妖狩
肆
* 身体を引きずるようにして家に戻る。比呂也の部屋以外明かりがついていなかった。好都合だ。こんな状態では、養父母に余計な心配をかけてしまうから。 尊杜の応急手当により、どうにか血は止まっていた。だが、失われた分はなかなか戻らない。下着だけになって傷口を消毒し、包帯を適当に巻いて横になる。波のように襲ってくる痛みは、痛み止めがないから仕方がない。慣れているとはいえ、かなり苦しかった。 毛布をかけることも忘れ、弓月はじっと薄暗い部屋の一点を見つめていた。汗がひどい。気を紛らわせようにもそれができない。考えをめぐらせれば、鬼に憑かれた少女のことしか出てこない。その少女のことを思い返せば、否応にも真帆のことに行き着いてしまう。 彼女は何も悪くないのに。ただ、比呂也のことが好きだっただけなのに。どうして斬らなければならなかった。どうして、選ばせてもらえない。 嗚咽が漏れそうになって歯を食いしばる、と同時に部屋の扉が開いた。 「弓月?」 身を起こそうとして、うめく。ひどい痛みだ、これではまともに動けない。 比呂也はしばらく目を泳がせ、うつむいて部屋に入ってくる。無言のままに毛布をつかみ、下着のままだった弓月にかぶせる。それからベッドに腰をかけ、弓月の顔を覗きこむ。 「怪我したんだな」 「まぁな……」 頭がぼんやりする。うまく焦点があわない。 比呂也は一言、そうか、とだけ呟いて、首にかけていたタオルを弓月の額に押し付けた。髪が濡れている。風呂にでも入っていたのだろう。 沈黙が降りる。普段はうるさいほど話しかけてくるくせに、今日は不気味なほど静かだった。 「何も聞かねぇんだな」 呟くように尋ねれば、 「……言いたくないんだろ? じゃあ、無理には聞かない」 同じように呟きで答えが返る。この様子では、何が起きたのかもある程度は把握されているのだろう。 そのほうがいい、とだけ言ってから、弓月は大きく息をついた。喉に絡まる吐息が気持ち悪い。あやすような手の動きも、どうしてかひどく癪に障った。 何も知らないくせに。乱暴にその手を跳ね除けて、弓月は再び痛みにうめく。 「……弓月」 ためらうような間の後に、言葉が闇に波紋を作った。 「あの、さ……その、やっぱり次は俺も連れて……」 「嫌だ」 最後まで言わせず、さえぎった。苛立ちが胸をふさぎ、呼吸をさらに詰まらせる。 比呂也は目を瞬いた。驚いているのか、狼狽しているのか、弓月には分からなかった。 「な、何だよ、そんな危なくなってんのかよ?」 「そうじゃねぇ。けど駄目だ。二度とお前は連れていかねぇ」 巻き込めない。彼と自分は違うものだ。彼は人間で守るべきもので、自分は人間を守る盾にすぎない。守れないならば意味がないのだ。真帆のように。 比呂也が声を荒らげる。 「どうしてだ!? 確かにこないだはちょっと失敗しちまったけど、ちゃんと原因を考えて反省した! 弓月の足手まといにならねーように、どう動いたらいいのかも考えた! 次は同じヘマはしねぇ、だから……!」 なるほど。蜘蛛の後、不自然なくらい仕事関連の話をしなかったのは、次回のシミュレートをしていたからか。馬鹿馬鹿しいほどにまっすぐで、単純で、腹が立つ。 「騒ぐな、傷に響くんだよ」 大声は出せないから、あえて冷たく言い放った。 「……ごめん」 謝罪の言葉には、それでも色濃い不満がうかがえる。どうしても納得できないのだろう。当然だ、今まではある程度までは許可していたのだから。 けれども、それではもう駄目なのだ。これ以上は巻き込めない。踏み込ませては、いけない。 「比呂也。お前、何でそこまでついてきたがる?」 「だ、だって……お前のこと、心配で」 呆れるほどの馬鹿加減に、苛立ちは頂点に達した。 「もういい」 え、と短く声が漏れる。それを無視して、言葉をつなげた。 「俺のことなんざ、そこまで気にしなくていいって言ってるんだよ」 「そんなの……!」 「これ以上首突っ込むな。お前は、妖こそ見えるが……普通の、何の力もない、人間なんだ。鬼や憑き物がお前に憑くことだってあるんだぜ。そしたら、俺は……」 唐突に、突き上げるような胃の痛みを感じた。腹の底が焼け付いて痙攣している。弓月はとっさに口を押さえた。全身が急激に冷えていく。手足の感覚が遠くなっていく。鼓動がやたら速くてうるさい。耳鳴りがする。傷口だけが、燃えるように熱かった。 よみがえる光景に、全身が激しく震えた。 「弓月! おい、大丈夫か、弓月!?」 肩をつかむ手を振り払う。どうしてそこまでするのかが理解できない。別物なのに。関係ないのに。何も知らないくせに。 「構うな! もういい、もう、無理して俺に、付き合う必要なんざねぇんだよ」 「無理なんてしてねぇよ。お前は俺の大事な……幼馴染だ。心配すんのは当然だろ? 妖狩だからとかそういうのなしに、友だちとして心配させてくれよ」 真摯な音の羅列には、ふざけた色が見当たらない。いっそふざけてさえいればよかった。妖狩だからこそ区別するのだと、もっと冷たく突っぱねられたのに。 「お前のこと、助けたいんだ」 昔、同じことを言った少女がいた。その子は鬼に取り憑かれ、幼い妖狩に殺された。自分が近くにいれば、きっと彼は不幸になる。真帆の二の舞になってしまう。こんな契約さえなかったら、こんな身の上でなかったら、もっと別の結果になっただろう。 様々な感情が滅茶苦茶に交じり合って、何がなんだか分からない。柄にもなく泣きそうになり、弓月はぶっきらぼうに命令した。 「でてけ。……一人に、させろ」 「嫌だ」 いつもならば文句を言いつつ従う彼が、強い口調で拒絶した。苛立ちよりも先に、なぜか悲しくなってしまい、それがまたさらに苛立った。 「……でてけって言ってんだろ」 「嫌だ」 「構うな」 「嫌だ」 痛みをこらえて身体をひねり、座る比呂也へ背を向ける。 「ここにいる」 「……馬鹿野郎」 巻き込みたくない。巻き込めない。これ以上誰かを巻き込むなんて、これ以上親しい者を『契約』の下で殺すなんてごめんだ。どうして理解してくれない。どうしてそこまで、一緒にいたがる。 「どいつもこいつも、大馬鹿野郎だ」 苛立ちと、得体の知れぬ悲しさが全身を包む。朦朧とする視界の向こう、呆然とする少女の顔を思い浮かべて、弓月はぎり、と歯軋りした。 二人の幼馴染の合間に積もるは、ただただ静寂だけである。それすらも飲み込む深い闇夜、真夏の夜更けのことである。 (初回アップ:2006.3.6 最終修正:2009.9.29) |