妖狩


 翌々日の正午、ちょうど十二時を知らせる音楽が鳴る頃だった。縁側に出て涼んでいると、庭のほうから幼馴染が歩いてくる。
「弓月ー、依頼だってよー」
 比呂也だった。部活帰りらしく、肩にかばんを引っ掛けている。相変わらず袴の帯がファスナーからはみ出していた。
「ん」
「依頼だよ、い・ら・い!」
 あれからようやく、以前のような関係に戻りつつあった。もっとも、以前は弓月が一方的に距離を取っていただけではある。今は虎牙の言葉もあってか、ようやく弓月も身構えることをやめられるようになっていた。
 比呂也は弓月の隣に腰を降ろすと、指を一本立てて振る。
「私立の荻女(おぎじょ)、あるだろ。ほら、淡雪台(あわゆきだい)のほうにある超お嬢様学校。あ、それの付属高校なんだけど。あそこの近くで、最近妙な事件が起きてるんだとよ」
 荻女、正式名称、私立荻野ヶ原(おぎのがはら)学院大学付属、荻野ヶ原女子高校。この辺りでは有数のお嬢様高校だった。淡雪台は岡田家から南西の方角にある、高級住宅街地域である。
「事件?」
「変な火の玉がたくさん出てきて……後ろから襲われるんだとよ。それから生き血を吸われるって噂。幸いまだ亡くなった人はいないけどな、何人かが病院に運び込まれてるらしい。淡雪台の人が言ってたぜ」
 それと、と、比呂也は神妙な顔で言葉を続ける。
「前あそこらへんを通ったら……真昼間だってのに、首筋の毛がざわざわしたんだよ。不自然なくれぇ何にもいねぇのに、何かが溢れ出してるみたいな、何かがぽかっと口開いてるみてぇな、そんな感じだった……」
 妖の出る場所というのは、決まって濃い妖気が漂っている。妖がいる場所は自然に密度が濃くなり、それが新たな妖を誘う。その循環により、いつしかそこに裂け目ができて、新たな妖の通る道ができてしまう。
 比呂也は妖を見るが、決して妖気に敏感ではない。常人よりもほんのわずか、感じ取れるだけである。しかし、そんな彼がはっきりと感知できた、と言うことはつまり――もう道ができてしまっている可能性が強い。学校の近辺は人間がよく通る。このまま放置しておけば、妖にとっての絶好の狩場と相成るだろう。そうなる前に、何とかして塞がなければ。
「……分かった。依頼人と連絡は取れるか?」
「あ、おう。大丈夫。えっと確か……すめら、さんだったかな? あとで電話してみる」
 頼む、と弓月はうなずいてみせる。そしてなぜかタダ働きさせられそうな、そんな予感がしていた。

