妖狩
参
もうどれほど走っただろうか。さすがに息が切れてくる。頼りは時折わざとらしく残された、あの蜘蛛の糸だけであった。 ただの蜘蛛の糸ではない。妖気の塊のようなものだ。やや粘り気を帯びたそれは、少しでも力を緩めると空気にたなびいてどこかに行ってしまう。しかし、たとえどれだけ横に引っ張っても切れない弾力性があった。これが幾重にも連なり巻きつけば、獲物は絶対に逃れられないだろう。 今までの犠牲者もこうして捕らえられたのだろうか。そんなことを考えながら、糸を左右に引っ張った。 警察の必死の捜索でも分からないのは、相手が人間として存在していないからだ。狩りのときだけ人間の姿をしていればいいのだから、どれだけ人相書きを描こうが特徴を列挙しようが意味がない。ただでさえ紅いコートは目立つ。男の気を引くために、何らかの細工がしてあったのかもしれない。確かめる必要はありそうだが、まずはさらわれた比呂也を助けるのが先だ。 走ることさらにしばし、いつしか弓月は鬱蒼とした森にたどり着いていた。冠桜高校のさらに北、町の北東にに陣取った森林地帯である。誰かの所有地だと聞いたことはあるが、ほとんど手入れもされておらず、かといって手を加えることもできず、放置されて久しかった。 その広さは高校の敷地二つ分、単純計算で二十分もあれば反対側にたどり着ける程度である。しかし規模こそ大きくはないものの、森林内は常に薄暗く人気がない。そのせいか、学生の間では割と有名な心霊スポットとして噂になっていた。行方不明者も一年に一人出るが、必ずこの森の付近で消息を絶っている。 今になって考えてみれば、ここは町の鬼門にあたる。鬼門は鬼の通る道、妖が湧いていても何ら不思議ではない。ひょっとしたら、地図で記されているよりももっと深いのかもしれない。弓月は闇を孕む木々の合間をにらみつけ、まっすぐに入っていく。 息が詰まりそうなほどの静寂。耳が痛くなるほどの沈黙。白い糸はまるで霞のようにたなびいて、木にへばりつき、あるいは草に絡まり、または生き物のように体をくねらせて空を泳いでいる。全くの無音だ。虫の声一つしない。 ひらいたひらいた 何の花がひらいた れんげの花がひらいた ひらいたと思ったら いつのまにかつぼんだ 静寂を弓月の唄が裂く。凝縮された力をつかみ、引き抜いて手に携える。抜き身の刃が照らし出すのは、黒々とした樹木の幹だ。そこに白い糸が絡みつき、妖気も同じように全身にまとわりついてくる。それを無言で振り払い、さらに奥を目指して進んだ。 やがて視界は開け、小さな広場の前に出た。とっさに身を隠し、様子を伺う。人為的に作られただろうその場所に、紅のコートをまとった女が一人たたずんでいた。表情は分からない。何かを食い入るように見つめていた。その目の前には白い塊が浮いている。否、浮いているのではない。無数の糸で吊られた巨大な繭だ。繭とも少々違うやもしれない。 そう、これは言うなれば―― 「蜘蛛の獲物……」 時折激しく揺れるそれは、中の人間の無事を示していた。次いでくぐもった叫びがあがる。弓月、という名前が聞こえた。女は気づいた様子がない。 全く、本当に情けない奴。弓月は声を押し殺し、目を外さないまま結界を織り上げる。 とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちいっと通してくだしゃんせ 御用の無いもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札をおさめに参ります 行きはよいよい帰りは怖い 怖いながらもとおりゃんせ とおりゃんせ 圧迫感と、閉塞感。これで退路は断たれたはずだ。念のため糸籠を作ろうかと息を吸ったとき、 「お前、氷室弓月という名前ね」 女の首が、ぐるりと向いた。長い黒髪が乱れてもつれる。白い顔に黒い筋を張り付かせたまま、女は瞳を見開いた。 「歳の若い妖狩だと聞いたわ。若い、若い妖狩ね。氷室弓月ね――」 気づかれた。弓月は返事の代わりに飛び出した。速度を上げて間合いを詰める。女は避ける気配を見せない。それどころか、美しい面に歪んだ笑みを刷いて両手を開いた。 「妖狩、不老不死、不老不死よ、不老不死の血よ! 私のよ、私のよ、私のおぉ!!」 