三-san- 


 少女は路地の一角に座り、漏れる灯かりを眺めている。露出の多い布に覆われた体躯は、成熟する手前のみずみずしさを残している。顔立ちは未だ幼く、柔らかな丸みを帯びていた。
「あら、もらったの? それ」
 奥から声がかけられ、少女は灯かりからそちらへと目を移した。
「暁美小姐(シャオメイねえさん)」
 豊満な肉体の線を隠そうともせず、暁美と呼ばれた女が微笑う。
「いいわね。値打ちものじゃない?」
 白魚の指先で、暁美は少女の髪を梳いた。
 潤いのある黒々とした髪には、大粒の石がはめ込まれた髪飾りがつけられている。碧いそれは不透明で、濡れたように光を放っていた。台座は金だった。いささか古ぼけてはいるが、気品のある造りをしている。
「あたしには、よく分からないです」
 対する少女は曖昧に言う。
「これをくれた人は?」
「分かりません。ただ、お金持ちそうだとは思いました。連れて行かれた賓館も、すごく豪華で」
「好機じゃない!」
 暁美は歓声を上げ、少女を抱きしめる。
「よかったわね、気に入られたってことでしょう? 身請けしてもらえば、まともな生活ができるわ」
 しかし少女は首を振った。
「駄目なんです」
「どうして? もう体を売らなくたってよくなるのよ」
「駄目なんです」少女は頑なに繰り返す。「あたし、待っている人がいるから」
 暁美を見つめる大きな瞳に、強い光が揺らぐ。
「待っている? 誰を?」
 問う暁美に答える声音は真っ直ぐに通り、凛と澄んでいた。
「ずっと昔に離れてしまった、幼馴染を」
 暁美はそう、とうなずき、再度うずくまる娘を撫でる。
「見つかるといいわね、あなたの想うその人が」
 少女は小さく、はい、と答えた。



 虎牙は喧嘩屋、依頼人の代わりに喧嘩を引き受け暴れるのが仕事である。時間帯は関係なく、日の高いうちからやりあうことも少なくはない。
 時刻はまさに真っ昼間。とある組織に呼び出された男から依頼を引き請け、軽く殴り合ってきた。結果は上々、報酬も受け取り懐があたたかい。
 命を取る真似はしなかったが、少々血を見る結果にはなった。それにしても、顔面が変形するくらいでは死なないのに、ちょっと鼻血が出たくらいで騒がれたことは心外だ。もっともらしい名前を掲げてはいたが、大した集団ではなかったのだろう。
 人通りの多い道を歩きながら、虎牙はつらつらと思案する。
 そうだ。それだけのことをしても人は死なない。しかし逆に、驚くほど簡単に人は死ぬことがある。例えば頸に深い裂傷を負ったとき。ここを斬られてしまえば、どんなに屈強な者でも出血多量で命を落とす。何も人だけの話ではない。獣にだって言えることだ。
 当てはまらないのは、後にも先にもあの男だけに違いない。
 化け物――自分とは決定的に何かが違うモノをそう呼ぶならば、黒幻は間違いなく化け物になるだろう。致命傷を負ったはずが生きているとなればなおさらである。桁外れの能力は、ただでさえ人とかけ離れているというのに。
 黒幻の自嘲めいた笑みが蘇る。人間を「邪魔だ」という理由だけで殺し、斬れば妖魔と大差ないとまで言い切った彼が初めて見せた感情。
 演技かもしれない。哀れみの情を受けて有利に事を運ぼうとする輩は、決して少なくはない。
『自分たちで望んだくせに、いざ手に余れば殺そうとする』
 欺くのもまた、生きる手段にすぎない。選んでなどいられない。ここはそういう場所なのだ。裏切りが当たり前の世界で綺麗事を言っても、どうしようもない。手に余れば始末しようとするのは、ごく自然な流れ。自衛のための手段である。他人をだまして利用し、必要であれば危険因子を排除しておく。誰かを守るよりも先に、まず自分が生きなければならない。誰もがそれで精一杯なのだから。
