Importante Esprit
第五章


 やっとの思いでたどり着く。円柱形の石で出来た建造物が、街の中央にそびえていた。神々の時代の建物を改築したものらしい。扉があっただろう巨大な入り口は、扉が外され中の様子がうかがえる。
 左手には受付が据えられ、右手は休憩所を兼ねているのか、椅子や机が趣向よく並んでいる。入り口の正面にある部屋には、逆に重そうな鉄の扉が取り付けられていた。人間の力では到底開けられないものだ。おそらくは離れた場所にある仕掛けで動かすものだろう。
 開放的なそこをくぐる。左右には長い廊下が伸びており、絶えず人が出入りしている。選手の控え室になっているようだ。突き当たりにはどちらも階段がある。両方とも上へ向かうものであった。時折天上から歓声が湧くから、観客席に続いているのかもしれない。
 アーティチョークは改めて、ぐるりと周囲を眺めてみた。石造りの無骨な建物は、未だ崩れ落ちる気配がない。これだけの規模ということは、かつて神々と人々が共に暮らした施設の一つで間違いないらしい。
 だが、呑気に解析をしているわけにもいかない。視線を動かし、ようやく受付に主の姿を発見する。
 受付にいる女の人は、申し訳なさそうに首を振っていた。クラーリーがその前で腕を組んでいる。かかとをせわしなく床に打ちつけていた。苛立っているときに見せる、彼の癖の一つだ。
「どういうことだよ」
「ですから、給仕の機械人形は登録をお受けできないのです」
「主の僕が許可を出してるんだけど?」
「それでもお受けできません。身体の破損が生じてしまった場合、一切責任を負うことができませんので……それに、戦闘用の機械人形の場合、誤って観客を攻撃する事態も想定されます」
「そこはそうならないように調整してあるけど。それとも、天才たる僕の腕が信じられないっての?」
 女性は困ったように目線を落とした。クラーリーが再度苛立ったようにかかとを鳴らす。
「いいから受付しちゃってよ。ったく、話の分からない奴らだな」
「で、ですが……」
「ご主人様」
 慌てて双方の間――受付机と彼の体の隙間に入り込む。主は不機嫌も露に、給仕係をにらみ上げる。
「何だよ。せっかくお前を出してやろうと思ったのにさ」
「ですけど、機械人形は出られないですよ。出られないものは出られないんです。そう決まってるですから、仕方ありません」
「下等生物の規定なんか知らないね」
 理解できないとでも言いたげに、クラーリーは吐き捨てた。事実、そう思っているのだろう。それがアーティチョークには辛い。
「あ、あの……ご主人がお出になられればよいのでは……」
「はあ? 僕にあんな野蛮なことをやらせようっての? これだから下等生物共は困るね。僕は君たちと違って繊細なんだよ。世界を揺るがす大天才がこんなところで怪我でもしたら、未来に多大な影響を及ぼしちゃうしさ。それに……野蛮なお遊びには、下賎な奴らが出るほうがお似合いだろ?」
 幼い主は、口元に冷酷な笑みを乗せて嘲った。女性がすみません、と小さく謝る。
 頭の奥で、また小さく火花が飛び散った。この人は何も悪くないのに。どうしてそれが分からないのだろう――
「……そうだ。あいつがいるじゃないか。おいアーティ」
 アーティチョークがとがめの言葉を出す前に、クラーリーがはたと手を打った。
「な……んで、しょう」
「ディルを呼んでこい。あいつなら戦いも好きだし、下賎だし、丁度いいじゃないか」
 無駄とは知りつつも、反論を試みる。
「……一生懸命お仕事をなさっている人たちを、下賎だなんて見下さないでくださいまし」
「本当のことだろう? 下賎は下賎。下等生物は下等生物。どうあがいたってそれは変わらない。才能溢れる僕に比べたら、他の生き物なんてみんな塵同然の価値しかないんだよ」
 無駄な試みは所詮、無駄だったということか。これ以上は何を言っても聞き入れてくれない。今までの記録からそう答えを割り出し、アーティチョークは口をつぐむ。
「ほら。いいからさっさと呼んでこいよ。今後の僕の栄光に直結するんだからさ。一刻も早くカレンドラに着きたいんだよ」
 詫びの意味も込めて受付嬢に一礼し、足早にそこを離れる。彼の顔を見ていたら、また彼をぶってしまう。回路が音を立てているのが分かる。きっと他の場所の回路も同じだろう。どうして理解してくれないのか。どうして聞いてくれないのか。道すら分からぬ闇の中に迷い込んだような、そんな不安感と焦燥感がアーティチョークの胸を焼いた。
 闘技場から歩いて少しの場所に、酒場が一軒ある。昼間から開いている酒場は珍しいが、意外にも酒を求める客は大勢いるようだった。傭兵が多いらしく、武器があちらこちらに立てかけられている。怪我をしている者の割合が高いのが不思議だが、傷の絶えない傭兵たちには当たり前なのかもしれない。
 力を入れないように扉を開く。一瞬客たちの視線が集中するが、またすぐに四散してしまった。周囲を見回し、ディルの姿を探す。
 彼は槍を近くに立てかけ、かなりの量を飲んでいた。既に空いたボトルが五本ほど脇へ押しやられている。綺麗に筋肉のついた背中は、摂取した量の割りにぴんと伸びていた。
「あのう……ディルさん」
 そっと声をかけると、ディルがちらと首を向けた。アカカズラの色をした瞳が、何か用かと雄弁に問うている。
「ご、ご主人様が……あの……闘技場に……」
 長いため息が一つ。視線が逸れ、どこかをにらんでいる。
