妖狩
肆
* * * 頬に鈍い衝撃が走って、弓月は重い目蓋を持ち上げる。 「弓月! ちょっと、寝てる場合じゃないわよ! 起きなさい! 起きろっつってんだろが!」 尊杜の顔が、徐々に明確になっていく。焦りのせいもあるのか、最後の言葉と同時に殴られた。抵抗らしい抵抗すらできず、彼の拳をモロに受ける。痛い。 まだ生きていたのか。ようやく覚醒した意識の下で実感する。尊杜の膝に頭を乗せたまま周囲を見回す。先ほどと異なり、道幅も狭かった。周囲にはビルが立ち並んでいる。どうやら彼は、昏倒した自分を抱えてここに隠れたようだった。 わき腹に手をやって傷を確認する。ぬるりとした生温かい熱を、手袋越しに感じ取る。出血は思ったよりも酷くなかったが、傷は思ったよりも深かった。ジャケットを脱いで傷口にまきつけ、簡単な止血をする。 「あーびっくりした! 腕引っ張るタイミングがもう少し遅かったら、あんた完全にどてっ腹ぶち抜かれてお陀仏だったわよ! 感謝しなさいよね。あとで極上パフェおごらせてあげるから覚悟なさい」 攻撃される直前に、体重が後ろへ傾いたのはそのせいか。なにやらとんでもない注文をつけられた気がするが、ともかく礼の意味を込めて一つうなずく。 納得すると、今度は痛みがダイレクトに響いた。 「……ッ」 思わず身をよじって顔をしかめる。依然として声は出ない。情けなくかすれた呼吸音が、喉から漏れてくるだけだった。 「しっかし、なるほどね……こりゃ厄介だわ。あんたの知り合いが鬼に憑かれて、あんたはそれを斬った。でも鬼だけが生き延びて、違う娘に取り憑いたと。そういうことか」 相変わらず、嫌味なほど洞察力の鋭い男である。一つ訂正を入れるとすれば、知り合いなどという遠い間柄ではなく、自分の生い立ちも全て受け入れて友達だと言ってくれた、幼馴染だった。 遠くから不規則に乱れた足音が近づいてくる。文字通りの復讐の鬼が、着実に近づいてくる。 弓月は奥歯を噛み締め、空いた手で拳を作る。ここで彼女を斬らなければ、多くの罪なき人々が犠牲になる。憑かれた者は、既にその肉体の者ではない。鬼なのだ。妖なのだ。頭では分かっているのに、過去の思い出がだぶってそれを拒む。 真帆を、大事な友だちを始末できるはずがない――違うと分かっているけれど、どうしてもこの少女に、同じ年になった真帆の姿を重ねてしまう。 「……弓月」 よほど悲惨な表情だったのだろう。尊杜が痛ましそうに眉を寄せた。 狩る対象に同情してはいけない。共感してはいけない。分かっている。結局、抗うことなどできないのだ。どれだけ抵抗したところで、根っこの部分は妖狩の定めに縛られている。逃れることなど、できはしない。抵抗するだけ無駄なのだ。 尊杜の背中の向こう側、ゆらりと白い影が揺れた。血の濃い臭いがこちらにまで流れてくる。 「みぃつけた」 嬉しそうに目を細め、彼女はおぼつかない足取りで歩いてくる。弓月も身体を起こして彼女を見つめた。尊杜との声が聞こえた気がするが、弓月はあえて無視をする。 「みぃつけた。ゆづ、ゆづ。遊ぼうよ、遊ぼうよ。お仕事なんてやめちゃおうよ」 繰り返し繰り返し、彼女は恨み言を呟きながら足を運ぶ。弓月も引き止める腕を払いのけ、刀を杖に立ち上がる。鏡の表面に似た瞳には、虚ろな目をした自分がいる。驚くほど無表情で、驚くほど冷静に、弓月は自分の像を眺めた。 「お仕事なんてやめちゃおうよ。昔みたいに、一緒に遊ぼう」 鬼から避けていたのは、彼女のことを思い出すからだ。男であれ女であれ、殺してしまった彼女のことを思い出さずにはいられなかったからだ。だから逃げた。逃げずにはいられなかった。そのツケが今、回ってきたのかもしれない。蓋は開かれた。後戻りはもう、できない。 「昔みたいに、一緒に遊ぼう。