第一章
其ノ1
『転校生』
(てんこうせい)
朝のホームルームが終わってから放課後まで、転校生の周りには人が絶えなかった。特に女子は、授業が終わるごとに集まってくる。光矢はその度に文句を言われる羽目になった。 「ちっくしょー……俺が何したっていうんだよ。何がずるいだ、何が地味な月島には似合わないだ……関係ないだろ、地味は」 部活中にそうこぼせば、学が慰めるように肩に手を置いた。涙が出てくる。そもそも邪魔者扱いするあっちのほうがおかしい。自分はただ、ほんの偶然で、あの大人しい転校生の隣になっただけだというのに。 「災難だったな。まぁ、あと一週間もすれば収まるよ」 「ったく、意味わかんねーよな女って……何が楽しくて無意味に男虐げるんだか」 学は少しばかり困った顔をして「あー、まぁ、そうだな」と言葉を濁した。彼女がいるという事実もあってか、微妙な返答だった。光矢も言ってみたかっただけなので、その辺りには触れないでおく。 「それにしても……一週間……この調子だと地獄だ……」 「だったら席変わっちまえばいいのに」 自分の弓に弦を張りながら、清志が言う。 「何なら俺と交換しよーぜ」 「何でだよ。最高のポジションなんだぞ。どんなことがあったって代わるかよ」 そう。最高のポジションは譲れない。下を向いて寝ていてもばれない他、前から蛇行して当てられようが後ろから蛇行して当てられようが直線で当てられようが、一番最初になる確率は四分の一なのだ。こんなパラダイスは、残りの窓際席くらいしかない。 が、清志は光矢の返答に、なぜかにやりと笑った。 「……ははーん。やっぱりな」 「何が?」 「お前、ホームルーム中ずっと天津さんのこと見てただろ。……天津さん狙いなんだな?」 光矢は、顔に血が集まるのを感じた。 「な……っ、違、あれはそのっ」 「まーまーまー! じゃあ代わりたくねーよなー! いいっていいって」 「このヤロウ、清志ッ!!」 笑いながら逃げる清志に光矢がつかみかかろうとしたそのとき、学が戸口を指差した。 「おい光矢。天津さん、来てるぜ」 「えっ!? あ……天津さん!? どうしたの」 彼女の隣には部長がいた。彼の説明によれば、見学をしたいということらしい。 「め……迷惑なら、いいの」 おずおずという那月の言葉に、慌てて首を横に振る。それから中に通して座らせた。珍しそうに弓道場を見る那月に、笑みがこみ上げる。 「好きなだけ見るといいよ」 「えっ? ……あ……うん……ありがとう」 弓を取って場に入る。意識が的に集中する。周りの音が聞こえなくなる。弓がしなるのが手から感じ取れる。矢の硬く冷たい感触だけが頬から伝わる。狙う獲物はただ一つ。そこに一本ずつ矢を放った。 四本目の矢が的を射抜いた。弓を下ろす。と、耳に突如拍手が届いた。 「月島君、すごいね……! 全部当てちゃうなんて……」 那月の声には感動の響きがあり、その手は懸命に拍手をしている。 「え……いやぁ……」 照れて頭をかく。褒められて、悪い気はしない。 「今日調子いいじゃん」 学が笑って親指を立てる。一方清志は面白く無さそうな顔をして場から出てきた。 「ちぇー。全部外しちまった」 「水上は真面目にやってないからだ」 部長が清志を軽くにらむと、清志は首をすくめて舌を出した。 「私にも出来るかな」 やってみたいな、というその後の呟きを、光矢は聞き逃さなかった。 「一緒にやろうよ、天津さん。大丈夫、みんないい人だし上手だから、すぐうまくなるよ。そうですよね、部長」 部長は女子の部長に確認を取ってから、那月に向けてうなずいてみせた。 「大歓迎だそうだよ」 「本当ですか?」 「月島、よかったな」 光矢の肩に手を置き、部長は至極真面目な顔をして言い放つ。 「可愛い彼女だな、入って嬉しいだろう」 「だから、そうじゃないですってば!!」 光矢は再び、顔に血を登らせて叫んだ。 部活終了後、光矢と那月は並んで夜道を歩いていた。 「天津さんって、俺の家と同じ方向なんだね」 「そうみたいだね……」 ゆったりと歩きながら、光矢は何となく隣を見る。思っていたよりも小柄だ。目線の少し低い場所に、那月の頭がある。恥ずかしそうに少しうつむいていた。 何か話を振ったほうがいいかもしれない。少しの間を置いて、光矢は尋ねる。 「天津さん、趣味とかあるの?」 「え? あ……うん。イタリアに住んでいたときにね、いろいろなお料理教えてもらってたから……」 イタリアというと、やっぱりイタリア料理なんだろうか。ちょっと食べてみたい。 「料理できるんだ。へえ、すごいねぇ」 純粋に感心してそう言うと、 「そ……そんなこと……」 街灯のはっきりしない光の下でも分かるほど、那月は顔を紅くした。意外と恥ずかしがりやなのかもしれない。 「俺なんか、特技暗算だしな……小学生のときは、四桁の暗算ができただけで英雄だったんだけど。中学からの数学はてんで駄目になっちまったよ……」 括弧の公式なんてできるわけねーじゃんか、と光矢が独り言を呟くと、彼女はおかしそうに小さく笑った。 「月島君って面白いね」 「へ? そう?」 「うん」 「俺、そう言われたの初めてだ」 今まで地味としか言われてこなかったからか、嬉しい反面微妙な感じである。そんな少々複雑な思いが、そのまま口をついて出てしまった。それを聞いて那月が慌てる。 「あ、ううん、別に変とかそうじゃなくって」 つられて光矢も慌てる。 「いや! 俺も別にそうじゃなくって、ホラ、俺地味だってよく言われるから、そのー嬉しいような気もしてさ!」 また間が開いた。それを誤魔化すように笑えば、那月の口元にも笑みが浮かぶ。 滑らなくてよかった。胸中で安堵の息を漏らす光矢であった。 「あ、私こっちなの」 光矢の家から二ブロックほど手前の角で、彼女は立ち止まる。 「今日はどうもありがとう。すごく不安だったから……」 「いや。俺は別にたいしたことはしてないよ。送っていかなくて大丈夫?」 「うん。歩いて二分くらいだから平気。じゃあ、また明日からよろしくね」 小さく手を振って、那月は角を歩いていった。 その背中を見送ってから、光矢も歩き出す。辺りには珍しく誰もいなかった。普段なら大学生や小学生なんかも通ってにぎやかなのに。 「静かだなー……」 口に出して言うと、その声が反響して返ってくる。何の音も聞こえない。 「……早く帰ろ」 それが少々不気味に思え、光矢は小走りに駆け出した。 異変に気づいたのは、それからしばらく経ったときであった。 (2006.9? 最終訂正:2008.2.9) |