『――それでなお化け物と呼ばれるのなら、貴様らの望むとおりになってやろう』
 それなのになぜ、こんなにも気にかかる。なぜあの顔が離れないのだろうか。
 何度も自問し、逡巡し、頭を振る。分からないことは分からない。分からないことを延々と考えていても時間の無駄である。そもそも考え事など性に合わない。
 舌打ちをして、虎牙は乱暴に口袋へ手を突っ込んだ。生ぬるい風が吹いて、金に染めた髪を揺らした。

 部屋に戻り、戸を開ける。ひどい音を立てて開いた向こう側、床にいる人物に思わず仰天した。黒幻が床で寝ている。いや、眠っているのかも分からない。
 息を殺し、ゆっくりと近づいてみる。地板が軋み、耳障りな悲鳴をあげた。
 黒幻はやはり、床に転がっていた。天井を仰いでいる。細い顎をかすかに上向けていた。髪が白い布地に広がり、筋の浮いた手は布を握り締めていた。もう片方は袖に完全に隠れている。目蓋を閉じ、薄い唇をかすかに開いてはいるが、身動き一つしない。
 よほど眠りが深いのだろう。至近距離になっても目覚めない。まつ毛が淡く目元に影を落としているのが見えた。
 襟は開かれていた。留め具が一つ二つ外れて隙間が出来ている。なだらかな曲線を描いている線が、男であるのに艶かしい。覗く肌は相変わらず蒼白く、生きているとは思えない。血がしぶいた先日の惨事が、まるで嘘のようだった。が、右側の襟が食いちぎられている。原型を留めているのは左側だけだった。
 鎖骨の少し上、喉仏の中辺りを通る紅い傷がある。中途半端に肌蹴た胸もとにも、似たような筋が走っている。相当な数の跡が残っているのだろう。ただの線であるにも関わらず、それはどこか禍々しく、寒気すら覚えるほどだった。
 いぶかしく思うのに、そう時間はかからなかった。虎牙は眉をひそめ、再度観察する。
 右肩には血の染みの名残がある。落とされてはいるが、全部は流せなかったようだ。襟は相も変わらず、右の一部分だけが無い。傷は首の中央に貼りついている。首の中央以外には、胸もと。
 おかしい。黒幻の顔を見た。起きる気配はない。改めて首を見た。傷は喉を真っ直ぐ切断するように横切っている。千切れた襟元、あるはずの跡が無い。
 そんな馬鹿な。思わず手をかけたとき、黒幻が弾かれたように目を開いた。
 次いで手首が凄まじい力でつかまれる。骨が軋んだ。とっさにあげる声すら出なかった。徐々に皮膚へ侵食する冷たさが、締め付けられる痛覚をなお鋭いものにする。
 黒幻の瞳孔は、縦に細く裂けていた。わずかな大楼の隙間から入り込む陽は、瞳を蒼く燃えあがらせる。異様なまでの光を宿しながら、虎牙を凝視している。
 むき出しの殺気が虎牙の体を深く穿っていく。手首が痺れていく。食い込む爪と冷感を、虎牙は渾身の力で振り払った。袖が一度翻り、金に煌めく何かが地板に落ちる。金属特有の甲高い声が小さく響いた。
「何だ? これ」
 腰をかがめ、拾い上げる。翼を広げた鳥をかたどった、繊細な形状の髪飾りであった。多少古くなっているが、その輝きはまだ失われてはいない。明らかに女性のものである。
「返せ」
 吐息に震える声がした。殺気がさらに鋭さを増し、虎牙に向けられる。眦が裂けんばかりに瞳を見開き、虎牙をにらんでいた。
「返せ。それに触れるな」
 答える前に、足下へ針が突き立った。氷の針と称されたそれは、凍てついた光沢を放ちながら虎牙の影を縫いとめている。