ねえ、ねえ」 それならばもういっそのこと、全部投げ出してしまおうか。再び朦朧とし始めた思考回路の中で、ふとそんなことを考える。用意された選択肢から選ぶのは非常に癪だが、もう考えることすら疲れた。もう、どうでもいい。 「鬼ごっこしようか。鬼ごっこしようか。私が鬼ね。私が鬼ね」 細い指がいっぱいに広げられ、こちらに向けて伸べられている。 「痛いのは嫌だよ。痛いのは、嫌だよ?」 あと六メートル、五メートル、四メートル―― 「ほうら、ほうら。つかまえ……」 彼女の腕が、消えた。遠くのほうで、重いものが落ちる音がする。 いつの間にか、彼女と弓月の合間に人影があった。振りぬかれただろう黒い刃が、血に濡れて光沢を放っている。 「……あ、れ? あれ?」 呆然と、愕然と、彼女は呟く。弓月にも一体何が起きたのか、理解することはできなかった。それは尊杜も同様だったらしい。人影を凝視したまま絶句している。 「日本の本家が醜態を曝すか。前回は逃し、今回は始末すらしようとしない。目障りだ。斬るか死ぬか、どちらかにしろ」 声がした。よく通る、硬く冷えた低い音に、温度すら持たない感情が入り込んでいる。背筋を這い登る冷たい殺意に、弓月は思わず柄を握る手に力を込め、刀を引き寄せた。 刀を握って佇んでいるのは、小柄な若い男であった。精気の感じられない肌は蒼白く、整った顔立ちのせいで作り物めいた印象を与えている。漆黒の髪は長かったが、背中の辺りで乱雑に切られていた。 しなやかな体躯は痩せぎすで、黒い絹製のチャイナドレスをまとっている。袖は長く袖口が大きい。手の辺りまで隠れている。腰には服にそぐわぬチェーンベルトを巻きつけていた。服の模様は龍、薄い布の下穿きをはき、靴も布で出来ている。瞳は切れ長の一重、さすがの弓月でもおぞましささえ感じるほどに冷たい光を帯びていた。 あの廃屋で、フランス窓の枠にもたれて煙草を吸っていた――あの男だった。 尊杜が息を飲み、わずかに身を引いて呟く。 「どうして……どうして、あなたが、ここに」 知り合いか。目で問えば、尊杜は一つ首を振り、彼の持つ刀を示した。弓月の持つ『月朱雀』と、形状も刀身の長さもよく似ている。違うところといえば、禍々しいほどに黒い刃だろうか。 「あれは、妖魔退散の力を持つ『月』の刀が一振り……『闇月牙(あんげつが)』」 まとわりついた液体が、音も立てずに地に染みる。 「あれを持っているのは、中国にいる妖狩、最後の純血、…… 宵K幻 (シャオ ヘイファン)、彼だけよ」 男はその名を呼ばれても、反応一つ返さなかった。 「う――う」 彼の背後で彼女が呻く。落とされた腕の断面が、嫌な音を立てて煙を上げていた。既に妖に堕ちた身が、妖魔退散の力に触れて拒否反応を起こしているのだ。 「どうした。早く息の根を止めろ。それとも怖くて斬れぬとでも言うか」 流暢な日本語で淡々と綴られる音は、あまりにも残酷で無慈悲だった。男の氷のような眼差しが、こちらへと向けられる。 気に入らない。弓月はわずかに顎を引き、男をにらむ。命令されることも嫌いだが、何よりも本能が嫌悪感を催している。なぜなのかは弓月自身にも分からない。ただ、この男の存在自体がひどく苛立った。 男は感情の欠片も露出させずに、弓月を見据えている。全身を凍った針が刺し貫くような感覚がよぎっていく。力の入れすぎで震える手を何とか制し、視線を合わせること数刻。 「始末しないつもりか」 問いかけが、投げられた。 弓月は口を閉ざしたまま、奥の鬼へ目をやった。壊死し始めている傷口を押さえ、彼女は痛みに奇声を上げている。 憑き物が嫌いだった。人間を器にして取り憑く彼らが嫌いだった。外見は本人でありながら、全く別のものに変えてしまう奴らが嫌いだった。