龍の血脈


 水龍・神楽(かぐら)。
 風龍・出雲(いずも)。
 炎龍・稲葉(いなば)。
 地龍・櫛名田(くしなだ)。
 白龍・瀬織(せおり)。
 そして天龍・大神(おおがみ)。

 古の時、人々を導いた龍神は、ほんのわずかなひと時の間、人間の元に留まった。
 そして子をなし、自らの世界に帰ったという。六体の龍が血脈を残した家、それが各々の六つの家。リーダーは天龍、世界の理を守る守護者である。
 頭の中で、果蓮は何となく反芻する。幼い頃より聞かされてきた、家の血筋にまつわる話だった。
『せやから、俺らは普通の人らとちょい違うんや。でも、それは別に悪いことやないさかい、胸張っててええんよ』
 ふと、亡き父親の声が蘇る。あやすように頭をなで、膝に乗せて歌うように語った父の、柔らかな声。春風のような人だったと、果蓮は時折思う。
『龍の集まりには、果蓮がもすこし大人になってから連れてったるさかいに。大人しく待っててな』
「会合、間に合うかね」
 昇が風にかき消されぬよう、声を張り上げて果蓮に問うてくる。我に返り、果蓮は一つ頭を振る。父の影が風に乗ってさらわれていった。
「ま、何とかなるやろー」
 努めて明るく返し、果蓮は今一度昇の体に腕を巻きつける。風景は筋となり、たちどころに後ろへと流れていく。
「果蓮、つかまってろ、曲がるぞ」
 言葉が紡がれるや否や、タイヤとアスファルトの擦れあう甲高い音が響いた。体勢が急激に右へ傾き、果蓮は危うく放り出されるところであった。
「しょ、昇! もっと安全運転できひんの!?」
「仕方ねえだろ! スピード出してんだから!!」
 幸か不幸か、人通りはない。昇はそのままバイクを走らせた。

 果蓮が瀕死の状態になるころ、ようやく大きな門が見えた。
「はぁ……つ、ついたぁ」
 よろよろとバイクを降り、果蓮はヘルメットを外す。もつれた髪を幾度も梳き、昇に時間を尋ねる。
「しょぉ……何時ぃ」
「ジャスト、三時の五分前」
 腕時計を眺め、昇は応える。軽く顔を見合わせて息を吸う。そして――
「遅いィ!!」
 大神の門をたたくよりも先に、威勢のよい声がとどろいた。
「あいたぁッ!!」
 続いて連激。いっそ気持ちよいほどの音を立てて殴られる。
「ま、待て、タンマタンマ!! いてて、タンマ!!」
 昇は悲鳴をあげて頭をかばい、着物を着た少女に両手を挙げる。
 凛と鋭い双眸、きりりとつりあがった眉。いかにも気が強そうな彼女に、果蓮はへらりと笑いかけて手を振った。
「おぉー。実紀(みのり)やないのー」
「全く、遅すぎる! お前たちは今の状況を分かっているのか!」
 十八歳女子高生にしては、なかなか口調が固い娘である。が、この二人には慣れたものだ。
「もうとっくに、禊も柚江も来ているんだぞ! 早くしろ!」
 言い置いて、彼女はさっさと奥へ引っ込んでしまう。慌ててその後を追いかけた。
 大神家・大広間。そこにはそうそうたる顔ぶれがそろっていた。
「あれ、宗一郎さん! 病気なのに、寝てなくてもいいんですか」
 昇の声に、北西の座に座っていた彼はうなずく。鋭い美貌と真っ直ぐな瞳の、三十代後半の男だ。顔色が心なしか悪いが、凛とした空気を漂わせている。
「全体召集があったのだ。白龍瀬織家の当主たる私が来なければ、意味もあるまい」
「柚江がいるじゃないですか。柚江に任せればよかったのに」
 彼の後ろに座っていた少女が、怯えたように肩を震わせた。愛らしい顔立ちだが、今は不安が彩っていて表情を翳らせている。手はせわしなく長い黒髪の先をいじり、瞳はかすかに潤んでいる。
「あ……の……ごめんなさい、お父さんがどうしても、というから……」
 今にも泣き出しそうな気配に、昇は慌てたように手を振った。
