Importante Esprit
第四章


 アーティチョークが戻ってくる。念のため探知機で周囲を調べたが、あの仮面の男の気配は全くなくなっていた。
 とんだとばっちりもあったものだ。たかだか傭兵のディルを連れて行くだけのくせに、何で自分まで狙われなくてはならないのだろう。神の御意思が何だろうが知ったことか。自分は何もしていないのだから、全部この男が悪い。槍を持ち直すディルに向けて、クラーリーは文句を投げつける。
「全く、お前のせいでとんだ迷惑だったじゃないか。どうしてくれるんだよ」
 ディルは答えない。ただクラーリーの目を見ているだけだった。
 苛立って、一度大地を蹴りつける。草地に溜まっていた水がはねて、ディルの靴を汚した。
「あーあー! 詫びの一つもないなんて、ホントどうかしてるよ! 最低最悪の下等生物だ、あのまま蛇眼竜に食べられて死んでもよかったんじゃないの!」
 何か言ってみろ。半ば挑むような心地で、クラーリーは叫んだ。
「ご主人様! 言いすぎです!」
 しかし、全く関係のないアーティチョークが口を挟んでくる。ディルは依然として何も言わない。馬鹿にされているのか――苛立ちが募り、クラーリーは無理やり声を張って給仕係のそれにかぶせた。
「うるさい、黙れ! 僕に気を遣って当たり前だろうが! お前らがどうかしてるんだ! ほら、謝れ! 謝れよ!!」
 アーティチョークの手を払い、指を突きつけて怒鳴る。
「……すまなかった」
 数刻の沈黙の後、ごくかすかに謝罪が聞こえたが、逆にクラーリーの怒りを煽るだけであった。
「はぁ? 聞こえないんだけど! 獣みたいにはいつくばって、額地面に擦り付けて『偉大なるクラーリー様、このわたくしめが悪うございました。何卒この汚らしいわたくしめをお許し下さい』って言えよ!」
 かぶっていた外套が落ち、何度か声が裏返ったが、そんな些細なことは気にならなかった。ただ目の前にいる男が、自分の言うとおりにすればいい。下等生物らしく無様に謝罪をすれば、それで許してやろうと思ったのだ。
 それでも、ディルはただ黙って突っ立っているだけだった。言ったとおりのことを言わないばかりか、頭を下げることすらしない。
「ほら!! 早くしろよ!! 下等生物は下等生物らしく、大人しく僕の言うこと聞いてりゃいいんだよ!! 早くしろって言ってるだろ!? この役立たずッ!!」
 苛立ちで腹の底が焼けるように熱い。何度足を踏み鳴らして怒鳴りつけても、傭兵は一向に動こうとしない。それどころか、眉間にしわを寄せてこちらを眺めている。アカカズラ色をした視線がますます気に入らない、そこににじむ哀れみの色も気に入らない。
「何だよ、何でこの僕がそんな顔されなくちゃならないんだ! 僕は主で、高尚な人間様なんだぞ!! ふざけるな、ふざけるな!!」
 興奮のし過ぎで、頭がくらくらした。呼吸がうまくいかない。心臓も普段ならば考えられないくらいの速さで波打っていた。喉が渇く。濡れて前髪が額に貼りつくのが鬱陶しい。
 外套を拾い上げ、アーティチョークがクラーリーを抱きしめてきた。腹が圧迫されてますます苦しい。しかしどれだけ暴れても、必死にもがいても、華奢な腕からは逃れられなかった。
「何するんだよアーティ!! 離せ、僕は何も言ってないしやってない!!」
「ご主人様、落ち着いてくださいまし! ディルさん、どうかお気になさらないでください。ディルさんが謝ることは無いですから」
 クラーリーは愕然として目を見開いた。自分は何も間違った主張なんてしていない。正しいことを言っただけだ。あちらは下等生物でこちらは高尚な人間様、明らかに身分が上の者の気分を害したのだから、あちらには謝る義務がある。それが当然だ。
 それなのに――こちらは謝られて当然なのに、どうして謝られないのだ。理解できない。できないから余計に苛立った。
「何だよそれ! 僕が悪いみたいに言いやがって、冗談じゃないぞ!! 全部全部お前らが悪いんだ!! 謝れ、謝れよ!!」
 給仕係の腕に爪を立てて怒鳴りつけ、膝の辺りを蹴りつける。
「ご主人様、落ち着いてください」
 アーティチョークも腕の力を緩めないまま、頑なに繰り返した。
「ディルさんが謝る理由も、ご主人様が謝られる理由もありません。冷静にお考えください」
 気に入らない。こっちが悪いと言い張るアーティチョークも、何も言わないディルも。何もかもが気に入らない。
「うるさい、うるさいーっ!!」
 感情のままに腕を突っ張って身体をよじる。
「お前らなんかいらない!! 謝らないなら死ね!! 僕の言うことを聞かない奴らなんかただの屑だ!! 死ね、死ねよ、死んじゃえ!! 生きてる価値なんか無い無駄な命なんか今すぐやめちゃえ!!」
 力一杯に声を張り上げた、その一呼吸の後に腕の力が緩んだ。体勢を整えようと、地面に足を着く。
「いい加減にしてくださいまし!!」
 瞬間、衝撃が頬を通り過ぎた。ぱし、という間抜けな音が鼓膜をたたき、ようやく熱と痛みがやってくる。たたかれたのだと分かった途端、クラーリーの心が再度怒りに燃え上がった。
「な……ぐる、なんて……! 殴るなんて!! アーティ!!」
「申し訳ありません、ご主人様」
 謝るアーティチョークの胸倉をつかみ、同じことをして返す。が、痛覚のない機械人形には無駄なことだった。大きな瞳にクラーリーを映し、静かに告げる。
「ですが私はご主人様の給仕係、ご主人様の間違った行動を修正するのが私の役目です」
 聞きたくない。言い訳なんて聞きたくない。そんなものは馬鹿がすることだ。言い訳をして、自分を正当化して、自分が悪くないと主張するだけだ。そんな汚い言葉は聞きたくない。自分が正しいのだ。相手が間違ってるのだ。それは変わりない事実なのに、どうしてそうやって自分を否定するのだ。
「黙れ!! うるさい、黙れ、黙れーっ!!」
 耳を塞いで、クラーリーは何度目かになる叫びをあげた。
「僕を誰だと思ってるんだ、アーティ!! 僕は、僕は間違ってない!! お前らが悪いんだ!! 謝るのはそっちだ!!」
 アーティチョークがとうとう押し黙る。ディルもまた黙っている。クラーリーは荒く息をつき、場には雨と共に気まずい空気が降り注ぐ。
「ご主人様、先を急ぎましょう。このままでは日が暮れてしまいます。私たちにはロンガさんがありませんから、一刻も早く街に着くのが先決です」
 クラーリーの息が整ったのを見計らったように、アーティチョークが切り出す。まだ怒っているのだろうか、口調はやや棘が含まれていた。
 ディルが無言のまま手を差し出す。荷物のことを示しているのだとわかったが、今のクラーリーにはあてつけにしか思えなかった。ゆるぎない根拠を基にした正当性の主張が、子どもの癇癪程度にしか思われていない。こちらの理由や事情を一切聞かれていない、それがひどく苛立たしかった。
「お前みたいな汚い下等生物なんかに僕の荷物は渡せないよ」
 そうか、と吐息に紛れて答えが返る。作り物の手が引っ込められ、代わりに金属の軋む音が残された。
 雨はまだ、止む気配を見せなかった。

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