そのくせ、斬る感触は人間のそれらが嫌いだった。たとえ違うものなのだと分かっていても、真帆のことが意識の隅にこびりついて離れなかった。 そうだ。自分は彼女を助けたかったのだ。たとえどれだけ嫌われていたとしても、どれだけ怨まれていたとしても、彼女を人間に戻してあげたかった。もう絶対に元に戻らないと分かっている。だが、可能性はゼロではないはず。あのときは何も知らない子どもだった。今なら、何かができるかもしれない。これは紛れもなく、自分の意思だ。妖狩の契約にはない、自分で決めたことだ。 弓月は一つ、うなずいた。問いへの返答と、自分にまかせろという意味を込め、下がるように手で示す。男の瞳が意味ありげに細められ、しなやかな身体がついと動き、 思考はそこで強制的に終了した。終了せざるを得なかった。 彼女が前へ身体を折る。胸もとに埋められたそれは、確かに弓月の手にした『月朱雀』だった。肉を裂き、骨を断つ嫌な感触が、柄を通して這い登ってくる。 男の蒼白い手が、弓月の手首をつかんでいた。とんでもない力で握り締められている。眼差し同様氷のように冷たい手、これが刀を刺させしめたのだと気づくのに、時間はかからなかった。 彼女の腕が、自分のほうへ伸ばされる。顔が仰のいた。まるで怯えているように、瞬きもせずにこちらを見つめている。全身の血が音を立てて下に流れていく。目の前が再び霞がかり、手足が冷たく凍りつく。 彼女は、小さく唇を動かした。何を言っているのかは聞こえなかった。かすかに笑んだ気がするが、確認することはできなかった。苦しげに身体が反り返り、角の間から得体の知れぬ液体がほとばしる。何かが飛び出した、しかしそれを追う間もなく絶叫がとどろき、そしてそれきり沈黙した。 手が離れた。重力に伴って刀が落ちる。同時に彼女の細い身体が焔に包まれ大地に伏した。自分の操るものと違う、真紅の焔が彼女を塵へと変えていく。 頭の中が滅茶苦茶になって真っ白になって、まともに思考することすらかなわない。喉からほとばしる叫びですら、音になることはなかった。 「愚かだな。そんな選択肢は、最初から存在していない」 嘲りを瞳に含ませて、男は弓月を一瞥する。 弓月は喉に貼りついた声を無理やり引き剥がし、やり場のない怒りと共に男に叩きつけた。空いた腕を伸ばし、男の胸倉をつかみあげる。 「何で、何でだ!! あいつ、あいつ戻ったのに! もしかしたら……もしかしたら、人間に戻せたかもしれないのに!」 ここでも選択しなければいけないのか。なぜだ、どうして、助けてはいけないのか、可能性を求めてはいけないのか、なぜ、どうして。単語の羅列が意識を埋め、全てが音にならないまま消えていく。言葉として出すことができない。溢れてくる怒りに震えながら、弓月は男をにらみつける。 「愚問だな。我らの本分は『狩る』ことだ。『助ける』という意味は含まれていない」 叩きつけた言葉は、いともあっさりと両断される。男は依然として無表情のままだった。 「ただの人間だろうと妖だろうと、幼馴染だろうと身内だろうと他人だろうと、斬れば皆須らくただの肉塊になる。同じモノだ」 否――薄く、笑っていた。 「何を躊躇する必要がある。解せんな。今までそうして斬り捨ててきたのだろう? たかだか鬼一匹を斬ったところで、死体が一つ増えるだけだ」 怒りで混乱していた意識が、急激に冷えていく。今何と言った。『ただの人間だろうと妖だろうと』『斬れば須らくただの肉塊になる』? それは、つまり、 「てめぇ……人間も、斬った、のか」 「今更、だ」 男は低く喉の奥で嗤う。凄艶なその笑みには、狂気が色濃く彫り込まれていた。 細い身から立ち上るその気配が、弓月に牙を剥いている。氷のように冷たく、鉛のように重い。息が詰まりそうだ。 