「あ、わ、悪かった! 別に柚江を責めてるわけじゃないから! 宗一郎さんもそんな怖い顔しないでください!」
「これは元々だ、悪かったな怖い顔で」
 剣呑さを帯びた宗一郎氏の声を、柔らかな音が制する。
「まあまあ、宗一郎。あまり怒っては身体に障るよ」
 宗一郎氏の右隣に座っていた彼だった。
「飛鳥! 私は怒ってなど」
「怒っているでしょ。はい、深呼吸して、心を静める」
 穏やかな微笑を浮かべてそういう彼に、昇は視線で感謝を述べた。それから飛鳥の右隣に座る。
「飛鳥さんもいらしてたんですね」
「一応、櫛名田家の当主だからねぇ。そういえば昇君、泰は来ないのかい」
「はい。会社から休日出勤言い渡されたって、苦笑いしてました」
「そうかぁ。最近会っていないから、久しぶりに話せると思っていたんだがなぁ……」
 残念そうに呟き、彼はようやく果蓮に気づいたらしかった。
「ああ、果蓮君じゃないか」
 先ほどとは打って変わり、飛鳥氏は満面の笑みを浮かべて手を振る。
「やあ、久しぶりだね。元気だったかい? たまには連絡をよこしなさいね、心配してしまうから」
「いやぁー、ちくっと忙しかったさかいに、すんまへん」
 地と風は基本的に相性がよくない。が、果蓮はこの穏やかな地龍の当主が好きだった。笑顔を返して、宗一郎氏の向いの席、昇の右に座った。
「何が忙しかっただ……」
 飛鳥氏の後ろで、実紀のぼそりと呟く声が聞こえた。心持ジト目でにらんでいる。
「実紀は真面目すぎるんやー。もちょっとやーらかくならへんの?」
「私に似てしまってねえ。昔はもう少し可愛らしかったのだけれど……『父上のお膝でなければいやですー!』と駄々をこねたのはいつのころだったのかなあ……」
「ち、父上!! それは関係ないじゃないですか!! どうしてその話を毎度毎度したがるんですか!!」
 遠い目をして語り始めた父を遮り、実紀が割り込んでくる。顔が真っ赤だが、おそらくそれを指摘すれば殴られるだろう。果蓮はとりあえず、静観することにした。
「あれ、そーいや禊は?」
 昇に尋ねると、昇は黙ったまま果蓮の左を示した。気配が無きに等しいのは、恐らく隣の人物が瞑目しているからだろう。目を閉じ、静かに正座している。
「……」
 が、よく観察すれば、口の端からよだれが垂れている。
「……禊(みそぎ)ぃー。帰ったら何食べたいんやー」
 試しに声をかける。
「ん、いちごのショートケーキ」
 間髪入れずに答えが返ってくる。
「……お前、相変わらずやな」
 そこでようやく、誰から声をかけられたのか理解したらしい。三白眼を何度も瞬き、右頬に走る一文字の傷をこすってから、果蓮を見た。目つきの悪さは天下一品だが、大して怖く感じないのは、彼が天然気味だからだと知っているからなのだろう。
「ん? 果蓮か?」
「せや。何や、気がつかなかったん」
「すまん……ちょっと、考え事をしてて」
「お前相変わらずとんでもねえ甘党だな……」
 昇が呆れたように呟き、首を振る。
「甘いものはいいぞ。疲れたときには甘いものがいいんだ」
 何故か真顔で、禊は語る。
「父さんも、甘いものが好きなんだ」
「いや……滝次さんも、まさか自分の息子が三食ケーキでも喜んで平らげる奴だとは思わないだろうよ……別に悪いとは言ってねえけど、ほどほどにしろよ?」
 少しの間、沈黙が降りる。 
「そういえば、神威(かむい)が遅いね」
 飛鳥氏がのんびりと呟く。
「何かあったのだろうか」
 宗一郎氏も、不安気に周囲を見回す。
「神威はんのことやさかいに、案外酒飲んで寝てはるのかもしれまへんよー」
 笑いながらそういった、その刹那。背後に突然気配が生まれた。全てを威圧する気は、常人では発することができないだろう。萎縮させ、従わせる。自然の理を司るもの、これは、統べるものの気配だ。
