抑えて尋ねれば、幼い返事が返された。
「おねえちゃん、だれ?」
 音を立てないように近づき、膝を折って目を合わせる。少女は驚いたのか、何度も大きな瞳を瞬いた。
 暗がりの中ではあるが、機械人形には暗闇も意味をなさなかった。右側に体重をかけ、足を崩して座っている。左足首部分が腫れている。足をくじいているのか。軽く手を触れて、骨の状態を看た。異常は無いことに、アーティチョークは安堵して笑いかける。
「私はアーティチョーク、クラーリー=スクラレア様の専属給仕です。あなたのお仲間さんに頼まれて、お迎えに来たんですよ」
 年は主よりも下だろうか、体はまだ少年と大差がなかった。豊かな黒髪は頭上高いところで束ねられ、緩い螺旋を描いて垂らされている。蒼い眼差しは潤み、一層彼女を幼く見せていた。
「機械人形なの?」
 吐息に混じった言葉は、かすかに震えている。
「はい、そうですよ。さ……ここから出ましょう。しっかり捕まってくださいね」
 傷に触れぬよう、優しく抱き上げる。
(昔もこんなことがありましたっけ)
 まだ小さかったクラーリーを抱えて歩くことは、よくあった。村の子どもを嘲り罵る主は、しょっちゅう怪我をして帰ってきた。くじいた足をひきずる彼を、こうして抱いていったものである。
 魔術も満足に操れなかった彼の重みと、今腕の中にいる少女のそれは、大分似通っていた。
 それでも、当時の彼の端整な横顔は嘲笑の形に歪められ、皮肉げな口調は今とほとんど同じであった。妙な切なさに駆られ、小さく頭を振る。主は今も昔も、全く変わらない。人間の心は成長するものだと、遠い昔に誰かから聞いたのに――
「アーティ、何をぐずぐずしている! 急げ!」
 我に返り、主の後を追う。気配が、動き出す。眠っていたアナグモが目を覚ましたのだ。怯えてしがみつく少女を抱きなおし、アーティチョークは闇にも鮮やかな金を目指した。

 おねえちゃんは優しいね、と、送り届けた娘は言った。
「おねえちゃん、機械人形でしょ。でも普通の機械人形は、こんなに優しくしないよ。おねえちゃんのこと、大好きになっちゃった」
 日の下で見るプリムラは、闇の中よりもはるかに幼く、はるかに愛らしい娘であった。この年齢の子どもにある無邪気さが、さらに彼女を魅力的にしている。主には無かったものだと、アーティチョークは一抹の寂しさを覚えた。
 クラーリーがその奥で顔をしかめるのが、視界に入った。思わず苦笑して、娘の小さな頭を撫でる。
「また会えるといいな。おねえちゃん、今度会ったらきっと、私のおどりを見せてあげるね」
「楽しみにしていますからね」
 流浪集団は何度も何度となく三人に礼を告げ、やがて草原の向こうへと消えていった。
「……おい、アーティ」
 手を振って別れを惜しんでいたアーティチョークに、クラーリーの鋭い声が投げられる。
「何でしょうか、ご主人様」
「礼を断ったな、お前」
 人を好意で助けることに、礼など必要ない。それに、流浪集団の旅は決して楽ではない。知識だけではあったが知っていたことが、長からの謝礼金を断った大きな理由でもあった。
 クラーリーはそれが不満らしかった。こちらとて金が無いのは同じこと、しかし立場的にはこちらのが上、ゆえに受け取って当然というのが、幼い主の主張であった。
「こっちが助けてやったんだ、あっちが金を差し出すのは当たり前だろうが」
「ご主人様、好意に報酬は必要ありません」
 去来する一片の寂しさと切なさを噛み締めながら、アーティチョークはクラーリーを諭しにかかる。
「困っている誰かを助けることこそが、尊いのです。誰かに優しさをお分けして、一緒にあったかくなれることが、素晴らしいのだと私は思います」
「くだらないな」鼻を鳴らし、主は給仕の言葉を一蹴した。「優しさを分ける? 何のために?」
「それは……」
 言いよどむアーティチョークに、クラーリーは冷たく言い捨てる。
「この世界には優劣しかないんだよ、アーティ。優れている者とそうでない下等生物とに区分される。お前だって本来なら下等生物なんだ、それをこの高尚な僕が使ってやっている。あがめ奉るだけの能も無いお前を、使ってやってるんだぞ。それを、この僕の言いつけを破るなんて……次あったらただじゃおかないからな」
 以降、彼は一言も口を開くことがなかった。怒っていることは、理解できる。しかし納得してなだめることも、考えを改めることも、無理であった。
 人間の声の周波数や音の高低から、どのような状態にあるのかを判断し、常に的確な態度を取る。給仕の基本である。
 が、アーティチョークにはそれができなかった。自分の経験記録に基づき、さらに感情を交えて判断するからだ。当然ながら、相手と意見が対立することがしばしばある。そして主には言う事を聞かぬ、自分の感情で勝手に判断して迷惑だと怒られる。今置かれている状況は、実際ならばよくある話なのだ。
 抑えて言うとおりにしようとすれば、逆に機能に支障が出てしまう。回路が焼き切れる寸前になったこともあった。人間以上に手がかかる給仕係、駄目人形、主の口からは飛び出すのは、感情を持つ機械人形に対する皮肉ばかりだった。
 感情に左右されていれば、冷静に物事を見られなくなる。もしも感情があるとするならば、それは致命的な欠陥だ――ふと、記録の中に蘇る文字の羅列があった。
 感情は、欠陥の証なのだという。誰の言葉なのか、それとも書物の一説なのか。ともかく今の自分には、おかしなくらいにふさわしい。
 アーティチョークはそっと瞳を伏せて、小さく肩を落とすのであった。

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