断絶した回路
-No.2-


 人通りもない深夜の路地は、ただ静まり返っていた。
「なあ、ハデス」
 豊高は隣を歩く相棒に声をかける。
「ここでやるんだろ。少し目立ちやしねぇか」
 黒衣の男は答えず、無言のまま隣にあるビルを示した。「テナント募集」の文字は欠け、白い看板も薄汚れている。錆び付いたシャッターが硬く閉ざされた入り口は、おそらく二階に進む階段だろう。
「開いてないぜ」
「任務遂行のために、最善の環境を作る。それも任務の内だろう」
 理解できないと語る眼を向けられ、豊高は思わず明後日の方角を見た。
 空には円を描く月がかかっている。電灯の明かりが霞むほどの光は、事を終えるには明るすぎる。身を隠すには、確かに丁度いいだろう。
「まあ、そうだな……そうだけど」
「分かったならさっさと開けろ」
「え、マジ? 俺がやんの?」
 思わずハデスを凝視すれば、相変わらずの無表情のまま吐き捨てる。
「他に誰がやるのだ」
「え、お前じゃねぇの? 俺がやんの?」
「問いを二回も繰り返すな」
「そういう問題じゃねぇだろ! ったく、何で俺がこんなこと……」
 強引に決定された役割分担に文句を言いつつ、豊高は錆びたシャッターに手をかけた。案の定、錆が邪魔をして上手く動かない。
「こういうのって、普通、鍵が、かかってるもんだろがっ……」
「いや」
 即座に否定するハデスに、少々の疑惑を抱く。
「……その、即答できるほどの、自信は、一体、どこに、あるんだよっ」
 一瞬の沈黙は、返答に困ったからではない。豊高には慣れた沈黙であった。コンピュータがデータを割り出すときの間と同じである。より正確な答えを、もしくはそれに近い答えを割り出すための、詮索の時間にすぎない。
 答えが、返ってきた。
「情報班の調べでは、そうなっている」
 昔からそうだ、と豊高は胸中で呟く。
 全てにおいて彼を動かすのは、今までの経験とそれを想定した訓練、命令する誰かと確実な情報。これらが彼の行動を決定する鍵である。ハデス自身での判断は、皆無に等しい。
 自分とは全く異なる思考回路に、最初は戸惑ったものだったと、豊高は場違いに思い返す。
「ミスしたんじゃねえの、情報班」
「それは無い」
 提示されたものが、彼の行動の全てである。今まで築き上げた根底を覆すことなど、どうあがいたところで無理な話だった。
「……はあ。もういいけどよ、どうせお前の答え全部それだしな」
 手に力を込めながら、舌打ちする。
「しっかし、これ、硬いな」
「力の入れ方が足りないのだ」
「お前やってみろよ!」
 ハデスは黙ったまま豊高の隣に並び、軽くシャッターに手をかけた。小さく息を吐く音が、豊高の耳に届く。
 空気が重く軋んだ後、シャッターが開いた。
「嘘ぉ」
 呆然とするあまり、思わず声が漏れた。立ち尽くす豊高を振り返りもせずに、黒い姿が階段へ消える。豊高も慌てて階段を駆け上った。
 窓に閉められていたシャッターも一部分だけ開き、豊高は窓枠に足をかける。ハデスは近くの窓に背を預け、床の一点を見つめていた。
 自然、気分が高ぶる。自分の心臓が刻む鼓動が、研ぎ澄まされた聴覚に響く。これから始まるゲームを想定し、肌が粟立つのを感じた。
 それから豊高は、ふと射的場での会話を思い起こす。
「なあハデス。あのさ、機械になったらミスしないで楽だ、って言っただろ。あれ訂正。やっぱりつまんない」
 視線が向けられるのが分かった。無駄口をたたくな、と言われるかと思ったが、意外にもハデスは黙ったままだった。
「だってよ。こうして獲物待ってるときの高揚感とか、スリルとか、感じられないのは嫌だぜ、俺。これが生きがいだし」
 ハデスの視線は、相変わらず冷めたものだった。答えも、普段と全く変わらない。
「俺には、よく分からん」
「お前は義務になってるからじゃねえの。俺はなんていうか、通り越してるのかもしれねぇからさ」
 言いながら、笑ってみせる。
「遊び、なんだよね。これは。俺にとっての」
「理解できん。任務は、任務だ。与えられたものを、その分だけこなすにすぎない」
「俺には遊び以外の何者でもねぇな。ハンティングだ。だから、やっぱり機械はパスだわ」
 窓の向こうは闇。時折点滅する電灯が一本、ぽつりと立っているだけである。
「競争だぜ、ハデス。今日は絶対に俺が勝つ」
 ハデスの返答を待たずに声が上がった。これは悲鳴だ。大人数の悲鳴だった。何が起こったのか理解できず、豊高は窓から身を乗り出して下を見る。
 目下をばらばらと、男が四人程度先に走っていく。その後を、転がるように追いかけるのが一人。今回のターゲットだ。
 情報によれば、ここは高級外車で通っていく。しかし、ターゲットを含む男たちは皆徒歩だ。徒歩というよりは、むしろ集団マラソンに近いものがある。一体なぜ。
 原因はすぐ判明した。その間を縫うように、嘲笑うように駆けていく黒い影が見えた。時折ひらめく二つの銀光は、刃物に違いない。
「うわ、マジかよ。本当に邪魔が入ったわけか? ありえねぇ……」
 そのまま片足を引っ掛け、体重をかける。ステンレスの枠が軋むが、この際気にして入られない。両足を乗せる。後ろを振り向き、相棒に対して手を振った。
「ハデス、俺は止めに入るぜ。お前も早く来いよー」
 そしてそのまま、飛び降りた。