「俺は俺の本能のままに獲物を狩るだけ、その中に人間もいたというだけの話」 鈍い蒼に染め上げられた眼差しが、弓月の姿を捉えて離さない。脳が警鐘を鳴らしている。最後の純血。契約に囚われ、縛られ続けてきた一族の、始まりの血だけで構成された者。なぜここまで狂うことができる。なにが彼を狂わせた。 「契約を……破棄したのか!? まさか、そんな……なぜ本家が!」 麻痺しかけた思考を、尊杜の言葉が打ち砕いた。砕かれた思考は、再び色を失っていく。 「お前たちが知る意味もない」 その答えは、肯定以外の何者でもなかった。 契約を破棄したということは、三者のどれも選ばなかった結果に他ならない。つまり選びたかった道の先に待っているのは、 「……ふざけんな」 歯軋りをしながら、弓月は声をしぼり出す。転がる刀を拾い上げ、その切っ先を男へ突きつけた。 「弓月! やめなさい、あんた今自分が何してるか分かってるの!?」 「うるせぇ」 尊杜の悲鳴を遮る。選択させてくれなかった、この男が気に入らない。助けるという選択肢すら斬り捨てた、この男が気に入らない。自分が選びたかった先に、この男が待っているのが気に入らない。 契約を外れた先には狂気しかないということを、認めたくない。 「純血だか何だか知らねぇが……てめぇの存在自体が、俺の癇に障るんだよ」 「弱い娘を斬ったからか、それとも人間も妖も斬るからか」 弓月は答えない。握り締めた刀の切っ先が震えている。忘れかけていた傷口の痛みが、再び意識を蝕み始めた。 男が笑みを深くする。紛れもなくそれは嘲笑だった。刀を振るい、斜に構える。 「いいだろう、臭小鬼(クソガキ)。お前の勝手な幻想もろとも、骨の先まで残さぬよう徹底的に叩き壊してやる」 漆黒の刃がわずかな光に照らされて鈍く輝く。月の無い夜ならば、恐らくは刀身すら見ることはできないだろう。その代わり、全身から放たれる殺意の刃が、こちらの心臓を深々と刺し貫いていた。 嗤っている。いっそ不気味なくらいに凄艶に、相手が声もあげず嗤っている。足がすくむ、腕が震える、それを無理やり押さえつけて、相手の気配を必死に探る。乾いた喉で呼吸をする。一つ、二つ、三つ、同時に――動いた。互いの切っ先が互いの胸を、どちらが先に貫くか。 その、直後。 突然身体が硬直した。あと一歩が踏み出せない。切っ先を指に挟まれ押し留められている。相手も同じ状態だった。煙草のにおいが鼻先をかすめ、視界に新たな色彩が生まれる。 くすんだ金色と、目の覚めるような赤。髪とバンダナの色だと分かったのは、乱入者がこちらを向いたときだ。素肌に直接黒い革のジャケットを羽織り、諸所が破れたジーンズにごついブーツ、ひしゃげた金属板のついた鎖を首からかけている。硬そうな髪は乱雑に束ねられ、背中に流されていた。額のバンダナがやけに似合う。年は恐らく二十代の後半だが、顔立ちはやや幼い印象を受ける。弓月よりも頭二つ分は高い、長身の若者だった。 「そこまでにしときな。同族同士で戦うなんざ、夢見悪ぃぜ」 中国訛の残る、比較的上手い日本語で制止がかかった。耳あたりのよい低音と敵意のなさが、警戒心を緩和させる。眉間にしわを寄せて苦笑しているが、どちらかと言えば子どもをあやすのにも似た表情だった。 「誰だ、てめぇ」 「李白の李に虎の牙。李虎牙(リ フーヤ)。喧嘩屋で、妖狩。K幻を追っかけてきた。すぐにいなくなるから、困る」 親しげな響きを帯びてかたどられた男の名は、彼らが同郷の出なのだということを、そしてただの同郷の友ではないことを、如実に物語っていた。 「虎牙」 一方、憎しみとも判別できない形相で男が声を放つ。次いで鋭い金属音が響いた。男が青年の指から刀を引き抜き、地面に叩きつけた音だった。 「おー怖ぇ。