妖狩


 深夜。
 弓月は渋る尊杜を引っ張り出すことに成功し、共に昼の路地の入り口に立っていた。昼間と違い、禍々しいまでの空気が周囲一帯を覆い尽くしている。風穴が開いていることは、火を見るよりも明らかだった。通常の人間がこれだけの妖気を浴びれば無事ではすまない。
「……これ以上奴らを外に出すわけにゃいかねえ。この辺一帯に結界張る」
「がんばってぇ」
「てめーは向こうだ。二手に別れんぞ」
 人使いあらぁい、と文句をいいつつ、尊杜は路地の向こうへ消えてゆく。その背中を見送り、弓月は意識を集中する。

  とおりゃんせ とおりゃんせ
  ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ
  ちいっと通してくだしゃんせ 御用の無いもの通しゃせぬ
  この子の七つのお祝いに お札をおさめに参ります
  行きはよいよい帰りは怖い
  怖いながらもとおりゃんせ とおりゃんせ

 歌いながら、素早く周囲を探った。
 袋小路のこちら側、ふらふらと左右に行き来する焔の玉の群れがいる。数はゆうに五十を越えていた。路地に所狭しとひしめき合うその光景は、いっそのこと不気味ささえ覚える。
 こちらに気づいているのか、いないのか。いずれにせよ、これだけの数を放置しておくわけにはいかない。弓月はあらかじめ呼び出しておいた刀を一振りし、素早く踏み込んで天火人に斬りかかった。
 刀の切っ先が焔を捕らえた、その直後。鋭い殺気が弓月を襲う。とっさに身を引いたのと同時に、突然右肩が熱を持った。そのまま斜めに切り裂かれ、熱と痛みが走る。天火人がそういった攻撃を加えてくるなど、聞いたことがない。だが、確かにこれは刃物での痛みだ。着地はかろうじて成功したが、痛みは増す一方である。
 新しい種か、それとも違うものがいるのか。とにかく早く探さなければならない。弓月は軽く舌打ちし、刀を振るって焔を呼ぶ。白い焔は吹き上がり、あっという間に妖を包み込んだ。妖のそれよりも清浄な火が消えると、辺りは再びしんと静まり返る。
「あら? そっちも終わり? あたしのほうも終わっちゃったわ。何かすっごいあっけなかったけど、こんなもんなのかしらね」
 ヒールの音も高らかに、尊杜が早足で戻ってくる。出会い頭でやりあったのだろう、その手には『はないちもんめ』と同等の長い針が握られている。接近戦のほうが得意な弓月に対し、彼は飛び道具を得意としている。接近される前に敵を殲滅する、と同業者の間では有名になっていた。
「終わりと決まればさっさと帰りましょ。夜更かしはお肌に悪いわぁ」
 これがただの面倒臭がりだ、と知るものは少ないだろう。呆れて嘆息した弓月の脳裏に、ふとある疑問が芽生える。
 先ほどの火の玉の妖気は、今思い返せば微々たるものだった。あれだけの数がいたにも関わらず、だ。妖気は消えていない、むしろ逆に増えている。ならば、それが示す意味は一つしかない。
 今までいた炎の塊は、偽者――幻影に過ぎない。そして、あの一撃。以前己のわき腹をえぐった、鋭い攻撃。
「まだ……生きてやがったのかよ」
 弓月は傷口を強引に手のひらで押さえた。そのまま歩き出す。じくじくとにじみ出す血液が、手袋を徐々に重く濡らしていく。
「あら? ちょっとぉ、弓月どこ行くの?」
「尊杜。俺の代わりにここの通路を閉じておけ。閉じ終わったらここにいろ。頼んだ」
 返答を待たず、そのまま気配に向けて走った。制止の声が遠くなっていくのを、耳を過ぎる風の音に紛れて聞きながら、弓月は速度を緩めず路地を駆け抜けた。