 次の日、荻女の校門前で待ち合わせをした。目撃者がいるのだという。連絡をくれたのとは別の女性だそうだ。この付近に住んでいるらしく、そういう類が見えてしまう体質を持っているという。
「……遅ぇな」
 苛立ちながら弓月が呟く。くっついてきた比呂也は初めての女子高に大はしゃぎだった。
「おおおおぉーっ! テニス部のスカート、ち、超短ぇー! 陸上部タンクトップ最高! おっ、女子サッカー部! いいなぁ青春だぜ! ってか女子高万歳! 女の花園!」
 口に出して言いやがって、それじゃあただの不審者だ。とりあえず門にへばりついている比呂也を殴りつけ、引きずり下ろしてアスファルトへと叩きつけた。
「馬鹿野郎、それじゃあ完璧に不審者だろ」
「いてぇよ弓月ぃ……」
 抗議は一切無視をする。そのまま鉄格子にもたれ、さりげなく視線を後ろにやった。タイプの子はいなかった。もっとも、自分の好みはバスケ部にいるような子である。いないのも当然か。まぁ、悪くはない。決して悪い眺めではない。自分が普段ああいった格好をするのはごめんだが、人のを見るのは全く構わない。
「おい弓月、お前、目がオッサンだよ……」
 なぜかどんよりとした空気をまとい、比呂也が呟く。自分だってさっきまでそんな目をしていたくせに、自分のことを棚にあげてよく言えるものである。
 何か言い返そうとしたそんなとき、
「ちゃっおー!」
 何だか聞き覚えのあるテンションが、耳を貫いた。
「きゃーん! やだあーひろちゃんじゃないのーぉ! もうもうっ、運命って奴なのかしらー! みんなのアイドル尊杜さんよーん!」
 確かにそれは聞き覚えのある声だった。
「ぎゃああ!! みみみ尊杜さん!! あわわわひいいぃぃぃ助けてぇぇぇごめんなさい許してくださいだから来ないでえぇぇ!!」
 阿鼻叫喚の地獄だった。捕まった比呂也は抱きしめられ、頬擦りされ、やられ放題になっている。
「今日もらぶりーでぷりちーねっ! もうちゅっちゅしちゃう!! あらやだ弓月ったらいたの?」
「いた。って、比呂也おい」
 まさかこいつが目撃者なのか。キスの雨に生気を吸われた比呂也が、虚ろなまなざしで弓月を見やる。
「何でこいつなんだよ。気づくだろ普通」
「あらやだ、言わなかったっけ? 電話したのは弟の皇楽よ。外見超絶美少女だけどね、最近変声期になっちゃって、ソプラノがアルトになっちゃったのよ。参っちゃうわよねー」
 比呂也ががくりと頭を垂れる。相手が男だったことに落ち込んでいるのか、はたまた暴れすぎて力尽きたのか。いずれにせよ、気持ちは何となく理解できるので、とりあえず同情しておくことにする。
 案内を任せて歩くこと十分。ここよ、と彼が立ち止まった場所は、何の変哲もないただの通学路だった。周囲は閑静な住宅街になっている。さすがはお嬢様校の近辺、金持ちの集まる場所ゆえか、高い塀の向こう側には立派な屋敷やマンションも多かった。
 辺りの気配を探る。今の状態では何の気配も無い。改めて周囲を観察する。荻女の裏門、利用する生徒も多いであろう。今は夏休みだからか、人通りはまばらだった。
「ここで人が襲われるらしいわ」
 彼はそう言うと、塀に囲まれた道を示した。
「焔の塊みたいなもんね。後ろから覆いかぶさってからはじけ飛び、倒れた被害者の生き血を吸うのよ」
 弓月は記憶のうちにある情報を引っ張り出し、そして一つの答えを導いた。
「天火人(てんかじん)……か。生き血を吸う火の玉だな。何でお前始末しなかったんだよ」
「しょうがないじゃない。あたしそのときパンプスのヒールが折れちゃってたんだもの。もう超ショックだったんだからあー。お気に入りだったのにぃー」
「そこからぶっ飛ばしゃいいだろ」
 ちなみに尊杜は弓月とは異なり、和歌で武器が取り出せる。当然針を出して攻撃することも可能なはずだが。
「いやーんあたしかよわいからできなーい」
 意味が分からなかった。人間と妖狩の間で相互理解はできないとも思っていたが、この男ほど理解不能な奴もそうそうにいないだろう。何だ靴のかかとが折れたからかよわいって。
 勢いで比呂也に抱きつく尊杜を放置したまま、弓月は改めて風景を眺める。聞こえるのは生徒の声、蝉の声、風の声。見えるのは裏門、大きな校舎、木々、フェンス、道路、塀、電柱……妙なものはいない。どこか空々しいほどに、何もいなかった。気配も、影も何一つ見当たらなかった。まだ昼間に妖が徘徊していないだけマシだろう。早急に塞げば、恐らくは犠牲者を出すこともない。
