第四章
其ノ3
『戦臨者(下)』
(いくさのぞむもの)


 寺村氏の車に乗り込み、西嶺家へと向かう。エンジン音は小さく、振動もほとんど無い。改めて、高い車は性能がいいと光矢は思った。
 しかしその分だけ沈黙が分かる。あの武が押し黙っているのを見ると、どうにもいたたまれなかった。
「そういや、先輩。何で家戻ってたんですか?」
 何となくそう問い掛けると、武は目線を合わせないまま答えた。
「ン? あぁ……ちょいとな。忘れもンしただけだ」
「忘れ物?」
「おら、これだよ」
 ポケットから乱暴に引っ張り出されたのは、手のひらにすっぽりと収まるほど小さな箱だった。パールピンクのリボンで丁寧にラッピングが施されている。
 中身を確かめようとする前に、武は箱をポケットに戻してしまった。目線を合わせないのは、先ほどのことをまだ引きずっているからか。
「何ですか、それ」
 一応尋ねてみる。
「馬鹿、うるせぇ」
 なぜか罵られた。察せ、ということらしい。そんな器用なことできるわけないじゃないですか、とは言えず、光矢は肩をすくめてそれに応じた。
「すいません」
 また、沈黙。ぼんやりとガラス越しに風景を眺める。と、見覚えのある色彩が横切った。両手を振って何かを叫んでいる。
 豊高だ。変装はしていない。小脇にかばんを抱えているから、あれの中にしまってあるのだろう。
「寺村さん、あの、止めて下さい」
 光矢が言い終えるのと同時に、スピードが徐々に落ちていく。寺村氏もまた気付いたのだろう。
 ブレーキがかかって停車すると、豊高が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「よっすー! 超偶然じゃん! 助かったぜ!」
 寺村氏が扉を開けると、豊高が光矢の隣に乗り込んでくる。一応武の様子を窺ったが、特に機嫌を損ねた風には見えなかった。
 内心ひやひやしていたが、TPOはわきまえていてくれるらしい。少しだけ武を見直す光矢であった。
「どうでした、龍川さん」
「いやー、そーれがさあもう聞いてくれっての! 俺ってば最大にピンチぃかったわけ!!」
 待ってましたと言わんばかりに声をあげ、豊高は光矢にがばと抱きついた。勢い余って隣にぶつかる。
「狭ぇ」
 武がじろりと光矢をにらむ。ああ、さっきまでは大丈夫だったのに! 胸中で滂沱と涙を流していると、頭をつかまれ押し戻された。こちらも勢いが余って豊高にぶつかる。先ほどは肩だったが、今度は額だ。一瞬視界に星が散り、次いで上下に激しくぶれる。
「いった!!」
「痛ぇ!! ちょ、ちょっとぉー剣間クンー、ひっでーじゃねーの」
「うるせぇ、黙れ」
 武の眉間にしわができていた。明らかに機嫌が降下している。今の声、確実にドスが利いていた。何より目が据わっている。ぶちきれるまで秒読み開始か、はたまたもう入っているのか。いずれにせよ、このままでは身が持たない。豊高はいいだろうが、こちらは被害が直接来るのだ。車の中では逃げられない、ならばボコボコにされるしかない。それは嫌だ。何とかしなくては。
 光矢は挟まれた間から「まあまあ先輩」と宥めてみた。
「今はそんなことより、龍川さんの報告を聞いたほうがいいんじゃないですか」
 武はまだにらんでいる。無言が痛い。視線が痛い。悪夢に全身全霊で突っ込んだときと同じ、針のむしろのごとき痛さだった。
「……だ、駄目、ですか、ね」
 あはは、と渇いた笑いを漏らしたとき、車が緩やかに停止した。
「武様、月島様、龍川様。着きましてございますよ」
「おう。ありがとな、寺村サン。助かったよ」
 武の殺気が霧散する。老紳士の穏やかな声に、光矢はひたすら感謝を捧げることしかできなかった。

 主は不在らしい。寺村氏に尋ねると、コンサートで出かけたとのことだった。応接間のテーブルの上には書置きが残っている。
『一応あんたたちの世話は寺村に任せてあるから安心してね。家は好きに使っていいけど、家財道具を壊したら弁償してもらうからよろしく☆ 払えない場合は超こき使うから覚悟してネ☆』
 ☆をつけて可愛くしても、弁償の文字の持つ意味を軽減することはできない……と思う。高そうな家財道具が一体いくらになるのかなんて、想像したくない。
「……なんで、気をつけてください……」
 思わずやる気の無い声になる。が、胸倉のつかみ合いになっていた武、豊高両者には十分すぎるほど聞こえたらしい。ギョッとしたように手を離し、何事もなかったようにソファへ落ち着く。
「二人とも、仲がいいんだねえ」
 出迎えてくれた水穂が微笑んで言う。
「そうですね」
 那月も、唇に笑みを乗せて言う。
「いや、絶対違うと思う……」
 ツッコミ不在。光矢は頭を抱えてうなる。本当、この面子で戦えるのだろうか。
 そして思う。戦うということ。勝てなければ、命を失う可能性があるということ――
 兄を見る。那月を見る。二人とも、不思議そうに光矢を見ている。武を見る。豊高を見る。負けるということは、この場所にいる誰かが、欠けるということ。
 それは嫌だ。拳を作り、握り締める。それだけは、嫌なんだ。勝たなければならない。勝って、ここに帰ってこなければならないのだ。
「光矢君……?」
「大丈夫」
 那月に笑いかけた。不安はある。けれど、怯んでいる暇はない。決めたのだ。現実から逃げない、と。セレネの涙を、那月の震える肩を、絶対に忘れたりなんてしない。
「龍川さん」
 光矢は豊高に向き直る。
「お願いします、龍川さん。説得がうまく行ったのか、聞かせてください。それと……あの、ピンチだったっていうのは?」
「そーなんだよ、聞いてくれよ! 俺超ピンチかったんだから!!」
 大げさな身振りと泣きそうな顔に、光矢は心のどこかが脱力するのを感じた。
 その後、ウェストバッグをひっくり返し、あれでもないこれでもないの末に取り出されたのは、手のひらに収まるほどの小さなレコーダーだった。
「これは?」
「高性能ボイスレコーダーさ! これ持ってたのちょっと思い出してさー、俺すごくね?」
 豊高が得意げに胸を張る。別にあんたのことを褒めてるんじゃない、というツッコミを慌てて飲み込み、先を促す。
「何が録れたんですか」
「まあまあ、慌てない。俺の解説と一緒に聴いてくれよ」
 小さなスタートボタンが押され、テーブルの上にセットされる。そして――記録された音は、持ち主の記憶と共に流れ始めた。

