Importante Esprit
第三章
頭の奥が鈍く痛む。義肢の付け根も軋み、やけに熱を持っているように思う。気を張っていなければ、すぐに足を取られそうだ。 ディルは小さく息をついて、槍を肩に引き上げた。 「ディルさん? お顔の色がよろしくありませんが……大丈夫ですか」 前方を歩いていた少女が、心配そうに駆け寄ってくる。その先を行く少年は見向きもしない。白い外套の背に流れる金色の髪が、傾きかけた日光を反射して煌めいた。 小さくうなずいて、歩を進める。これくらいならばまだ平気だ、何とでもなる。頭痛がひどくなければ、の話ではあるが、月が満ちるまでには時間がある。 槍の先から重みが消える。いぶかしんで見やれば、皮で出来た荷袋は既に少女の手に収まっていた。 「お体、悪いのですか? もう日暮れになりますから、このあたりで休みましょうか」 「主の指示も仰がないで何勝手なこと言ってるんだ、アーティ」 鋭い声が飛んでくる。視線を移せば、少年の瞳とかち合う。利発さを宿した眼差しは、怒りで鮮やかに燃えている。 「僕はさっさと街に入りたいわけ。分かるか? いい加減野宿じゃなくてふかふかの布団で寝たいんだよ。お前らと違って僕は繊細だからな」 「それは確かにそうですけど……」 くらりと視界が揺れた。よろめく自分の体を、少女の華奢な手が支える。 「ああ、ほら! 駄目ですよ! やっぱりここで休みましょう、ご主人様」 「たかだか傭兵ごときの不調で足が止められるのはごめんだね」 全くだ。わずかに苦笑が漏れる。傭兵は体が資本、そうでなくては商売が成り立たない。そして取引相手が先を急いでいるのならば、雇われた自分はそれに従わなければならない。 まだ、大丈夫なはずだ。少女の体を押しのけ、改めて槍を担ぎ直す。足を一歩出す、作り物のそれがまた小さく悲鳴をあげた。 急いだおかげで、何とか閉門には間に合った。たどり着いたマルジョラムの街は、ナスターとは比べ物にならないほどに大きなところだった。丁寧に整備された街道には人々が行き来し、威勢のよい商人(クロクス)たちの声が飛び交う。 道行く街の人に話を聞けば、この先にある首都エストルまでは十日以上かかるという。アーティチョークは食料の買出しに向かい、ディルは万が一のため、クラーリーと共に宿で待機することになった。 「はー、やっと布団で眠れるよ」 安堵の息をつくクラーリーを横目に、ディルは愛用の槍を手入れし始める。長年使い続けてきた相棒だ。これから先も共にあれるよう、また自分の身を守るために、手入れはかかせない。 クラーリーはそれを興味深げに眺めている。傭兵とはあまりかかわりがなかったせいかもしれない。それに子どもは好奇心が旺盛だ。くわえて研究者という立場にあればなおさらだろう。 研究者。この言葉は正直、あまり好きではない。別に差別するつもりはないが、なぜか生理的な嫌悪感を覚えるのだ。本能的と言っても差し支えはない。本能が、そうした立場の者を嫌悪する。理由は分かっているが、公言したことは無い。 「ディル」 手を止めれば、少年の視線が足下に注がれているのが分かった。 「そういえば、足も義足なんだよね。見せて」 反発する理由は無い。槍を立てかけ、ディルは服の裾を捲り上げてそれを晒す。 鈍い金属の光沢を放つ義足。血の通う肉体につながれていながら、一切の温もりを反射する無機物。ただつなぎ目は先刻と何ら変わりなく、重い熱を持っていた。少年の指が這う感触すらない。義肢なのだから当たり前だが、それでも時折一抹の寂しさを覚える。 生き物の持つ温もりは、触れることで精神的な安定をもたらしてくれる。だが己の腕は、抱きすくめたところでその温かさを感じることができない。 望んでそうなったわけではない。以前は痛みに悶え、感覚の無くなった手足を怨み、涙したこともあった。十年経った今では、懐かしく思い出すだけになった。そうして徐々に生き物の感覚を忘れてしまう。 悲しいことだ。手袋に包まれた自分の義手を見下ろして、傭兵は思う。右手をきつく握り締めれば、革が軋むかすかな音がした。 「何悲痛な顔してるのさ、辛気臭いからやめてよね」 クラーリーが立ち上がる。眉間にしわを寄せ、ひどく不機嫌そうだった。 「ほら、それよりも感謝の言葉はないわけ? 擦れる音がしたから調子悪いのかと思って見てやったんだよ。この僕が、大天才クラーリー=スクラレア様が、君なんかみたいに低俗で野蛮な傭兵を、じきじきに見てやったんだ。今すぐ這いつくばって『偉大なる大天才クラーリー=スクラレア様、わたくしめのために御手を煩わせてしまって申し訳ございません。この卑しき下等生物をどうぞお好きなようにしてくださいませ』って言えよ」 高尚なる大天才魔術師殿には悪いが、そこまで喋りたくはない。そこまで自分は下等な生き物であると思っていない。胸中で反論しながら、ディルは目立たぬように息をついた。 黙ったまま頭を下げ、再度槍を手に取る。気に入らなかったのか、クラーリーの表情がさらに不機嫌さを増した。 「何だよお前、雇い主を無視するつもりか? お前みたいな下僕を僕が無視するならともかく、お前は雇われてるんだぞ! 