「ッ……!!」
 思わず飛び退く。冷や汗が、背中を伝っていった。
「……ふむ」
 気づいたか、とでも言いたそうに、背後に佇む男は片目を眇めた。
 黒金の髪……いや、髪という言葉は当てはまらない。これはたてがみだ。黒金のたてがみを全て後ろにすき流した、和服の男だった。墨染めの着物は彼にとてもよく似合っている。細身の体を斜に構え、四十半ばだというにも関わらずに若い外見からは、押さえきれぬ力が感じられた。
 端整な顔を――左目を無遠慮に通り過ぎる斜めの傷、右腕のあるべき場所は布地が薄く翻るのみ。そして残された右目は、見るものを圧倒し、畏怖させる龍の瞳であった。
「か……むい……はん……」
 全身に緊張が走る。かろうじてしぼり出した名前は、果たして男に届いたかどうか。
 大神家現当主――龍家の長、大神神威。隻眼隻腕であるにもかかわらず、龍家の中でも最も強い男。
「私が何だと、風龍果蓮」
 ややかすれ気味の低音が、果蓮に恐怖を与える。
「ややや、な、なーんでもありまへんえ! あはは、はは、神威はんはほんまにお強いいう話です、はいっ! べ、別に悪口言うたわけやありまへんから!」
 長の目がわずかに細められる。煌めく紫電の色に、目が泳ぐのを自覚せざるを得ない。冷や汗が頬を伝い落ちていった。
 糾弾されるかと思ったが、長は黙ったまま視線を外した。こっそりと、果蓮は心の中でため息をつく。願わくは、彼が現れる前に吐いた暴言を聞かれていませんように。
「……咲。始めるぞ」
「あいよ」
 いつの間にいたのか、響く声が届く。
 黒金のたてがみは、父親の比ではない。長く艶やかなそれを二箇所で束ね、腰に垂らしていた。長身痩躯に龍の瞳の、黙っていれば美女である。その人が果たして、神威の娘であり次期大神家当主の大神咲であった。
「さて、みんなそろってくれて嬉しいよ。一部の欠席はあるが……大丈夫だろう」
 咲は軽く眉根を寄せ、父親に目配せする。沈黙が、少々の時間一同の間に降りた。そして降りた沈黙を破ったのもまた、咲だった。
「――最近、どうもこの龍の家についてかぎまわってる奴がいるみたいなんだ」
 衝撃が一同の間を駆け抜ける。
「そ、それは本当なのか」
 戸惑い気味に目を瞬かせ、禊が尋ねる。
「ああ。実際にあたしも何度か確認してる。間違いないよ」
「あの……それは、どのような方なのでしょうか」
 おずおずと尋ねるのは柚江だ。今にも泣き出しそうに、瞳を潤ませている。
「姿は残念だが見たことが無い。明確な殺気と――複数の気が入り混じった気配。それが奴だと特定する、唯一の手段だ」
 咲は頭を振ってそれに応えた。
「それじゃあ、どうやって身を守るんだよ」
 痺れたのか、昇は足を崩した。隣で実紀が顔をしかめる。
「出来うる限り、あたしたちが見回りをして、未然に防げるように策を練っておく。けど……いきなり襲われたら、いくらあたしたちと言えど手も足も出ない。だからあんたたちも、出来うる限り自分の身を守る努力をしておくれ」
 もう一度、彼女は首を振った。お手上げとでも言いたげに両手をひらひらさせる。
「入り混じる……とは、一体?」
 これは飛鳥氏。咲はその問いに肩をすくめ、再び首を振る。
「あたしにもよく分かんないんだけどさ……なんていうんだろう、本当にごちゃごちゃなんだよ。例えば、飛鳥おじさんの気に、昇の気が混じって、さらにうちの親父の気も混じってて、みたいな」
 宗一郎氏がますます顔を険しくする。
「気が入り混じることは、生き物である上では珍しくない。だが……感じ取れるほど強い気を持っていないはずだ。逆に我々のような能力を持つ者は、一つの強い力を持って生まれてくるわけだから、複数の強い気を併せ持って生まれることはまずありえない……」