叫びと共に、頬を何かがよぎった。少しの間を置いて熱が生まれる。身をひねり第二撃を避け、再び女と対峙した。 「女の、血の、味……女はまずい、お前、男に、男に擬態するなんて、性格が悪いわよ、この、小娘ぇ」 ぎちぎちと牙を鳴らしながら、女はしゃがれ声で呻いた。 一方の弓月は微妙な表情にならざるを得ない。名前はまだいい。どうせ比呂也が叫んでいたのを聞いたに違いない。しかし、『若い妖狩が氷室弓月』という情報はどこで仕入れたのか。 「おいてめぇ、どこから俺の名を聞いた」 女は不気味に微笑んだ。ぎちりと牙が鳴り響く。 「そんなこと、どうでも、いいじゃない。不老不死の身体が、私はほしいのよ」 答えるつもりがないならば、力ずくで聞くしかない。弓月は刀を握り締め、その切っ先を女へ向ける。白い炎が噴き上がり、夜の闇を照らし出す。 「不老不死? ハ、無理だ、無理。そんなしわ枯れのババァじゃ、いまさら不老不死になってもしわ枯れのババァだぜ、絡新婦(じょろうぐも)」 若い男を琵琶の音で誘惑し、聞き入った男を食らう妖怪。随分昔に数が減り、今ではおとなしく暮らしていると思ったが、どうもそうではないらしい。これもやはり、妖魔の流入が原因なのか。 女の牙が、さらに嫌な音を立てる。全身を怒りに震わせ、瞳を一杯に見開いて弓月をにらむ。 「今、今なんていった? ババァ? この私が? 私の完璧なまでの美貌が? しわ枯れ? 男の精をすすって、美しく美しく美しくなったこの私が?」 女が身をよじり哄笑する。その口からほとばしった声は、既に人間の言葉を形勢していなかった。裂けた顎からは巨大な牙が現れ、わき腹からはグロテスクな蜘蛛の足が生まれ始めている。 「外見だけな。大事なのは中身だろ。肝心の中身がそれじゃあ、たとえ不老になったってそのままだな」 女は人間の皮を破り捨て、ついに巨大な蜘蛛へと変化した。糸が吐き出される。首に巻きついて締め上げられるが、弓月は全く動じない。軽く目を細め、刀の柄をきつく握った。 刃の紅が煌めいたのは、一呼吸の間の後だ。噴き上がるのは純白の焔、舐めるように糸を伝い、蜘蛛の足へと燃え移る。耳障りな悲鳴をあげて、蜘蛛が大地を転がり回る。しかしそれでもなお性懲りも無く、糸を吐きかけて詰め寄ってきた。 身体の自由が利かずとも、弓月の頭に敗北の文字は無い。意識をめぐらせ、言葉をつなぐ。 三つとや 皆様 子供衆(こどもしゅ)は楽遊び 楽遊び 穴一こまどり羽根をつく 羽根をつく 牙が首にかかるその直前、刀は焔を巻き上げて蜘蛛の糸を焼き払う。大地へ置いた切っ先を、大きく背後へ向けて振るう。焔は龍のごとくうねり、咆哮をあげて繭を包んだ。崩れる繭の中からは、暴れていた幼馴染が投げ出される。ぜいぜいとせわしなく息をして、力なく親指を立ててみせた。 弓月はもだえる蜘蛛へと詰め寄る。蜘蛛は最後とばかりに糸を放つが、先ほどと同様焼き払った。同時に牙が首筋を狙うが、動きの鈍った一撃など通用しない。 一歩退いてそれを避ける。さらに蜘蛛が弓月を追う。糸を放ち、飛び掛り、避けられて焼き払われてもなお追いすがってくる。その執念はすさまじい。それほどまでに不老不死になりたいか。ならば、自分では永遠に不可能だ。 刀を噛ませ、押し返す。無様に転がる蜘蛛の前へ、弓月は刀を突き立てた。 「おい、絡新婦。誰に聞いたか知らねぇが、一ついいこと教えてやるよ。俺も血ぃは確かに濃い。日本の中じゃ一番濃いから、俺ぁ本家って言われてる」 蜘蛛の動きが一瞬止まった。剛毛に覆われた足が何度も地面を掻き、土を削りえぐっていく。滴る体液が嫌な臭いを発し、撒き散らされて草地を汚す。まるで、聞かんとしているようだ。それでも弓月は続けていく。 「だがな、混じりっけない純血っつーのは、本家本元のことを言う。本家本元は中国にある、ま、つまり中国人だ。日本に来た俺の先祖は、人間と結婚して子どもを残した。俺ぁ人間の血が混じってるから、不老不死になんて絶対ならねぇんだよ」 その瞬間、蜘蛛が耐え難い音で叫びをあげた。刀を跳ね除け、狂ったように暴れまわる。再び絡みつく糸を唄で焼き切り、弓月は蜘蛛をねめつけた。 「それより答えろ。俺の名前、どこから聞いたんだ。誰からの入れ知恵だ。誰にたきつけられた。