「貴様のような者が彼女に触れるなど――それを、返せ」
 背筋を駆け上がるもののままに、髪飾りを投げて返す。返してから、急に怒りが沸き起こった。
 たかだか髪飾り一本で、たかだか服に触れただけで、なぜここまでされなければならないのだろうか。理不尽な仕打ちに、虎牙の怒りは頂点に達した。
 黒幻を無視して、先ほどくぐった扉に向かう。黒幻の視線が背中に刺さる。構わずに戸を開いた。ひどい音を立てて開いた戸を腹いせに蹴りつける。古い木が折れる鈍い音がしたが、それでも怒りは鎮まらなかった。何か言えばいいものを、黒幻は一切口を開かなかった。
 仕事を買って、ついでに女でも買って、憂さ晴らしをするしかないだろう。とにかくこれ以上、この男と顔をつき合わせているのはごめんだ。
 黒幻を賓館に残し、虎牙は再び街へと繰り出した。

「くだらねぇ喧嘩買っちまったぜ」
 伸びた相手を放り投げ、虎牙は首を巡らせて空を眺める。陽はいつしか傾き、夜になろうとしていた。
 仕事をいくつも請けたおかげで時間が経ったが、気分は昼のまま変わらない。途中で悪そうな輩と肩がぶつかり殴り合いになったものの、喧嘩を生業としている虎牙には気晴らしにすらならなかった。しかも私闘ゆえ、金は入ってこない。
「ちくしょう」
 何たる不運。呻き、虎牙は色町の入り口へと急ぐ。
 どうにも落ち着かない。少しでもぼんやりとすれば、考えがすぐに先刻のやり取りに傾いてしまうのだ。こうも苛立っていては賓館に帰ることもできない。あの作り物のような顔を見れば、今度こそ胸倉をつかむだけでは収まらないだろう。そして今度こそ、命の保障は無い。
 悔しいが、黒幻に勝つことなどほぼ不可能であることは明確だった。
『化け物――か』
『返せ。それに触れるな』
 哀しげに細められた蒼い瞳が、髪飾りに触れた際の獣じみた瞳が、虎牙の思考を絡め取る。絡め取り、引きずりこまれてしまう。何度逃れようと試みても、気づけば元の通り黒幻のことに戻っているのだった。
 原因とも言えるべき黒幻の存在が、一層に虎牙を苛立たせる。
「くそっ」
 近くの空き缶を蹴飛ばした。通り過ぎるものが皆、驚いたように避けていく。
 今は忘れてしまおう。虎牙は無理やり思考を中断し、大楼の合間にたむろする女達を物色し始める。
「お兄さん、苛々するのは体によくないわよ」
 手招きをする女の一人が笑う。服はほとんど着ていないも同然、豊満な乳房の間も腿もむき出しになっていた。年は二十の後半か、年を重ねたもの特有の色気が濃く漂っている。
「どう? 私を買ってくれる? 極楽へ連れてってあげるわよ」
 虎牙は女を一瞥し、わざと嘆息する。こういう女は嫌いではないが、好みではなかった。
「俺ぁあんたみてぇな年増は嫌いなんだよ」
 娼婦は整えられた眉を吊り上げ、まぁ失礼ね、と声をあげる。癇に障ったか。年増が怒れば鬼婆、角でも生えてるんじゃあるまいか。小さく肩をすくめれば、娼婦が怒鳴りつけてきた。
「可愛くないのね、その口塞いでやるからこっちおいでなさい!」
(ほら見ろ、本性が出やがった)
 虎牙は胸中で舌を出す。
「冗談じゃねぇや。俺のご機嫌取りてぇなら、もっと若い子連れてきな」
 言いながら目をそらす。娼婦は未だご立腹、虎牙に向けて罵声を浴びせている。構わず視線を走らせて、ふと足を止めた。壁に寄りかかってしどけなく座っている娘と目があう。