 だがそれはあくまでも、規模が想定内であった場合である。これが一つの妖だけしか通れなければ対処もできるが、他の妖も通れるようになっていたら話は別だ。
「おい尊杜、お前も来るんだろ」
 もしかしたら一人では難しいかもしれない。そう判断した弓月だったが、
「行かないわよ。夜更かしはお肌の大敵なんだから」
 あっさりと断られた。思わず脱力する。
「お前それでどうやって食ってるんだよ……」
「あら、専業妖狩を舐めないでちょうだい。昼間に出てくる奴を適当に潰しておけば万事解決。依頼は増える一方だから、家でゴロゴロしてるだけで仕事が来るの。全然無問題」
 それは妖狩として以前に人としてどうなのだろう。突っ込みたい気分だったが、とりあえずはあえて触れずに脇へ置いておくことにした。
「……今の状況、お前ならどう読む」
「たぶん、あんたの予想通りよ。ここいら辺に相当でかい通り穴が作られてる。複数の妖が出入りできるくらいにね。天火人がどれだけ出るのかは分からないけど……相乗効果でそろそろ死人が出る頃だわ」
 妖は、自らの通る穴を穿って現世を行き来する。通り穴が作られれば、やがて他の妖もそこから出入りするようになる。そうして穴は広がっていき、最終的にそこが妖の溜まり場になる。妖の溜まる場所には妖気が充満し、また新たな妖を引き寄せる。その繰り返しで、妖は住む場所を増やしていく。妖狩や他の力を持つ者が直接塞ぎに来なければ、この通り穴は決して塞がることはない。
 弓月は視線を巡らせる。相変わらず蝉の声だけが、高級感漂う住宅街に響いているばかりである。嫌に反響するのは塀が多いからだろうか。
「……尊杜。お前この辺に住んでたな」
「そうよ。淡雪台は一等地なのよ、買うの苦労したわよーお仕事二回分で買えちゃったけど」
「今すぐ全国のサラリーマンに謝れ」
「うっさいわね、あんたなんかあたしの倍もらってるじゃないのよ。あんたこそ謝っときなさいよあたしの代わりに」
「あ? おい比呂也謝れとよ」
「え……何もしてませんけどすみません……」
 閑話休題。
 弓月はさらに奥を眺める。つい先ほど通ってきた道だが、こうして振り返ってみると、空気の流れの異常さが読み取れる。
「この辺り……空気が澱んでやがる。袋小路が多いな」
「えぇ――そうよ。あたしとしては、ぶち抜きたくて仕方がないんだけど。みんな知らないものね」
 ついと尊杜が目を細める。小さく舌打ちをし、忌々しげに路地の一つを眺めやった。
「袋小路が、よくないモノを集める場所だなんて……ね」
 この付近に袋小路が多いのは、やはり住宅街であることが関係しているらしい。風通しもあまりよくはなく、その分だけ悪いものが溜まりやすくなっている。袋小路はどん詰まり、風の通らないお終いの場所ゆえに、様々なものが溜まって妖が湧きやすくなるのだ。
 一体その穴がどこにあるのかは、閉じている現在では把握しきれない。夜にもう一度来たほうがよさそうである。
「尊杜」
「今度は何」
「報酬は出るか」
「ボランティアに決まってるでしょ。それともあんた、身内から金取る気」
「てめぇが身内だなんて考えたくもねぇな」
 タダ働きの予感的中だった。重く深く嘆息し、小さく肩をすくめて首を振る。
「……ああ、クソ。面倒だぜ」
 思わずぼやいたその直後、不意に首筋を気配が撫でた。弾かれたように振り返るも、当然ながら誰もいない。嫌な汗が噴出して、弓月は手の甲で額を拭った。
 あの気配、知っている。じわじわと獲物を追い詰める、あの気配。そんなはずはない。あるはずがない。いくら妖といえども、よみがえることなどできはしない。
「……尊杜。今の気配……」
 確認を取るため、弓月は後方の二人へ声をかける。
 そして絶句した。比呂也の表情が、硬く強張っている。
「……比呂也? お前、どうした」
「いや。何でもねぇ」
 冷や汗だろうか。視線は先ほど気配の生まれた、袋小路の突き当たりを見つめている。
「……気のせいだと思う」
 自信なさそうに呟かれた答えは、三方をふさがれた路地にぶつかって砕け散った。

(初回アップ:2006.3.11 最終訂正:2009.9.29)

 



::: Back :::