第三章
其ノ2
『彼知者』
(かをしるもの)
豊高は陽気に歌を口ずさみ、光矢の半歩前を歩いていく。普段以上に視線を感じ、光矢は豊高に言葉をかけた。 「あの、龍川さん」 「ん?」 「何か、その……見られてる気がするんですけど」 彼はあぁ、と声をあげ、軽く笑う。日光の具合でか、やけに爽やかな印象を受けた。 「いつものことだから気にすんなよ」 「はぁ」 こっそりと周りを見回すと、若い女の子がしきりに豊高を眺めていた。確かに目の前の青年は顔立ちも整っているし、背も高い。すらりと伸びた足にしなやかな体つきは、女の子の目を引くのも当然だろう。 (先輩はでかいけど、ガタイがよすぎて逆に人が引くもんな……波みたいに) 「てめぇ、今何て言ったよ」 心の声が聞こえてしまったのか、武の手が頭をつかむ。 「いででででっ!! ず、頭蓋が割れるぅっ」 「おいおーい、お前ら通行人の邪魔だぜぇ」 両手をひらひらとひらめかせて、豊高が呆れたように言った。器用に片方の眉だけあげて、ジェスチャーで脇に避けるように示す。 二人が道の端によると、それまで滞っていた人の流れが動き出した。 「剣間クン、暴力はいけねぇぜ」 「フン、黙れ。馴れ馴れしいンだよ」 どうも武は豊高が嫌いらしい。相変わらず、敵意をむき出しにしては突っかかっている。 光矢は自分の反対側に視線を移した。那月がやや小走りになりながらついてきている。一人だけ小柄だからだろう、男三人に追いつこうと一生懸命になっていた。 「那月さん、疲れない」 「うん、平気」 そうは言うが、大分息があがっている。 「無理しないほうがいいよ。ゆっくり歩くように頼んであげるからさ」 「あ、ありがとう……」 那月の口元が、ようやく安堵に緩んだ。 「龍川さん、先輩。那月さんが疲れちゃいますから、もう少しゆっくり歩いてあげてください」 ひょいと那月の手を取り、立ち止まって声を張る。手のひらに収まるほどの、華奢な手だった。少し熱を持っているのは、先ほどまで走っていたからだろうか。手の中で、かすかに彼女の指が震える。 豊高が振り返る。武はそのまま歩いていく。煙草の煙がたなびき、彼の背を追って行った。 「おっと、悪い悪い。那月ちゃん、大丈夫か?」 身を翻して戻ってくる。武とは自然すれ違いになるが、当の本人は足を止めるそぶりすら見せなかった。 「あ、は、……はい、その、……大丈夫です」 歯切れ悪く、那月が答える。握った手が、先ほどよりも火照っている気がした。 「どうしたの、那月さん」 「あっ! え、ええっと」 「ははぁん……なるほどねぇ」 「はい?」 豊高がにやつきながら光矢をつついてきた。脇腹に指が刺さってなかなかに痛いのだが、光矢としては何がどう「なるほど」なのかさっぱり分からなかったため、余計に痛みが意識された。 「那月ちゃん、まさか君って実は」 「だ、駄目ですっ!!」 突然那月が叫んだ。かわいそうなほどに顔を紅くして、一生懸命首を振っている。 「駄目、豊高さん、駄目ですよ!! 言っちゃ駄目、駄目ですってば!!」 光矢としては何がどう駄目なのか、話に全くついていけないので、呆然と二人のやり取りを眺めていることしかできない。 「またまたぁ。そんな真っ赤になっちゃって、こりゃもう一目瞭然だな! そうだろ、光矢君! この幸せ者ぉ!」 「え、何がですか」 一気に空気が冷えた。ように思えた。 「うわ……マジで? ありえねー」 豊高の呟きも冷たい。しかも一歩引かれた。 「お前って存外鈍い男だな……」 「そっ、そんなことないですよ! 光矢君、気にしないでいいんだからねっ!!」 何故か那月はムキになっている。 「……そう……?」 自分は全くもって、話が見えてこない。 (俺って……やっぱ場違いだよなぁ……) 他人事のように考える光矢であった。 「おいてめぇら、置いてくぞ」 遠くから吠えるように、武が怒鳴る。 「おいおーい、そう往来で怒鳴らなくたっていいじゃねーかよー」 「うるせぇ黙れ」 「そういう言い方ねぇんじゃねーのー?」 「てめぇ、殴られてぇのかよ」 険悪な空気が流れてくる。いっそ那月を連れて他人のふりをしようかと、そんなことが脳裏をよぎった、瞬間。 「Hey,プリティーな子猫ちゃん?」 妙な台詞が聞こえた。 「どう、そんな冴えないカレシなんかほっといて、俺と一緒にランデヴーしない?」 背は高い。明るい茶髪を肩口まで伸ばした男だった。