「ああ。一体何者なのか、皆目検討がつかないのさ。分かりやすいっちゃ分かりやすいんだが、いかんせん薄気味悪いっつーか……」
 忌々しげに、かつ重く呟いてから、咲はこちらに視線を向けた。
「果蓮、あんたしばらくこっちにいるんだろう?」
「ああ、まぁ……」
「どこの家に泊まるんだい?」
「禊の家に泊めてもらうさかいに、心配いらへんよ」
 禊には既に了承を得ている。確認もあわせて彼を見れば、ぼんやりと中空を見上げていた。心なしか、またよだれが出ている気がする。
「……な、禊」
「えっ!? あ、ああ、ん……そうだな」
 聞いてなかったろ。心の中でツッコミを入れるが、彼の性分だから仕方が無い。ため息をつき、そして咲へ尋ねる。
「それで……それが、何か関係あんの?」
「ああ。いや、こっちにいるなら、あんたも例外じゃないから気をつけなってことさ。京都にいるときはそんなことなかったと思うんだけど、ちょいとね」
「それやねんけど……それだけ殺気見せといて、攻撃とかしてこんの?」
 それなんだよ、と彼女は眉間にしわを寄せる。それからこめかみをいらただしげにたたき、大げさにため息をついてみせた。
「何にもしてこないのさ。明らかに分かる殺気を出してるのに、一つも仕掛けてこない」
「……別にいいんじゃねーの?」
 昇が口を挟んでくる。軽く小首を傾げ、咲を見上げている。
「とりあえず気は張った方がいいと思うけど、仕掛けてこないんだったらそんなに警戒する必要は無いと思うぜ」
「……いや」
 沈黙していた長が、静かに口を開いた。昇の表情が引きつる。
「隙を見せたほうが殺される。大げさに考えてもあながち間違いではあるまい。甘い考えは捨てろ、炎龍」
「……ご、ごめんなさい……気をつけます……」
 小さくなりながら謝る昇の肩を、禊がぽんぽんと慰めるようにたたく。
 一方、神威氏は宗一郎氏に言葉を向けた。
「宗一郎、お前は護衛をつけたほうがいい」
「……なぜ、と尋ねてもよいだろうか」
 鋭い目で、宗一郎氏が尋ねる。やせ衰えているとは言え、その眼力は衰えていない。常人なら震え上がるのではないかと思われるほどに鋭利な光だ。
 だがそれは、長である彼には通用していないようだった。
「病に侵された体では、満足に己の身を守ることもできんだろう」
「それはどうだろうか」
「……ならば、戦うことを好とせぬ、白龍の化身の娘も守れるのか」
 虚を突かれたように、宗一郎氏は沈黙した。
「己の身を捨ててまで、などという考えはするな」
 きつい言い方ではあるが、身を案じている優しい音が含まれている。それを感じ取ったのだろう、宗一郎氏はわずかな間の後にうなずいた。
「飛鳥」
「ん? 何だい、神威」
 この二人は義兄弟なのだと、果蓮は聞いたことがあった。そういわれてみれば、他の龍家よりもずいぶんと仲がよい気がする。やはり義兄弟という絆は特別らしい。神威氏は特別、飛鳥氏を気遣っているようだった。
「無理をするな。必要とあらば、お前も護衛をつけたほうがいい」
 飛鳥氏は薄っすらと唇に笑みを刷いて、微笑んだ。
「私は大丈夫だよ」
「――……。そうか」
 長は一瞬だけ眉根を寄せたが、それ以上何も言わないまま、果蓮らのほうへ向き直る。
「お前たちも同様だ。父親だけに任せるのではなく、己らで出来うる限りの警戒態勢をしくこと。無理だけはするな。必要とあらば、咲か私に言うように」
 沈黙がしばし降り、そして改めて破られた。
「以上、解散」

(2006.9.20)

 

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