断絶した回路
-No.3-


 鈍く光る黒いものが見えた。反射で身を左へひねる。それを銃だと判断した途端、乾いた破裂音が耳をついた。
 頭か、もしくは心臓を狙ったのだろう。左の肩口付近に熱さが生まれた。鋭い痛みを感じて、彼はそこを押さえる。血が溢れて、指を汚した。
 紅く生温かい液体に、とりあえず人間ではあるのだと、妙な安心感が生まれる。
「避けるなよ、弾がもったいねぇだろ」
 相手が笑みを深めながら言った。いっそ場違いなほどの明るい笑顔は、逆に空々しい。
「殺されることが分かってんのに、おとなしく撃たれる馬鹿がどこにいるんだ」
 冷笑を返して、彼は愛用の刃物を握りなおす。
「おっ、そりゃいい。目標五発で仕留めるぜ。中ボス撃破なるか! ハデス、お前レフリーな。俺が勝ったら何かおごれよ」
「断る」
 既に勝つ気でいる相手に、彼は再び嗤笑した。
「やってみろ、下手くそ」
 この言葉が引き金となった。息つく暇もなく、銃弾が足下に撃ちこまれる。避けて、懐に飛びこむ。相手も一筋縄ではいかない。近くで腰を抜かしていた男の襟をつかみ、盾にしてきた。影から再び撃ってくる。
 手にした刃物を投擲(とうてき)する。相手の耳元近くを通り、それは後ろにいた黒い影に突き立った。
 心臓がうるさく鳴っている。血液が流れる音がする。血と共に全身を廻る感情は、細切れの笑いとなって喉からあふれ出る。
 神経が研ぎ澄まされていく。息を吐いて、踏み込む。相手がのけ反る。避けられる。撃たれた腕は痛覚を失くしていたが、そんなことはどうでもよかった。
 楽しい。ただそれだけが、意識を覚醒させ、火花を散らすほどの快感を生み出す。
 相手が舌打ちする。盾を突き飛ばし、右に逃げる。弾丸が頬をかすめた。体液が伝う感覚すら遠い。
 楽しい。脳の中を突き抜けていく衝動は、確かな歓喜となって彼を高揚させる。
「もっと撃ってこいよ!」
 彼は吠え、嗤う。
「怖いのか、腰抜け! 今更惜しむ命かよ!」
 違うな。言いながら、彼は頭の内で否定する。
 惜しむ命などない。この世界では、命の尊さなど説いて無意味だ。互いに潰しあい、食い合うものである。誰が正しくて誰が間違っているなどという判断は、この際どうでもいい。性善説も性悪説も意味を持たない。
 弱いものは食われ、強いものは互いを潰しあう。常識は通用しない。目の前にある邪魔なものは消し、必要なものは利用する。そうなるように、最初から組み立てられている。
 誰にも変えることはできない。誰も逆らうことはできない。逆らうという選択肢は、最初から存在しない。絶対的に仕組まれたプログラムは、誰も覆すことはできない。
 身体を下に落として避ける。素早く飛び起き、地面を蹴る。腕を振りぬく。相手の髪の毛が数本、宙に舞って落ちた。銃声、走る熱、今度は右の二の腕、弾丸が筋肉に食い込んだ。
 壊された回路は修復できない。削除された選択肢を選ぶことはできない。だが、できなくても構わない。これが自分を構成する全てであり、神経が焼き切れるような悦楽は、命を潰して食い合うときだけ、得ることができるからだ。
 まさに今。額に銃口が向けられたこの瞬間にだけ、感じることができるからだ。
 彼は嗤ってみせた。身を獣のように低くし、全身のばねを使って相手に飛び掛る。予想外だったのだろう、相手が硬直する。刃を構え、牙のごとく相手の喉笛に突き立てようとした、その刹那。
 全く関係ないところから、甲高い悲鳴が木霊した。

 悲鳴の後を追うように、発砲音が飛ぶ。大した音量もないそれは、しかし確かな存在感を持って、澱んだ闇に次々と放たれた。
 妨害者は手を止め、豊高の喉一ミリの箇所で止まっている切っ先を引いた。尖った顎を引き、負傷した両腕をだらりと下げたまま、彼は口元に歪んだ笑みを刷く。
「なるほど。タイムリミット、か」
 互いの時計は、二十七時五十七分を示していた。汚れたガラスの表面を親指で拭い、妨害者は悲鳴の途切れぬ路地を見やる。
「レフリー殿は時間に厳しいな。二十八時にどうしても帰りたいらしい」
 豊高もまた、路地を眺めた。暗く狭い場所ではよく見えないが、確実に生き物の気配が消えていく。
「半分は成功、半分は失敗、だな。清掃班が俺を片付けるのは、もっと先だってことだ。残念、ご愁傷様」
 小馬鹿にした口調に、豊高は眉を寄せて腕を上げた。照準を相手の額に合わせる。逆に、妨害者はますます笑みを深めて銃口を一瞥した。
「このゲームはドローにしておいてやるよ。俺を仕留めるのなら次のゲームにしておけ」
 豊高が引き金を引いたときには、既に妨害者はいなかった。撃った弾はそのまま奥へと吸い込まれ、誰かの叫びとなって消えていく。
「ハデス!」
 少し経ってから、ハデスが現れた。整いすぎた無表情のまま、音も無く闇の中から抜け出てくる。
「どうだった?」
「終わった。お前はどうなのだ」
「逃がした。くそ、あいつ、馬鹿にしやがって」
 豊高は歯噛みし、自分の髪をかき回す。
「妨害者の排除には失敗したか」
 ハデスはその様子を目に映しながら、素気無く言葉を紡ぐ。
「無理もない。あの男の力量は、お前をはるかに上回っている。生き残る確率はほぼゼロに近かった」
 豊高は目を剥き、ハデスに食ってかかった。
「何だって! それじゃあ俺、死ぬかもしれなかったってことか!」
「言う前にお前が飛び出していったから、言うことができなかった」
 きびすを返すと、ハデスは豊高に視線を送る。豊高も軽くうなずいて、彼に並んだ。
「ああ、運がよかったのか……助かったー」
 足を運びながら、豊高は隣の相棒を見やる。ハデスはその視線に気づいているのか否か、彼を見ようともしなかった。
 頭の後ろで指を組み、豊高は空を仰いでぼやく。
「やっぱり俺、機械になりたいかも」
「言っていることが違う」
「だって、死ぬのはやだし。あ、そっか。あれだ、楽しいのも高揚感も感じられる機械になりゃいいんじゃねーの?」
 表情明るく、目を輝かせながら豊高は笑う。いい考えだとでも言わんばかりに、両手を打ち鳴らして親指を立てた。
「俺って天才かも! 疲れない体、撃たれても刺されても大丈夫! んで、楽しいことは楽しく、あのスリルはそのままに! それ最高じゃん! なあ、そうだろ?」
 ハデスに同意を求めるが、ハデスは冷たい音で一蹴するのみだった。
「お前の考えは理解できん」
「またそういうこと言って! でもほら、お前が言ってたことって、これに当てはまるんじゃねえの?」
「知らん」
 短く答え、ハデスは足を速める。
「ちょっと待てよ! ハデス、冷たいなお前! この冷血漢!」
 豊高の拗ねる声が、闇に反響を返した。

(2006.9.20脱稿 2008.1.16 細部訂正)



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