誰がてめぇらを操ってる」 白い炎は燃え上がり、周辺を銀へと染め替える。蜘蛛は怖気づいたようにもんどりうち、しわがれた女の声で小さく叫んだ。 「だまされたわ、だまされた、あの鬼にだまされた!」 鬼。弓月は双眸を眇めて蜘蛛を見た。蜘蛛はなおも毒づいて、牙をがちがちと開閉させる。 「だまされたのよ、私は、だまされたの! 何が不老不死よ、こんなことなら、あの人間を食っていたほうがよかったわ! それなら、妖狩なんかに……不老不死じゃない妖狩なんかに殺されずに――」 大した情報は引き出せなかったか。まあ、それも仕方がない。弓月は刀を拾い上げ、 「――妖狩は、人に仇なした妖を全て斬るぜ? 逃げられるはずなんかねぇんだよ」 一刀の下に切り伏せた。紅の刃がひらめいた、銀の炎が弾け飛ぶ。蜘蛛は断末魔も残さずに、炎に包まれ灰となった。 風に溶ける残滓を眺め、弓月は一つ腕を振るう。焔は銀粉をちらつかせながら、蜘蛛の身体を塵へと変える。遠くでそれを見つめていた比呂也が、ふらつく足でやってきた。 「怪我、ねぇか」 問いかけに返事はない。いぶかしんで首をかしげた弓月に向けて、比呂也が言葉を投げかける。 「なあ、弓月……どうしてだ?」 「あ?」 投げかけられた問いが分からず、弓月は思わず聞き返した。 「稲荷伏の狐にはさ、悪さをする理由聞いたじゃねーか。あの蜘蛛だって、だまされてたって言ってただろ。なのに何で……」 比呂也は言いよどみ、蜘蛛の妖怪の消えた場所へと目を移す。どうして、ね。なるほど、普通ならばそう聞くか。弓月は喉の奥で笑うと、小さく肩をすくめて比呂也を見た。 「あいつは妖怪だ。しかも、人を殺して食っていた。だから狩った。それだけだ」 「でも……事情ってもんが……」 「狐は人間を昏倒はさせたが、誰一人殺してはいねぇ。それに、ランクこそ低いが土地神としての機能を果たせる。利用価値が十分にある。だから助けた。今回の蜘蛛は、生かしておいても人を食うだろう。だから斬った。今までだってそうだっただろ?」 「で、……でも、でもよぉ、だって……」 「比呂也」 鋭く制し、弓月はことさらゆっくり言葉をつないだ。こいつは本当に変わらない。人をまるきり疑わないところも、その優しいところも、何もかもが変わらない。 「妖の事情になんざ興味はねぇ。妖狩ってのはそういうもんなんだよ。同情するな。共感するな。人間に危害を加えるか否か、人間の利益になるか否か。それだけを判断すればいい。俺は妖狩だ。人間を守るために自らを盾と為し、脅威を排除する存在だ。狩る対象に同情し、狩る対象に共感すれば、己の使命を全うできない」 たとえそれがどれだけ気に入らなくても。たとえそれがどれだけ、理不尽で不公平だったとしても。たとえそれでどれだけ自分が苦しんでも――己の使命を、全うしなければならない。契約には逆らえない。妖狩は人の盾、人間の道具だから。 胸中でそうつけ加え、弓月は言葉を打ち切った。やはり不満なのだろう。比呂也は黙したまま答えない。 「妖狩の使命は、自らを道具とし、人間を守ること。太古より血に受け継がれ、魂に刻まれた契約は強固だ。抗うことなんてできない。引きちぎろうと足掻いたって、どうせ最後に自滅するだけだ」 自分で言っていて嫌になる。何が使命だ。何が契約だ。そんなもので自分の人生を決められるはずがない。決められてたまるものか。心がある。意思がある。自我がある。どこも人間と変わりない。なのにどうして人間と同じように生きてはいけない。理不尽にもほどがある。 それでも、選ばなければならないのだ。自滅を選ぶか喰われて死ぬか、生きて殺し続けるか。最初から決められた三者択一、そのどれでもない自分の望みなど、叶えることなどできないのだ。 はるか遠い昔から、自分たちに義務付けられてきた決まりごと。それこそが、人間と盾を分けるもの。決して踏み越えられない、絶対的なもの。 「……くっだらねぇ」 刀を振るえば焔があがる。すべてを浄化する、月光にも似た白い焔。紅の刀身を包み込む白を瞳に映し、弓月は小さく吐き捨てた。幼馴染は、最後まで何も言わなかった。 蜘蛛の巣に燃え移る炎を、月光がなお明るく照らし出す。深い闇夜に閉ざされた、初夏の森の奥でのことである。 (初回アップ:2006.3.2 最終訂正:2009.9.29) |