 艶やかな黒髪を背中に流した、まだ女になりきれない娘だった。あどけなさの残る面差し、華奢な体は未だ成長の最中にあるのだろう。やたらに胸を強調する服は、彼女が娼婦であることを知らしめている。深い緑色の石がはめ込まれた、金の髪飾りをつけていた。派手すぎず上品な造りをしたそれは、不思議と彼女に似合っていた。
 それ以上に、吸い込まれそうなほど深い漆黒の瞳が美しかった。潤み、零れ落ちそうな色へ映り込む人工の光が、長いまつ毛に縁取られて揺れている。
 誰かに似ている。遠い過去をなぞりながら、虎牙は娘を眺めた。
 やがて記憶は幼馴染の少女の眼差しにたどり着いた。龍牙が連れていた女の子だ。年は同じだった気がする。屈折したところの無い、明るく真っ直ぐな娘だった。その無邪気な笑顔に、虎牙は何度となく救われたのだ。いつしか彼女に強く惹かれていた。彼女を守ると誓ったのは、もう随分と昔の話である。
 しかし結局――守りきることはできなかった。龍牙の留守の合間に、少女は何者かに連れ去られたのだ。あの時ほど力の無い自分を恨んだことはない。
「翠憐に似てるのか……」
 懐かしい名を呟いたとき、娘がわずかに身を乗り出した。
「あんた、どうしてあたしの名前を知っているの」
 細いがよく通る、澄んだ声が耳を打った。彼女の漏らした意外な言葉に、虎牙もまた相手を凝視する。
「何だって?」
「翠憐は、あたしの名前よ」
 娘は大きな目を見張り、しきりに瞬いた。それから息を一つ吐き、緊張した面持ちで問いを発す。
「もしかしてあんた、龍牙って男を知っている?」
「知ってるも何も」
 心臓の音がやけにうるさい。虎牙は乾燥する唇を湿らせて、答えた。
「俺の育ての親は……虎の牙の名付け親は陳龍牙、ただ一人だ」
 娘が小さく息を飲んだ。次いで頭二つ分も高い虎牙の顔を眺め、胸もとで手を握り締める。
「あんた、虎牙っていうの? 本当に、本当に虎牙なの?」
「翠憐」
 虎牙は確信を持って、彼女の名を口にした。
 娘は――幼い頃に守れなかった少女は、愛らしい顔をくしゃりと歪めた。上気した頬を、透明な雫が一筋二筋と伝っていく。
「馬鹿! ……馬鹿、ずっと、ずっと待ってたのよ……!」
 虎牙の胸へ額を押し付け、翠憐が細い腕を回してくる。虎牙は身をかがめ、翠憐の華奢な体躯を引き寄せた。柔らかな皮膚のぬくもりに、胸の奥がじわりと温かくなる。
「すまねぇ、翠憐……」
 強く抱きしめて、目を閉じた。目蓋の奥が熱を持っている。
「俺が弱かったから、お前を守れなかった。迎えにも行ってやれなかった……すまねぇ」
 後悔は未だ、虎牙を蝕んでいた。もう少し力があったならば――いっそのこと黒幻ほどに強い力があったならば、何の気兼ねもなく翠憐を守ってやれるのに。
 そもそも黒幻の力は、人も妖魔も分別なく斬り捨てるためのものではない。こういうときに、世界は不平等だと思い知らされる。虎牙は密かに歯を食いしばり、黒幻に対する妬みを押し殺した。
 と、翠憐が小さく吐息を漏らす。
「いいわ、もういいのよ」
 笑っているのだろうか。一度腕を緩めると、視線がぶつかった。
「あんたが来てくれた。あたし、それだけでもう嬉しいの」
「翠憐」
 涙をためて微笑む翠憐を、もう一度抱きしめる。
「あたしはもう、無力な子どもじゃない。簡単にさらわれたりなんかしないから」
 指を通り抜ける黒い流れから、かすかに彼女の香りがした。
「だから、お願い。あんたの傍にいたいの。ずっとずっと、あんたの近くにいたい。あたしと一緒に、生きて。虎牙」
 翠憐の白い首筋に額をつけて、虎牙はただうなずいた。翠憐の指先が背筋をなでる。優しい感覚は、幼いあの頃と何ひとつ変わっていなかった。