時間と空気の無駄遣いをする役立たずなお前たち下等生物なんかと違って、僕はきわめて優れた人間なんだ、分かってるのか!?」 「……ならば、お前以外の人間は人間ではないということか」 自分でも知らず、強く鋭い口調になる。ディル自身も驚いたが、クラーリーも言い返されるとは思っていなかったのだろう。幾度か目を瞬き、やがて薄い笑みを唇に刷いた。 「何を今更。この世は僕以外に人間と呼ぶべき知能を持った生き物なんかいないよ。言っただろう? 時間と空気を無駄遣いする役に立たない下等生物共と違って、僕はあらゆる技術、知識を網羅した優れた人間。それ以外は屑。生きてる価値なんて無いね。生きてる価値の無い屑は皆死ねばいいのに」 思わず槍を取り落とした。硬い音が、緊張した空気を激しく震わせる。背筋を冷えた汗が伝っていく。不自然に詰まる呼吸に喘ぎながら、ディルは面をあげる。 「馬鹿な生き物は人間なんて呼ばない、下等生物と呼んで何が悪いのさ? 利用する価値のない下等生物なんか、僕としては空気の無駄だから今すぐ死んでほしいんだよね」 死ねばいいだなどと、どうしてそうも軽はずみに言える。凝視するディルの目を見返し、クラーリーは皮肉げに唇を歪めた。太陽の日を映した瞳には、悪意にも似た暗い光がある。 「あぁ、誤解はしないで。君は珍しいものを持ってるから、逆に死んでほしくないんだ。ただ、雇い主の僕の命令を聞かないようじゃなぁ……まぁ、今回は多目に見てあげる。以後気をつけてくれればいいから、感謝して崇め奉っておけよ」 そう言い捨てると、クラーリーは据付の机に戻り本を読み始めた。分厚いそこに目を落とす少年の横顔は、年齢にしては大人びて見える。先ほど交わした会話が嘘のようだ。 この手足がなければ、自分は死んでも死なずとも同じである。薄笑いで告げられたその言葉は、目の前にいる少年魔術師の心の内側を完全に示している。それなのに、全く理解できない。読めないがゆえの恐ろしさが、作り物の足を這い上がってくる。 何がこの少年をそうさせるのか。ディルには分からなかった。 * 「あわわ、遅くなっちゃいましたぁ」 アーティチョークは道を急いでいた。手にしたコムフリーには、先ほど買い足した食料が詰まっている。旅には保存の利くものでなければならない。幸いにも店の主人がおまけをしてくれたおかげで、予定よりも多めに購入することができた。これでしばらくは大丈夫だろう。 辺りはすっかり日が落ち、街路にたたずむ灯かりだけが道を照らしている。人の流れも夕刻よりは少なく、逆に酒場からの喧騒が風に乗って聞こえてくる。大通りに沿って歩き、広場のすぐ東側にある宿だったはずだ。クラーリーの魔力の波動を今一度確認し、足を速めた。 と、誰かが腕にぶつかった。コムフリーを倒すことはなかったし、痛みも無い。が、相手は二歩ほどよろめいて立ち止まった。速度をあげていたから、もしかしたら怪我をしたかもしれない。 「あっ! だ、大丈夫ですか!」 そこでふと、アーティチョークはかすかな違和感を覚えた。魔物探知機が、微弱ながら反応を返している。誤作動かもしれない。相手は人間なのだ、探知機が反応するはずがない。 「別段身体に異常はない」 相手は焔を思わせる鮮やかな髪をした、長身の男であった。腰に大剣を提げ、白い衣服と外套を身に着けている。袖口には細かな縫い取りが施されていたが、暗がりのせいで細部までは見えなかった。 何よりも目を引くのは、男の目元につけられた仮面である。白い石で作られた仮面の縁に、金色でなにやら文字が描かれていた。仮面の穴より覗く萌芽色の眼差しは、まるで機械人形の目のように無機質な光を宿している。生体反応を返す生命体であるにも関わらず、である。 「お前は機械人形か」 「は、い……そうですけど、あの、何か」 唐突に問われ、面くらいながらも返事を返す。しかし男は、それ以上質問を重ねるでもなく、黙ったままアーティチョークを眺めていた。 (何だか怖いです……) ここまで居心地が悪いのは初めてだ。アーティチョークは二度ほど相手の様子を窺ったが、一向に動く様子がない。無表情のまま、アーティチョークを探るように見つめている。 「あ、の、私、ご主人様をお待たせしているので、これで」 「そうか」 男は平坦な声音で答えると、一歩脇に退いた。依然として目に表情は見えない。 「……あの、どなたかをお探しでしょうか」 一瞬の間の後に、男はわずかに目を細める。 「獣の血を持つ男を一人、探しているのだが。知らないか」 蓄積された記録を掘り返してみても、該当する者はいない。 「いえ、知りませんけど」 「そうか」 男は先刻と同じ返事を返すと、外套を翻して歩き始めた。去ってゆく背中を眺めながら、アーティチョークはようやく違和感の正体を突き止める。 「あれは……」 獣系の魔物と同じ気配だ。だがどうして、人間であるはずの彼がそんな気配を持っているのだろう。 鐘が一つ鳴る。露店を閉めるための合図だ。急がなければ、主人に叱られる。頭を一つ振り、主と傭兵の待つ宿へ急いだ。 |