何そんな怒ってんだか」 むしろ余裕すらうかがえる。肩をすくめ、呆れた様子で男の手首を捕まえた。今度は相当力を入れているのだろう、男が何度か身をよじったが、手が離れることはなかった。 これだけの殺意をにじませている相手に、こんな真似をするなど考えられない。よほどの命知らずなのか、それともただの馬鹿なのか。 「……邪魔すんな」 「それは聞けねぇな。お前怪我してる。それに俺は、こいつ止めるって約束がある」 青年は弓月のわき腹を示し、それからつかんだ手首の先を示した。 「閉嘴(ビズイ)、虎牙!!」 苛立ちのためか焦りのためか、男が声を荒らげる。それにも動じず、虎牙と名乗った青年は続けた。 「ちなみに今のは『黙れ』ってぇことだ。珍しいな……こいつ、ちっと興奮してっから連れてく」 青年は語りながらも、暴れる男の腹に一発拳を叩き込んだ。あまりの唐突さ加減に、弓月も一瞬だけ唖然とする。さすがに拘束されていては逃れられない。男は青年を見上げて何事かを毒づき、身体を折り曲げて気絶する。取り落とされた黒い刀は、やがて空気に溶けるようにかき消えた。 「何か、言われたか?」 男を片手で担ぎ上げ、青年が問う。 「……別に」 青年から視線を外し、弓月は低く答えた。少女の身体があった場所には、既に塵の一つも残っていない。それが、ひどく虚しかった。いつも自分が行っていることなのに、だ。 『そんな選択肢は、最初から存在していない』 改めて突きつけられた現実と、選ばなければならない苦痛が重くのしかかる。憑かれた人間を助ける方法を、探すことすらできないなんて。 逃げたいと思っていた。敷かれたレールから外れて、自分の好きなように生きたいと思っていた。せめて人間と同じように、生きていたかった。それすら否定された今、どうしていいのか分からない。 「おい」 不意に額が叩かれ、よろめく。 「よし。あとで俺が話聞いてやる」 「は?」 面食らって思わず聞き返した。青年はにやりと歯を見せて笑い、弓月の頭をかき混ぜる。手を振り払ってにらみつけても、彼は嬉しそうに笑っているだけだった。 「お前と俺、随分気が合いそうだからな。悩みやらなにやらあるだろ、俺も助言あればしてやる」 「いらねぇ」 「そう言うな。お前、迷ってる。だから俺は、手を出すだけだ……たぶん、また近いうちに会う。そのときな」 じゃあ、ときびすを返し、青年はゆっくりと歩き去る。その後姿を見送ってから、弓月はふと隣を眺めた。 「尊杜、いたのか」 「いたわよ」 オカマがふてくされていた。 「あたしそっちのけで話進めないでちょうだいよ。ひどいわひどいわオカマ差別だわ差別反対ー」 鬱陶しさが倍増されていた。 「……悪かったな」 とりあえず謝っておくことにした。満足したらしく、いいわよもうパフェ二つで許してあげるわ、と答えが返ってきた。単純な男である。 一呼吸置いてから、尊杜が小さく詫びを入れる。 「あたしも、悪かったわね。正直あんたが甘えてるだけかと思ってた」 「いい。説明してなかったこっちの落ち度だからな」 この十年間、誰にも言わずに隠し続けてきたことだ。幼馴染にも言っていない。この事実を知っているのは、いまや自分だけになってしまった。これからもずっと、この痛みを隠し続けていくのだろう。 「……これからは、どうすんの」 「安心しろ。これからはきちんと憑き物憑きの始末もする」 たとえそれが身内以外だったとしても、元は人間だったものを斬る嫌悪感は変わらない。だがもう、逃げることはできない。逃げ道がなければ、逃げる意味もない。逃げるという選択肢など、最初から存在していないのだから。そういうことだ。 尊杜はただ、そう、と呟いただけだった。今の弓月には、それだけで十分だった。 (2009.9.29 書き下ろし) |