 刀の切っ先がアスファルトを噛む、硬い金属音がした。
(――油断した……俺としたことが)
 小さく舌打ちをして、現状を見た。一面に浮かぶ火の玉は、弓月を取り囲むようにして燃え盛っている。
 うかつだった。天火人はおとりに過ぎない。目的は妖狩――氷室弓月。気づいたときには遅かった。既に上半身はずたずたに切り裂かれ、手に握る刀の感触も麻痺して遠い。立っていることすらやっとである。
「ゆづ」
 幼い少女が、ささやいた。異形の溢れる路地裏に、虚ろな声がこだまする。
「ゆづ。これでもう、邪魔されない。これでもう、邪魔されない」
 顔も知らない少女が一人、炎の群れの後ろにたたずんでいる。ひどく間合いが遠いくせに、その姿はくっきりと分かる。虚ろな笑みを貼り付けた顔、狭い額には一対の角、華奢な身体。そして、足元から忍び寄る妖気。
 この気配には覚えがある。このしゃべり方にも覚えがある。以前対峙したあの少女。そして、真帆。風穴を開き、妖怪どもを操っていた張本人。
 口の中に広がる血の味を、唾に混ぜて吐き出した。あばらが数本折れているのか、気絶しそうなくらいの激しい痛みが、胴体のあちらこちらに張り付いていた。
 ついでに疑問を投げつける。どうしてそこまでして、自分を狙うのか。
「お前、何なんだ? 鬼のくせに、まるで妖魔だ。風穴空けたり、妖怪の奴らをそそのかしたり……無差別に取り憑いたり、人のトラウマ引っ掻き回したり。一体何が目的だ」
 少女は無邪気に微笑んだ。弓月の血に染まった指を舐め、首をかしげてこう告げる。
「ゆづは、お仕事嫌いでしょ」
「何?」
「ゆづは、お仕事嫌いでしょ。だから私、お手伝いしてるの」
 意味が分からない。少女は笑う。ころころと笑う。
「だから私、お手伝いしてるの。ゆづがお仕事辞めてもいいように、ゆづがお仕事辞めてもいいように」
 ゆづがつらくてお仕事を辞めれば、ゆづはとっても楽になる。何もしなくてもよくなるわ。だって、そうでしょう? ゆづは幼馴染を斬り殺した。とっても痛かったのよ。ねえ、つらいでしょう? 大事な親友を斬ったのはつらいでしょう? ゆづがお仕事をしている限り、比呂也君だってそうなるわ。
 弓月は唇を噛み締める。悔しいが、全くもってその通りだ。仕事は決して好きではない。契約に縛られてまですることに、一体何の意味がある。そのせいで真帆は死んだ。比呂也だって、いつそうなるか分からない。だから突き放したのに、比呂也はそれすら飛び越えてきた。彼を助けるためには、弓月が仕事を辞める――妖狩の使命を放棄するしかない。
 あの男のようになるか、そのまま妖に食い殺されるか、結局選択肢は限られる。本当に、妖狩なんて気に入らない。
「ゆづ。ゆづ」
 指がついと伸ばされた。
 背筋を冷たいものが駆け抜ける。動かない足に力を込め、弓月は後方へ跳躍した。どんとくぐもった音が響き、先ほどまでいた箇所にひびが入る。
「だからその身体、ちょうだい。だからその身体、ちょうだい」
 笑んで放たれたその言葉に、弓月の思考が停止した。停止してからわずかの後、笑い出したい衝動に駆られる。
 ――なんだ。そんなことだったのか。真帆の魂を食った鬼が、真帆に成り代わって復讐に来たのかと……そんなことばかり考えていたのに。悩み損、とでも言うのだろうか。トラウマを勝手に引きずり出していたのは、どうやら自分のほうだったようだ。
 弓月は全身を裂く痛みに耐え、それでも不敵に笑って見せた。
「結局、てめぇの望みは妖狩の身体か。なるほど。真帆のときに偶然見つけて……違う奴に乗り移ったか、それとも穴ん中引っ込んでたか、ともかく力を蓄えながら機会をうかがってた……ってわけだ。回りくどくて分かんねぇよ、余計な労力使わせやがって、クソが……で? 何で自分で来なかったんだよ」
 少女の魂を食い成り代わった妖は、きょとりと瞳を瞬かせた。
「鬼にトラウマもちの妖狩だぜ。簡単に殺せるだろ。ああ、あれか……結局のところ俺が怖ぇから、俺と鉢合わせしたくねぇから、無様に逃げ回ってたんだろ?」
 鬼の身体が、激しく震えた。愛らしい顔が怒りに彩られ、みるみるうちに瞳が血走る。
「なんですって……なん、です、って。怖い? 怖い? この、私が? この……わたし、が、妖狩が怖いと? 怖いと?」
 その様子を眺めながら、人のこと言えねぇな、と苦笑する。今までの自分もそうだった。鬼や憑き物憑きが嫌いだから、尊杜に全て押し付けていた。過去の過ちを思い出したくなくて、ただひたすらに逃げていた。目をそむけ、耳をふさぎ、自分の運命を呪うだけだった。
 そうやって逃げていたから、責められている気がしたのだ。それこそ、トラウマを自分から引っ張り出してしまうほどに。
 もちろん、妖狩の仕事は好きになれない。契約に縛られているのも嫌だ。今だってその契約に基づいて、また誰ともしれない命を奪う。それが嫌でたまらない。逃げられず、また罪を重ねていく。抗っても嘆いても、それだけは絶対に変わらない。変えられない。
 そんな自分でも――どれだけ自分が拒絶しても、区別しても、離れても、罪を犯しても、いなくなれば悲しむ人間がいる。妖狩がどう、盾がどうではなく、一人の人間として、見てくれる人たちがいる。その人たちを悲しませるのは、同じくらいにごめんだった。そのために今、妖狩の使命を全うする。妖狩として戦う。それだけだ。
「やるならいつぞやみてぇに、堂々一対一できやがれよ。まだるっこしいことすんじゃねぇ。俺はもう、逃げも隠れもしねぇ」
 罪をいくど重ねても、もう逃げない。逃げるわけにはいかない。その人たちのためにも、今まで奪ってきた、数多くの憑き物憑きの人々のためにも。

(初回アップ:2006.3.11 最終訂正:2009.9.29)

 



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