 ハデスは特に驚きもせず、窓枠に手を置いて下を見た。動きを止めた黒い影へ、豊高が言葉をかけている。
 ここからでも、会話は十分聞こえる。
「ハン、馬鹿がおいでなすったな」
 対峙する妨害者の声がする。光に照らされて、紅すぎる髪が眼を射る。男性の平均身長よりも数センチ小柄な、端整な顔立ちの男だった。
「誰が馬鹿だ、余計な世話だ! ってそうじゃねぇよ。別に喧嘩しに来たわけじゃねぇしな。お邪魔はよくねぇと思うぜ、俺はー。大体なんで俺たちなのかなー」
 豊高はあくまで軽い口調だ。表情は背を向けているので分からない。
「別に。ただ」相対する妨害者は笑う。「退屈だったから、ちょっと暇つぶししようと思ってよ。ありがたく思え」
「おいおーい、暇人君。もうちょっと別なことに時間を使わないか」
「お前に言われたくはねぇよ」
 ハデスは静かに銃を抜いた。照準を合わせる。
 この絶好の機会を逃すわけにはいかない。邪魔者は消す。現在最優先で行うべきことだ。相手は気づいていない。完全に意識が豊高へと向いている、眉間へ目掛けて引き金を引いた。
 黒い影が音もなく倒れる。違和感を覚え、ハデスは目を細めた。
 あれは狙った相手ではない。目標を護衛する男たちの一人だ。妨害者はその向こう側に立っていた。
「隠れてねぇで降りてこいよ」
 気配を完全に殺しているにも関わらず、男はこちらに向けて声を放つ。腕を組み、首を傾け、そして口の端をつりあげた。
「それとも何だ、獲物を残らず狩られていくのを指くわえて見てるだけか? 出てこいよ」
 赤毛の男は笑いながら、うずくまり震えている目標を蹴った。甲高い悲鳴をあげ、目標が転がる。
「ハデスー、お前は出なくても大丈夫だぜー」
 反響した豊高の口調は、先ほどと変わらない。こちらを見上げて、また手を振っている。
「とりあえず俺の前に立って邪魔だから、一応消しておくな」
 言いながら、ホルダーから音もなく銃身が抜き出された。

(2006.9.20脱稿 2008.1.16 細部訂正)



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