+++

「あら、早かったのね。どこ行ってたの?」
 扉の開く音、同時に幼い魔女が目を上げる。小さな身体をソファに沈め、扉を閉める彼に問いかけた。
「ん、んー。ちょっとね」
 彼は笑い、それから魔女の手元を眺める。
「何読んでたんだい、Cuteなお嬢さん?」
「気持ち悪いからそういうのやめてよね」
 ワンブレスで言い切ってから、魔女は絵本を見せてくれた。
「……これ、Japaneseじゃないねぇ。読めないや」
「当然でしょ。私は魔女なんだもの。魔術書に決まってるじゃない」
 異国の文字が並ぶ古書、魔女はそれを読んでいた。どこで買ったの、と言う問いに、少女はどこか嬉しそうに言う。
「お父様よ」
「Daddy……ヘリオス様、かぁ」
「ああ。あんた、お父様のこと苦手なんだっけ。ご愁傷様ね、あんなにいい人なのに」
 幼い魔女はくすりと笑った。それは、その年頃の少女らしい無邪気な笑みだった。
「Hey,キルケ」
「なによ。かっこつけちゃってさ」
「どうしてヘリオス様のとこにいるのか、聞いたっけ」
 次いで、呆れたようなため息が一つ。
「……あんたさ、前っから思ってたけど、馬鹿ね」
「ええっ!! そ、そりゃないぜSweet Girl!」
 大げさな彼の身振りを見て、少女は小さく肩をすくめた。
「おおありよ、馬鹿ね。逆に聞くけど、あたしが何でお父様と一緒にいちゃいけないの? あたし、お父様の娘なのよ」
「……あ、そっか」
「やっぱり馬鹿ね」
 嘆息交じりの、哀れみの言葉。ついでに哀れみの眼差しまでもらった彼は、咳払いをして誤魔化した。
「まあいいわ。ちゃんと教えたげるわよ。多分、あんたには話してなかったし」
 ぱたん、と古書を閉じて膝に抱える。それから彼に手招きをした。
「座っていいわよ。話し辛いじゃない」
「……OK,Girl」
 彼は少女の隣に座る。幼い魔女は足をぶらつかせながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あんたも知ってるでしょ。あたしは神様じゃない。太陽神ヘリオスの娘ではあるけど……神様じゃない。でも、あたしはお父様のお役に立ちたかった。だから、お父様にお願いして……ある約束と引き換えに、今回の計画に入れてもらった」
 少女は息を一つつく。それは先ほどのものと異なる、重いため息であった。
「……だけどね。お父様、あたしのことを信頼してくださらない。あたしを使ってくださったのは、ほんの一回だけ。一番最初だけよ。まだできます、お約束を果たしていません、って言うとね」
 また、ため息。静かな部屋に、少女の声と落とされた息だけが降り積もっていく。
「お前には過ぎたことだから、って言われちゃうの。もどかしいのよ」
「Promise?」
「Promise……っていうよりも、どちらかと言えばcontract、って感じね」
 少女は小さく笑ってから、本を軽く放り投げた。存外に重い音がして、本はテーブルに投げ出される。
「あたしが月島光矢を連れてくる。代わりに、お父様が月の魔力を手に入れたら、あたしに昔の姿と力を与えてくださる。そういう、契約になってる」
「親子なのに?」
「そう」
 妙な話だ、と彼は思った。そしてそれは、魔女にも分かっているらしかった。
「お父様は『神の国』を作る。だから、親子がどうこうなんて甘えてらんないの」
 少女の呟きは、まるで自分に言い聞かせるかのようだった。
「あたしはお父様のお役に立ちたい。それだけなの」
 彼にはもう、何も言えなかった。反動をつけて立ち上がり、扉に向けて歩き出す。
「あら、もういいの?」
「貴重なお話、Thank you」
「別に貴重じゃないわ。当たり前の話だもの」
 幼い魔女が笑う。勝気に、しかし無邪気に笑う。彼女はここに集まる神々の誰よりも、前世の父を信じているのだ。
「あたし、お父様のためなら何だってやるわ。あんたみたいにちゃらちゃらしてないから、絶対に月島光矢を捕まえてみせる」
「OK,OK。頑張れよ」
「あっ! 本気にしてないでしょ! 最低! ヘルメスの馬鹿っ!!」
 後ろ手に閉めた扉から、少女の声だけが響いてくる。しかしそれもやがて絶え、辺りは静寂に包まれた。

(2009.7.30)



其ノ2「戦臨者(上)」

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