黒のベストに白のシャツ、ごついブレスレットにベルト、肌蹴た胸には幾重にもメダルのネックレスが連なっている。革のパンツに革のブーツは、細身の彼によく似合っていた。 切れ長の二重、年は十代の後半か。青年と言っても差し支えはなさそうだ。端整な顔には淡い笑みが浮かんでいる。手は、那月の手首をつかんでいた。 「あ、あの……離して、ください」 困惑気味に、那月が青年を見上げる。 「何? 照れてるのか、カーワイイ」 青年には聞こえなかったようだ。 態度がどこか鼻につく。光矢はいささかムッとして、青年と那月の間に割り込んだ。 「ちょっと、何やってるんですかアンタ」 「んん? 俺ヤローにゃ興味ないの。用があるのは子猫ちゃんだけ。Do you understand?」 発音はいい。結構なことである。が、感心している場合ではない。頭一つ高い青年をにらみあげる。 「今時ナンパなんて古いんじゃないですか」 「俺は時代の先端を爆走する男だぜ、エンデュミオン」 下手したら聞き流しそうになる固有名詞に、思考が凍りつく。男は顔の前で指を振ると、笑みを深めた。次いで那月の腕を、やや乱暴に引く。 「取引をしようぜ。子猫ちゃんを返してほしければ、そこの奥にある取り壊し予定の廃ビル、七階に来てよ。アレス、ディオニソスも必ず一緒に来ること。ぶっちゃけヤローばっかで俺は楽しくないんだけど、自称出来損ないさんからのRequestだからさ。OK? んじゃ、そゆことで」 まるで荷物を持ち上げるように、青年は軽々と那月を抱き上げた。通行人の視線が、別の意味で痛い。 「ちょ……ッ、勝手に話を進めないでください!!」 言ってみるものの、やはり男は聞く気すらないようだ。 「さてとぉ。とびきりムサいGameの始まり始まりー」 裏路地に消える背中を恨めしく思いながら、光矢は未だ(武が一方的な)喧嘩をしている中に割り込んだ。 「いい加減にしてくださいよ! 那月さんがさらわれたのに、喧嘩なんてしてる場合ですか!?」 二人分の視線が集中する。 「何? ……ホントだ、那月ちゃんがいないぜ」 豊高が眉をひそめる。武もまた、つかんでいた豊高の胸倉を離し、渋い表情になる。 「嫌な空気も残ってやがる」 双方の眼差しは、光矢を通り越して奥へと注がれた。 「何で追わなかったンだよ」 じろりとにらまれ、口の中に苦いものがこみ上げてくる。光矢は衣服の裾を握り締め、低く答えた。 「……俺は、普通の人間ですから。何もできませんから」 それは正直な思いであり、自嘲であり、自分はあくまで普通の人間なのだという言い訳でもあった。 「よぉし」 少しの間の後、豊高が吐息と共に言葉を吐いた。 「そんじゃま、一丁やったりますか」 「お願いします」 光矢に背を向けたまま、武が問う。 「……てめーはまたそうやって逃げるンだな。逃げて、逃げて、目を背けて耳を塞いで。そうすりゃなかったことにできると、本気で思ってンのか?」 歩いていく彼に、光矢は何も言い返せなかった。 表通りとは異なり、裏の通りは人気がない。エレベーターは当然動いておらず、階段で登っていく。息が切れる上に、埃っぽい空気で喉が痛む。天井は鉄パイプが露出し、放置されたままの机や器具に、埃が雪のように積もっていた。 「こりゃすげーや。夜逃げでもしたのかなー」 痛いほどの沈黙を、豊高が破る。彼一人だけがまるで緊張感が無かった。武もとがめる気がないのだろう、完全に無視している。 七階。仕切りのない大きな部屋は、薄暗く静まり返っている。割られたガラスからはまだらに日光が差し、舞う埃が照らされているのが目視できる。 その奥に、彼らはいた。 「いやー意外と気ぃ強いんだねー子猫ちゃんは。ちょっとおとなしくさせてもらったけど、女の子はこれくらい気が強いほうがCuteってもんでしょう」 一人は頬に紅葉を貼り付けた、先ほどの青年。傍らの椅子には、力なく背もたれに背を預けている那月がいた。 そしてもう一人。 「よォ――久しぶりだなァ」 紅の髪を持つ小柄な男が、体を斜にして佇んでいた。昏く激しい光をたたえた碧の瞳は、こちらのただ一人を見据えている。 龍川豊高、その人だけを見据えている。 「生きてるうちに会えてよかったぜぇ」 言って、彼は喉でくくく、と嗤った。皮肉げに歪んだ唇が、言葉を紡いでいく。 「なぁ? 『殺し屋の糸巻き(マーダーズ・リール)』?」 そうして嘲笑うように唄うように、『首切り双刃』は一つの名を口にした。 (2007.3.21) |