 もしかして、嫌なのかもしれない。嫌なら仕方がないのだが、しかしお金は今底をついている。ディルに頼ることはしたくないし、何より主人が嫌がるだろう。
 どうしよう。混乱してくる思考回路に、ディルの短い言葉が滑り込んできた。
「……どこだ」
「あっ、え?」
「……場所は」
 あっちです、と外を示せば、ディルは金を置いて立ち上がった。外へ歩いていく背中を慌てて追いかける。
 闘技場の入り口を再びくぐる。受付の女性が、こちらを見て安心したように表情を緩めた。きっと先ほどのように難癖をつけられていたのだろう。対するクラーリーはいささか意地悪げな笑みを浮かべていた。
 が、その顔もすぐに不機嫌のそれに変わる。
「遅いよ、馬鹿」
「も、申し訳ありませんです」
 一応謝るが、主はそれを無視した。怒りと蔑みを鮮やかな瞳に含ませ、傭兵の男をにらんでいる。
「ったく。勝手な行動はするなって言ったよねえ?」
「……子どもは入れない」
「はあ? もしかしてそれ嫌味? ていうか、子どもの主が入れないような場所へ行くなよ、役立たずの出来損ないめ」
「ご主人様! おやめくださいまし!」
 思わず叫んで割り込む。出来損ない、という言葉に、胸もとが爆ぜてしまいそうだった。何とかそれを押さえ込みはしたが、肝心のクラーリーは大して反省もしていないらしかった。拗ねたように唇を尖らせ、そっぽを向いている。
「……あ、あのー、いかがなさいますか」
 と、うまい具合に受付の女性が声をかけてくれた。
「お願いできますか」
 ディルへ小さく頭を下げると、彼は機械の腕をかすかに鳴らして息をつく。諦めと了承の半々であることは、機械人形のアーティチョークにも理解できた。
「では――あちらの部屋で身体機能の確認をいたします。多少障害があっても、残る機能が正常であれば参加の権利を獲得できますので……」
 ディルはそのまま奥の部屋へと通され、二人は近くの椅子で待たされる。半刻ほど経過したとき、彼が扉の影から姿を現した。
 係の女性の説明によると、簡単な身体測定の結果、多少の難が生じてしまうものの、驚異的な身体能力がそれを補っているらしい。要は、出場してもよいそうだ。出場の手続している間に、二人は観客席のほうへと上がっていく。
 熱狂する人の歓声――いや、出場者への罵倒が周辺を震わせていた。ぼろぼろになった挑戦者が、足取りもおぼつかない状態で退場していく。
「下品だなあ。ったく……こんなことして楽しいなんてさ。弱い者いじめだよね、これじゃさ」
 アーティチョークは黙ったまま、それを聞いている。
 それは普段あなたのなさっていることですよ、とは言えない。言えるわけがない。言えばきっと主人は気を悪くするだろう。結局はどう抗議をしたところで、彼の頑なな心には届かない。そうする術を、アーティチョークは持っていないのだから。
 それはひどく切ないことだった。専属の給仕としてここにいるのに、主人の道を正すことすらできない。これほどまでに主を思っているのに、彼への言葉は全て悪意として受け取られてしまう。そういう意味ではないと主張しても、それすら聞き入れてくれないのだ。
 強く言って彼を傷つけることもしたくないし、これ以上相手を傷つける言い方をさせたくない。どちらにも嘘は無い。だからこそ、どうすればいいのかがアーティチョークには分からない。
(私が人間だったら……分かったのでしょうか)
 うつむけば、きちんとそろえた自分のつま先が見える。
(人間だったら、ご主人様がどういうお気持ちで言っているのか……分かったのでしょうか)
 人間には、そういった不思議な力があると聞いたことがある。微細な表情の変化や、心の内側の波長を本能で感じ取れるのだ、と。
 機械人形にはできないものを持っている人間だったら、もしかして主も耳を傾けてくれたのだろうか。今更叶うわけでもない期待は、涙も吐息も生み出さぬ機械人形の瞬きと共に落ちた。
「おいアーティ。聞いてないだろ」
「……へっ」
 慌てて顔を持ち上げ、クラーリーを見つめる。彼は幼い両手を束ね、不愉快そうに目を細めてこちらをにらみつけていた。
「喉渇いた」
「え……」
「下に確か物売りがいただろ。買って来い」
「で、ですが」
「銅貨一枚で買える」
 ぽいと無造作に渡された金貨袋を反射で受け取ってしまう。クラーリーはそのまま傍らに置いた本を手に取り、開いた。次の挑戦者が現れたのだろうか、周囲がわっと歓声を上げる。それにすら一切の関心を払わない。
 薄い紙が、沸き立つ声にあおられて震えている。それを鬱陶しそうに指で押さえつけながら、彼はいつものように文字列を目でたどり始めた。
「氷入りの紅茶。それか果汁水。甘めのね」
 他の人間――否、自分と自分の所有物、自分の意識が向けられたもの以外の下等生物には、欠片の興味すら抱かない。まるで何もないかのように振舞う。初めて出会ったあのときから、彼は何も変わらない。
 変わらない、のだ。
 黙り込んだアーティチョークを不審げに眺め、
「何だよ。早くしてよ」
 不機嫌そうに続ける。
「いえ、何でも……ないです」
 クラーリーは短く、あっそ、とだけ呟くと、手を軽く振って催促した。もう何度とも知れない寂しさを抱え、アーティチョークは席を立つ。

(2009.5.18)


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