 四肢を力なく放り投げ、黒幻は仰向けに横たわっていた。瞳は虚空を映し、右の手には金の髪飾りが握られている。翼を広げる鳥をかたどったそれは、落ちる陽の最期の光を反射して輝いた。
 部屋の戸が遠慮がちにたたかれる。西洋式の挨拶に、しかし彼は返事すら返さなかった。数刻の後、めり、と扉が悲鳴をあげる。
「やれやれ、扉が壊れていますよ」
 呆れたように肩をすくめ、男が一人部屋へと入ってくる。整えられた衣服と髪、上級階級の人間であるのは一目瞭然だった。対する黒幻は何も答えない。音も立てずに身を起こし、無表情に男を眺めている。
「しかもここは汚い。それにその格好は、いささか私に不釣合いですね。替えをいくつか持ってきましたので、気が向いたときにでも着替えるといいですよ」
 手に掛けていた旗袍を数枚床へ放り、男は続ける。細められた双眸は鋭く、狡猾そうな色を帯びていた。
「そういえば、『上海の虎』と行動しているそうで。実に珍しい。怯えた虎にかまれかけたとも聞きましたが、どうやら未だ斬ってはいないようだ。これまた珍しい。人間を厭う貴方が、人間と共に行動しているとは。貴方らしくない。いえ、本質から考えれば実に貴方らしいのかもしれませんが――あれだけの血を浴び、あれだけ斬り捨てているくせに、憎みきれないと。結局は人が愛しいですか、宵黒幻殿?」
 優しげな声音はいかにもわざとらしい。言外にある嘲りを隠そうともしていなかった。黒幻はわずかに目をすがめる。それを宥めるように、男が二度三度手を振った。
「おっと、不思議にお思いかもしれませんが、私は情報屋ですよ。真実を追究するのが私の仕事、人の知らぬ姿を知るのが私の仕事ですから」
「御託はいい」
 黒幻が言葉を発す。感情を伴わないそれは、夜に浸りかけた部屋に音の残滓を散らした。
「貴様が持っているものを出せ。先日貴様が持ちかけてきた取引を、よもや忘れたわけではあるまいな」
「ああ、あの髪飾りのことですか」
 男が一つ、笑む。
「すっかり失念していました。あげてしまいましたよ。翠憐とか言う娼婦でしたかね、顔はなかなかに美しかった」
 動揺でもしたか、袖から覗く黒幻の指先が震えた。男は満足げに笑みを深め、大げさに首を振ってみせる。
「しかし貴方も面白いですね。人間の持ち物を欲しがるとは。人間に仕え使われるだけの道具には、あの髪飾りは似合わないのではないでしょうかねぇ? 人間のものは、人間が持つに相応しい。ああそうか、この髪飾りの持ち主も、あなたと同じく汚らし」
 唐突に、不自然な箇所で男の声が途切れた。喉から紅が噴き上がる。体が傾ぐ。湿った音を立てて板張りの地板に転がる。生の名残でか、何度も身体が痙攣し、やがてそれもなくなった。
 鉄錆の粘ついた臭いが充満する。烏が一羽、窓の外にあるわずかな突起に舞い降りる。
「――貴様らが翠玉に触れるなど、翠玉を侮辱することなど、許さぬ」
 男の死体に目もくれず、黒幻は呟いた。どこともつかぬ場所を凝視したまま、ゆらりと歩き出す。端整な顔立ちは無表情、しかし瞳に宿る光は明らかに常人のそれを逸脱している。
「翠玉をだまし裏切り殺し俺から奪いそれでもなお生きているならば。全て。貴様らと同じように奪ってやろう」
 闇と沈黙が部屋に忍び寄る。答える者は、無い。
「全て。全て。――返してもらおうではないか」
 黒幻の凍る声音は、壊れた響きを持って滴り落ちた。

(投稿日:2007.7.14 最終訂正:2008.3.25)

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